2016年1月10日日曜日

『税を直す』まで行き着かなかった/今年の経済はどうなんでしょね


税を直す
税を直す
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立岩真也 村上慎司 橋口昌治
青土社
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数年前に読んではいたんだけれど、たくさんポストイットをつけて5年くらい放置してました。立岩先生ごめんなさい。現在絶賛写経中です。読書ノートを作りたいな、と思っていて。乞うご期待。
わざわざそれだけのために載せました。




さて。
「日本の借金1000兆円」やっぱりウソでした〜それどころか…なんと2016年、財政再建は実質完了してしまう! 高橋洋一 現代ビジネス 28.12.2015

うーむ。そうなの?

素人ですから、素人なりの読み込みにしかならないからね。そんな言い訳をして、と。
日銀は自分で買い取った国債を大量に持っているんですね。お金を市場に供給するために。
高橋さんが言うに、国債発行額から政府資産と日銀の資産を串刺しにして控除した連結ベースの負債は2014年度で253兆円と。2015年に関しては150〜200兆円、GDP30〜40%程度であると高橋さんは見込んでいます。1000兆円という前評判からすると、ずいぶん少ないです。確かに。
量的緩和とは「有利子の国債から、無利子の日銀券への転換なのだ」と述べていて、なるほどなぁと思いました。借り換えですね。金利ゼロの。


復活か?沈没か?2016年の日本経済 飯田泰之×小黒一正 新春対談(上) 5.1.2016 ダイヤモンド・オンライン

うーむ。今年、消費税は上がるのかどうか。気になるところです。

国債の買い取りが今後難しくなる、という話を小黒さんがされています。現代ビジネスでの高橋さんの話に沿って考えてみると、たぶん市中の国債を日銀が買いつくしてしまうから、ということになるのだろうと思われます。そして、さらには地方債まで買わなくてはいけないかも、との話。

金融緩和の話、マネタリーベースを増やす意味では、これ以上増やせなくなるのは確かに問題なのかもしれませんが、これって要は売り払ったはずの国債を日銀がガメてるっていうことでしょう?
会計上は別であるにしても、銀行が約束手形をその銀行自身に振り出したってプラマイゼロですから、実はやっぱり量的緩和の過程で、実質的な国の借金は減少しているとは言えそうです。紙幣を刷って、国債を買う(ことで、市中にお金を供給する)というのが量的緩和なわけですから。自分の発行した約束手形が手元にあるのなら、いっそのこと繰上償還してしまえばいいのに、っていうとインモラルなんでしょうか。

紙幣を刷って国債を買うなんてことをすると、円に対する信任が落ちるはず。でも落ちていないというところで、いろんな人がいろんなことを仰っている。ように見えます。


にしても、今の財政状況は不安なるべきなのか安心すべきなのかよくわからねぇ、というのは変わりません。同じ人でも言うことが変わる場合もあるし、誰か記事をウォッチしてくれればいいのに、と思うわけです。
たとえば?
経済危機ジャンルのノストラダムス本、浜矩子・高橋乗宣コンビの最新作は「2016年日本経済 複合危機襲来の年になる!」 22.11.2015 市場かぶ全力2階建
ちゃんと写真で毎年保存をされている方がいるからこその偉業。
ぶれない、というのは立派です。時に考えものですが。
オモチロイので個人的にはOKです。
ブックオフとかで浜先生の本が大量に陳列されている様を見ると、ああ経済が今日も動いているな、と実感します。デッドストックだろ、とも、ちらりと思うのですが。


年末年始ってこの種の経済本がたくさん出るじゃないですか。みんな3ヶ月くらいするとブックオフで再会するんでしょうけれど。
あんまりへんてこな経済本ばかり読んでいると頭がおかしくなりそうですが、その割に頭に入っていないので安心してください。

2016年 中国・ユーロ同時破綻で瓦解する世界経済 勝ち抜ける日本
三橋 貴明
徳間書店
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三橋さんはナショナリズムっぽい言動がたくさんあって、少しついていけない部分があるのですが、経済政策の話は面白いです。
本書で三橋さんが介護報酬について触れていて、いたく共感するところでありました。社会保障費の抑制の名目で福祉士の給与が他産業と比較して大きく遅れをとっている。資格を持った福祉士が逃げてしまう、そんな話。

社会保障と税の一体改革 政府広報オンライン
なんというか、煽る文章だよね。
社会保障費が毎年1兆円ずつ増加しているっていうのはそうなんだろうけれど、「その多くは借金」っていうコメントがわざとらしいし、なんだか変だ。だって、予算の配分は政府がいくらでも決めようがあるなかで、彼ら自身が社会保障に割り当てたんでしょう?
いやなら社会保障費は予算内で作って、建設国債でも発行して公共事業を全部借金にしたらいいじゃないか。と思うんですけど。


三橋さんが指摘するように、社会保障費を抑制するために介護職員の給与を切り下げる方向に進むのは僕も反対です。安価な外国人を使えばいいじゃん、という話もたしかにあって、別にそれも悪く無いと思うんですけれど、それはまた別の話です。

その理由として、公共事業も社会保障費も政府の財政出動としては同じだよなぁ、と思われることがあります。
目的はもちろん違うし、公共事業と違って社会保障費は機動性に欠ける。なにより、社会保障費はニーズがすでにあって、そこにお金を投入するから、需要が拡大するわけではない。というかすでに半端ないくらいの需要があって、これからもどんどん増えていく。
公共事業はヘルメットかぶった労働者にお金が行くし、社会保障費は介護を仕事として生活している人にお金がいく。誰でもいいけれど、出された人がしっかりと消費してくれればいいと思うんです。
問題があるとすれば、ダイアモンドで飯田さんが指摘するように、社会保障の伸びで、インフラ整備や国防など、必要なところにお金が回せない、というところなんでしょう。
単純に60年代のような、GDPを伸ばすため(だけの)財政支出は不要ということだと思うんです。むりやり需要を創りださなくても、すでに社会保障でビッグな需要が発生しているから。第1次産業からそうした業種に人が異動していくのは仕方がありません。インフラの老朽化については各所で指摘されているんだけれど、高度成長期の規模での再投資が必要なのかっていうのはちょっとわからない。

佐渡では公共事業の減少に伴い土木業者も減少している一方で、老人介護施設は次々と建設されていました。高齢化率は国のトップランナーでしたから。
昔は土建屋に務めるお父さんが大黒柱として一家を養えばよかったのかもしれぬが、今後は介護士のお母さん(もちろんお父さんでも可)とのツープラトン制が主流になるだろう。
雨後のたけのこのようににょきにょき出来上がる老人ホームを見て、そんな妄想に浸っておりました。

公共事業も社会保障も労働者にお金を流すという意味では同じです。ひとつの政府投資としてしっかりと取り組めばいいじゃん、と思うのです。


もう一つには、介護保険制度は、「お母さんの介護」というシャドウ・ワークを白日の下にさらした、大きな意義があります。この制度によって、介護はしっかりとした労働で、ちゃんとした支払いが発生するものとして外部化されました。
介護に携わる者の賃金を切り下げることは、再び介護を家庭の中に隠すことになりかねないし、核家族化が進行した現在では、より悲劇的な状況を惹起してしまう可能性がある。一人ひとりの人生・ライフステージのなかで、必要なもの/かかってしまうものにはちゃんとお金を払う。そういう理念が問われているのではないか。

そこで、介護士の賃金を切り下げて、外国人を迎え入れればいいじゃないか、という話は安直であるし、明らかにスジが悪い論理です。だって母ちゃんの手に入れるべき賃金をさらに切り下げようという試みに他ならないじゃないですか。僕はそう考えます。
マクロな問題としてみれば、供給不足なんだけれど、賃金の切り下げを行うことで敢えて供給不足の状況にさせているように見えるのです。そして、その切り下げた水準をスタンダードにしたい人たちがいるんじゃないのかな。
でもそれは社会保障費の抑制方法の解としては、間違っているし、僕は容認しない。


本当は上の立岩さんのまだろっこしい大著の概要を整理してまとめるかと思っていたんだけれど、思った以上に長くなってしまったし、まだ写経と消化が終わっていないのですよ。やっぱりピンときた本は、写経したいものです。指で読む、みたいな。ああ、腱鞘炎になりそう。

100歩譲って。仕方ねぇ、金がねぇのか。消費税上げるしかないのか。その前に。
消費税増税には非常に多くの問題点がある 6.1.2016  PseuDoctorの科学とニセ科学、それと趣味
とても勉強になります。

もう一度、税について考えてみたいな、ということで上の本なのでした。また次回。