28年度の予算づくりで、いろいろお話をうかがって回っているところです。どこも予算が足りない!という話をされていて、頭を悩ませると同時に、こんなに治山事業に需要があるのだなと改めて感じているところです。
明治時代から治山事業ははじまり、山々には相当数の施設が設置されています。これが十分なのかどうかというと、わからない。広島のような災害が起こってしまえば、まだ足りないとされるだろうし、近年では施設の老朽化対策という話もあります。
予算不足というのは公共事業そのものが減っているという話でもあります。財政再建の話はあるし、高度成長期のような建設国債バンバン出す時代でもない。
しかし、建設業ひいては地方の退潮を目の当たりにすると、良い悪いは別にして公共事業は確かに地方への血液であったな、という感想はあります。
明治時代から治山事業ははじまり、山々には相当数の施設が設置されています。これが十分なのかどうかというと、わからない。広島のような災害が起こってしまえば、まだ足りないとされるだろうし、近年では施設の老朽化対策という話もあります。
予算不足というのは公共事業そのものが減っているという話でもあります。財政再建の話はあるし、高度成長期のような建設国債バンバン出す時代でもない。
しかし、建設業ひいては地方の退潮を目の当たりにすると、良い悪いは別にして公共事業は確かに地方への血液であったな、という感想はあります。