2016年10月22日土曜日

書評:隠喩としての病

僕は実によく風邪を引く。そしてまた、引いている。
周りの人は実に強い。めったに風邪なんか引かない。僕ばかりが引いていて、なまけもののように寝込む。
我が身体に勁さあれ、と呟いてみれど、咳しか出てこない。これは困ったことですよ。
これでは単なるなまけものではないか。いや、なまけものなんだけれど。

このなまけものっぷりはあくまで病気のせいであり、真正のわたくしは、いっさい、なまけものではない。
そのように嘯いてみたところで、風邪を引いてばかりいるわたくしの真正など、だれも知るはずがないのです。また、貴様の云う真正とは何か、そう聞き返されたら、答えに窮するのはわたくしの方であります。真正のわたくしとは結局、願望としての、理想としてのわたくしでしかないのか。
そう考えると、少し悲しくなったのち、単なるなまけものとして居直るのみであります。
I 'm only in love, with picture of myself〜♪

さて、


以前読んだ『病の皇帝「がん」に挑む』の文中では、ソンタグがしばしば引用されていた。
周知のとおり「がん」の印象はとてつもなく悪い。それ加え、「がん」という言葉自体が、ある種の破壊力を帯びている。
実際に、がんの闘病や治療の過程が十分に過酷なものであるとして、イメージとして「恐ろしいもの」として、社会的にも禍々しい影響力を持っていること。
著者がソンタグを引用した理由はここにある。病にはイメージがつきまとう。










1982年の『隠喩としての病い』と1992年の『エイズとその隠喩』の合本。お得なんだかどうなんだかさっぱりわからないけれど、ボリュームの割には高いかな、と思わないこともない。今さらかたっぽだけを読むつもりもないので、僕としては好都合だ。
奇妙といえば奇妙な合本だ。がんとエイズ。現代における2つの「死病」を扱う本となっている。いや。いた、という言い方の方が適切かもしれない。

僕の、せいぜいここ20年数年程度の感触からずれば、エイズという病気の変わりようこそが劇的であったように思える。
20年前のエイズのイメージと言えば、完全に「死病」であった。最初にその病気の存在を知ったのはいつだろう、と思えばフレディ・マーキュリーだろう。91年?92年?どっちにしても四半世紀前の話になる。
確実に命を奪う恐ろしい病であったエイズは。それは最近ではどうも、少なくとも「死ぬ病気」ではなくなりつつある。少なくとも十分お金のある人の間では。
あんなに世間を震撼させた病気がこんなに短期間で劇的にイメージが変わってしまうことに驚く。ソンタグがそのことを知ればもっと驚いただろう。
そして、もう片方の死病であるがんにについては、四半世紀のイメージの変わらなさにも、もうひとつの驚きがある。


病気そのものが、メタファーを帯びてしまうこと。それがこの合本に通底するテーマでろあるのだろう。病気は症状とともに、「イメージ」を背負う。病人の性質・性格の表出だと捉えられた場合もある。

たとえば結核。18世紀には芸術的な性向を持つものがかかるとされていた。
病を得て、さらにセンスに磨きがかかる、みたいな。結核患者の症状である顔の紅潮が、あたかも才能のきらめきに擬せられていたり。「メランコリック」は今では人のメンタリティを形容する言葉の一つだが、以前は疾患としての特徴を指し示すものであったというくらいで。
結核の人に会ったことはないので芸術家肌に見えるのかどうか、僕にはよくわからない。しかし、たとえば高杉晋作という人は、結核で短い生涯を終えたくらいのことは知っている。司馬遼太郎の『坂の上の雲』では豪放磊落さと繊細さが入り混じった人となりが描かれていて、そんなものかな、と思う。



そしてがん。
がんは結核とは病気の種類も違うし、そこに含まれるメタファーもずいぶん違う。
「ひょっとしたらこの病気にはロマンティックな憂愁の影がなく、そのかわりロマンティックなところのない暗鬱があるからだろうか」p55
『隠喩としての病い』の発刊は1982年。ソンタグは「エイズとその隠喩」において、自身もがん患者だった経験を踏まえ、「イメージに惑わされないために書いた」と述べている。ソンタグが「隠喩としての病い」の中で強く指弾しているのが、いわゆる「病は気から」みたいな「信仰」であった。
ディスオーダーは内臓や身体の中で起きているのであって、本人の意識の中のことではない。それを本人の「気の持ちよう」に還元してしまうのはおかしい。そんな風に述べている。あたりまえといえばあたりまえ。

当時の医学常識うんぬんではなくて、「病が隠喩を背負い込むこと」そのものを批判的に捉えたのだろう。がんは確かに多くの人の命を奪う恐ろしい病気だ。隠喩がその「恐ろしい」イメージの拡張に手を貸している。病気そのものと病気がもつイメージの双方は、患者を追い詰めるだろう。
たぶん、82年の彼女は、自身のがんと戦いつつ、植え付けられたイメージを振り払う戦いを繰り広げていた。彼女にとっては病気と、病気の持つイメージは別のことではなく、さながら2つの影を持つ、一つの実体であっただろう。
彼女の筆致は理性的だ。ただ、がんと戦いながら書いているという話を聴いてしまうと、書くことで自らを鼓舞していたのだろうか、と思わなくもない。「致命的」というイメージを持つ病を得てしまった恐怖との格闘。
単にリベラルである以上の熱量が、ひっそりと注ぎ込まれているような感じがする。


病気の原因のひとつに本人の性格や気持ちがある、と言われかねない世論が当時あったのだとしたら、彼女の戦いは、そうした空気の脱魔術化であったかもしれない。
しかし、キラーT細胞の活性とストレスの関係は近年つと指摘されている。ソンタグの時代から20年を経過した現代では、一周回って意識と病気の関係が再び注目を集めているのだ。皮肉なことだ、と言うしかない。

彼女の文章には明晰さと力強さをがあり、なにかしら心を揺さぶる。しかし、その論理建ては不思議と印象に残らない。写真のようだ、と思う。ばしっとその瞬間を撮りきってしまった。
そういった感覚は、悪しきイメージを一閃のもとに断ち切るソンタグのイメージとやや重なり、やや心地よくもある。そもそも、彼女は批評家なのだから、実に彼女らしい、といったほうが適切だろう。




本論から少し離れて。
がんと格闘の末、一度は勝ち切るソンタグであったが、最期はついにがんに倒れる。余命からすれば30年以上あったわけだから、余命としては異例の長寿であったかもしれない。
しかし、最期に彼女が何を語ったのか。そこはやはり気になる。

今度読んでみよう。
死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々
デイヴィッド リーフ
岩波書店
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強き人が、ついに墜つ。野次馬みたいな気持ちは、どこかにあるのだろう。正直なところ。
しかし。真正のわたくし、にいつまでたってもたどり着かない、なまけものわたくしは、このことに少なからず興味がある。