勝手にお察ししてしまう。
彼は、本当にパリ協定を脱したかったのか。
どうも、そうではないような気がする。
そうではないとしたら、なんなのさ。
あ、これを読みまして。
目の前に迫ったトランプ退任、ペンス大統領就任 伊藤 乾 15.6.2017 JBpress
就任以来、世界の誰もが「トランプはマトモなのか」喧々諤々の議論を交わしているようだ。瀬踏みを続けて半年くらいは経っている。
あらためて、大統領だとか首相だとか。そういう存在の不思議さに感じ入る。かりそめにも民主主義を標榜する国であれば、その国のリーダーは国民を代表している。
もっとも多い意見を掬い取った人が、リーダーの座につく。はずだ。
自身がどんな意見を持っているかは関係なくて、一番ウケが良い意見がどれかを知ってさえいればよい。「美人投票」だ。
で、勝った後は掬い取った意見を施策に反映させる。彼自身をイスに座らしめた対価だ。それがおざなりにされるケースも、ままあるんだけれど。
しかし、約束を履行するのは、彼の本意なのかどうか。当選時、少し困惑した顔をしていたように思えていて、なんとなく気になる。
僕は「彼はマトモ」という前提で話をしているのだが。
トランプは「政治的に適切な態度」を向こうに回し、ヒールを演じることで、イスを手に入れた。彼の支持者と心を一つにするには、「無知で傍若無人なクラッシャー」を演じ続けなくてはいけない。
ところが、というか、誰もが思いつくことだけれども、承継者でありながら、反逆者であるのは、難しい。単なる継承者であればよい。単なる反逆者であれば、それは革命だし、そもそも民主主義だし。
であれば、彼を支持している人は、どのような人なのだろう。なぜ、壊したいんだろう。
本書、実はトランプとは関係のない文脈で書かれた本だ。
著者はラスト・ベルトと呼ばれる工業地帯の出身で、その地域の経済はひどく調子が悪く、人の心がひどく荒んでいること。貧困から抜け出せない人がたくさんいること。
幸運と努力により、たまたま貧困から抜け出してイェールを卒業してしまった著者がそれを振り返る。
そのラスト・ベルトは、たまたまトランプ支持層の居住地と重なるのだ。たまたま。
トランプに熱狂する白人労働者階級「ヒルビリー」の現実 渡辺由香里 NEWSWEEK 4.11.2016
これを読むと、問題が那辺にあるのかが分かる。エライことになっている。
ヒルビリーの置かれている現状は、開発援助の文脈でよく云われるような「援助慣れし、堕落したアフリカ」論に近い印象を受ける。
事態はそれほど深刻だということなのだろう。
ちなみにヒルビリーの人々は、僕が好きなアメリカ人の印象にかなり近い。
粗野で、不器用で、しかし誇り高く、家族を愛するアメリカ人。ヒルビリー出身である著者は彼らのことを愛憎交えて、でもどちらかと言うと愛情過多でお送りしている。
そしてそうした一典型としてのアメリカ人のことを、僕はキライじゃない、好ましい。
こういうのは当世流行らない。ポリティカル・コレクトネスからもずいぶん遠い。
しかし、系譜としてのアメリカ人、ワイルド・フロンティアを抱えていた時代のアメリカ人を想起させる。
それはさながら『怒りの葡萄』の世界だ。誇りと愛情を胸に抱き、時代に翻弄されながらも希望を見出し、不器用に生きていく人々の姿をスタインベックは丹念に描き出した。
著者によると、ヒルビリーは、貧困に苛まれ、ドラッグやアルコールの問題を抱え、それに慣れ、努力を放棄し、他責的になっているという。
彼らから誇りが失われたのだとすれば、不器用さ(と愛情)が残るだろう。『怒りの葡萄』から80年くらい経って、彼らは相変わらず時代に翻弄されている。
ひとことで言ってしまえば、努力を自ら放棄した誰かさんにつける薬はない。しかし、そうせざるを得なかった経緯はある。
彼らはある意味でアメリカから疎外され、捨象されているのだ。そして、そんな人々が、トランプを選んだ。
彼らは壊したいのだ。単純に。そう思わざるをえない。
オバマは確かに見識の高い、立派な大統領だった。オバマケアを始め、決して国内の課題を蔑ろにしていたわけでもない。しかし、国内に広がるモザイクの、少なくとも一部を放置し続けたのかもしれない。この国だって、彼の国のことは言えないのだが。
彼らにはオバマの為したことはまったく響かなかっただろうし、トランプの「アメリカ・ファースト」は心に響いただろう。
トランプは雇用を創出すると云った。移民の流入を制限すると云った。あるいは、(経済を低迷させるから)パリ協定からの離脱を表明した。
もちろんその方針は支持されている。それによって疎外されている人たちが救われれば、彼は名宰相ということになるだろう。少なくとも国内的には。
気になるのは、ヴァンスが本書で繰り返し述べている希望を失い、努力を放棄しているようなヒルビリーたちの態度だ。トランプがマトモか否かよりも、彼を勝たせた支持者が、マトモではないかもしれない可能性について、考える。あるいは心配する。
例えが大変悪いのは承知しながらいう。
中毒患者が求めるのはまずは中毒物質なのだろう。求めに応じてその物質を差し出すのは、普通、良くないことであろう。
本当に必要なのは別の何かであろう。その何かは患者にとっては、さしあたり不要にみえたりイヤなものだったりするだろう。
中毒患者は「愚か者」なのだ。タバコ中毒の僕がいうのだから、間違いない。
百害あって一利なし。胸を張って、そのように言おう。
ヒラリーが勝てばよかったのかというと、そうでもない。民主党が勝利したら、ヒルビリーは捨象され続け、問題が表出されなかったということだ。
だから、よくない。
アメリカという国の宿痾が抉り出された点において、トランプの勝利には意味があったのではないか。そんな風に思う。
しかしやはり、超大国の宰相としてどうなのか、という疑問は残り続ける。
結局のところ、トランプは不本意であれ、「愚か者」に忖度しなければならない男なのだ。
トランプの云う「偉大なアメリカ」とは、どんな国なのだろう。思ったよりも根が深い、残酷な事実を突きつけられた思いのする一冊だった。
彼は、本当にパリ協定を脱したかったのか。
どうも、そうではないような気がする。
そうではないとしたら、なんなのさ。
J.D.ヴァンス
光文社
売り上げランキング: 592
光文社
売り上げランキング: 592
目の前に迫ったトランプ退任、ペンス大統領就任 伊藤 乾 15.6.2017 JBpress
就任以来、世界の誰もが「トランプはマトモなのか」喧々諤々の議論を交わしているようだ。瀬踏みを続けて半年くらいは経っている。
あらためて、大統領だとか首相だとか。そういう存在の不思議さに感じ入る。かりそめにも民主主義を標榜する国であれば、その国のリーダーは国民を代表している。
もっとも多い意見を掬い取った人が、リーダーの座につく。はずだ。
自身がどんな意見を持っているかは関係なくて、一番ウケが良い意見がどれかを知ってさえいればよい。「美人投票」だ。
で、勝った後は掬い取った意見を施策に反映させる。彼自身をイスに座らしめた対価だ。それがおざなりにされるケースも、ままあるんだけれど。
しかし、約束を履行するのは、彼の本意なのかどうか。当選時、少し困惑した顔をしていたように思えていて、なんとなく気になる。
僕は「彼はマトモ」という前提で話をしているのだが。
トランプは「政治的に適切な態度」を向こうに回し、ヒールを演じることで、イスを手に入れた。彼の支持者と心を一つにするには、「無知で傍若無人なクラッシャー」を演じ続けなくてはいけない。
ところが、というか、誰もが思いつくことだけれども、承継者でありながら、反逆者であるのは、難しい。単なる継承者であればよい。単なる反逆者であれば、それは革命だし、そもそも民主主義だし。
であれば、彼を支持している人は、どのような人なのだろう。なぜ、壊したいんだろう。
本書、実はトランプとは関係のない文脈で書かれた本だ。
著者はラスト・ベルトと呼ばれる工業地帯の出身で、その地域の経済はひどく調子が悪く、人の心がひどく荒んでいること。貧困から抜け出せない人がたくさんいること。
幸運と努力により、たまたま貧困から抜け出してイェールを卒業してしまった著者がそれを振り返る。
そのラスト・ベルトは、たまたまトランプ支持層の居住地と重なるのだ。たまたま。
トランプに熱狂する白人労働者階級「ヒルビリー」の現実 渡辺由香里 NEWSWEEK 4.11.2016
これを読むと、問題が那辺にあるのかが分かる。エライことになっている。
ヒルビリーの置かれている現状は、開発援助の文脈でよく云われるような「援助慣れし、堕落したアフリカ」論に近い印象を受ける。
事態はそれほど深刻だということなのだろう。
ちなみにヒルビリーの人々は、僕が好きなアメリカ人の印象にかなり近い。
粗野で、不器用で、しかし誇り高く、家族を愛するアメリカ人。ヒルビリー出身である著者は彼らのことを愛憎交えて、でもどちらかと言うと愛情過多でお送りしている。
そしてそうした一典型としてのアメリカ人のことを、僕はキライじゃない、好ましい。
こういうのは当世流行らない。ポリティカル・コレクトネスからもずいぶん遠い。
しかし、系譜としてのアメリカ人、ワイルド・フロンティアを抱えていた時代のアメリカ人を想起させる。
それはさながら『怒りの葡萄』の世界だ。誇りと愛情を胸に抱き、時代に翻弄されながらも希望を見出し、不器用に生きていく人々の姿をスタインベックは丹念に描き出した。
著者によると、ヒルビリーは、貧困に苛まれ、ドラッグやアルコールの問題を抱え、それに慣れ、努力を放棄し、他責的になっているという。
彼らから誇りが失われたのだとすれば、不器用さ(と愛情)が残るだろう。『怒りの葡萄』から80年くらい経って、彼らは相変わらず時代に翻弄されている。
ひとことで言ってしまえば、努力を自ら放棄した誰かさんにつける薬はない。しかし、そうせざるを得なかった経緯はある。
彼らはある意味でアメリカから疎外され、捨象されているのだ。そして、そんな人々が、トランプを選んだ。
彼らは壊したいのだ。単純に。そう思わざるをえない。
オバマは確かに見識の高い、立派な大統領だった。オバマケアを始め、決して国内の課題を蔑ろにしていたわけでもない。しかし、国内に広がるモザイクの、少なくとも一部を放置し続けたのかもしれない。この国だって、彼の国のことは言えないのだが。
彼らにはオバマの為したことはまったく響かなかっただろうし、トランプの「アメリカ・ファースト」は心に響いただろう。
トランプは雇用を創出すると云った。移民の流入を制限すると云った。あるいは、(経済を低迷させるから)パリ協定からの離脱を表明した。
もちろんその方針は支持されている。それによって疎外されている人たちが救われれば、彼は名宰相ということになるだろう。少なくとも国内的には。
気になるのは、ヴァンスが本書で繰り返し述べている希望を失い、努力を放棄しているようなヒルビリーたちの態度だ。トランプがマトモか否かよりも、彼を勝たせた支持者が、マトモではないかもしれない可能性について、考える。あるいは心配する。
例えが大変悪いのは承知しながらいう。
中毒患者が求めるのはまずは中毒物質なのだろう。求めに応じてその物質を差し出すのは、普通、良くないことであろう。
本当に必要なのは別の何かであろう。その何かは患者にとっては、さしあたり不要にみえたりイヤなものだったりするだろう。
中毒患者は「愚か者」なのだ。タバコ中毒の僕がいうのだから、間違いない。
百害あって一利なし。胸を張って、そのように言おう。
ヒラリーが勝てばよかったのかというと、そうでもない。民主党が勝利したら、ヒルビリーは捨象され続け、問題が表出されなかったということだ。
だから、よくない。
アメリカという国の宿痾が抉り出された点において、トランプの勝利には意味があったのではないか。そんな風に思う。
しかしやはり、超大国の宰相としてどうなのか、という疑問は残り続ける。
結局のところ、トランプは不本意であれ、「愚か者」に忖度しなければならない男なのだ。
トランプの云う「偉大なアメリカ」とは、どんな国なのだろう。思ったよりも根が深い、残酷な事実を突きつけられた思いのする一冊だった。