少し前の話になる。チェスター・ベニントンの訃報。
今年はずいぶん、たくさんの人が死ぬのだ。
Linkin Parkに私淑していたことはない。
ないけれど、それでも好きだった。そういっていいのだろうと思う。
レコードが出る度にチェックしてたし。
今年リリースされた新譜は、彼らからすれば驚くほどポップであった。
しかし考えてみれば、彼らは常にポップであった。
ポップである以上に、獰猛であっただけだ。
してみると、このポップさは、残滓としてのポップさ、なのだろうか。
曲のとおり、重たい。
しかし、美しい曲だ。ディストーションの効いたギターが後ろにいないから、彼の声に焦点があたる。情感を揺さぶられる。彼は実に優れた歌い手であった。
この曲で41歳の男は、あんまり誤解の余地がないイメージを残している。お医者さまに相談したのならば、しかるべき立派な名前を付けてくれるだろう。
しかし、見るべきはそうした病名ではない。名付けられたひとりひとりが、個別の情況で、個別の苦しみに直面していることなのだろう。
事実であろうと、比喩であろうと。そもそも、名付けられていようといなかろうと。
とまれ、なにやら重たいものを引きずっていた男は、その重み耐えきれず押しつぶされたらしい。外野の人間からすれば、ひとまず、そんなことを思う。
何かを担おうとしていた。今やその意志だけが、ふわふわと、辺りを漂うようだ。
余談なんだけど、一緒に歌っているKiiaraもいい歌い手だ。
少しおっかない顔をしたおねいさんですが、若干22歳の若者だそう。透き通った、いい声をしている。"deep"を”ゼィープ"と発音している。メリケンキッズの間では、そういう流行りなんでしょうか。
歌詞を読んでも意味がとれないし、あんまり意味があるとも思えない。
たくさんの感覚・感情。
説明できないことは、説明にはしないほうがいいのだ。
伝えたいことは、なんとなく伝わると思うから。
一方、で、という言い方はどうなんだろう。Mr.Bigの新譜が出ている。
重力に抗う。そんなタイトルの、ゾウが逆立ちしたレコード。
ドラマーがパーキンソン病を患った。しかし、解散しないし脱退もさせない。
そう決めた。そのことが起こってから、2作目になる。
20年以上彼らの音楽を聴いている。
彼らの音楽は、高い技量を持った4人の身体で作り出されていた。身体性は、彼らの音楽性を語る上で、大きな要素を占めていた。
だからその欠落は、僕をひどく落ち込ませた。なにかが決定的に、永久に損なわれたのだ。その欠落は今作でも当然引き継がれているし、これからだってそうだ。
もはや、かつてと地続きのものとして考えてはいけない。
これからの彼らに、尖りきった何かは期待してはいけない。
長ったらしい前置きを踏まえて、良いレコードであったと思う。
緩慢な、おぼつかない仕草でドラムを叩くパット・トーピー。
その姿は、楽器を自らの手足のように扱うほかの二人(セッション・ドラマーを入れれば三人だけれど)と、残酷なほどの対比を描く。
セッション・ドラマーだって、やりにくいだろう。彼が本当に死力を尽くしてギター、ベースと渡り合うとしたら、パットはドラムキットを降りなくてはいけない。矛盾を孕んだ折衷案が、今のMr.Bigを中途半端なものにしてしまっていると思う。
しかしまあそんな中で、なんだかこのおぢさんたちは、楽しそうである。
アスリートのように高い身体性を持ち味にしていた人が、その身体を失ったとき。
それは文字通り、生まれ直しや、学び直しを意味するのかもしれない。身体の動かし方。これからの生活の仕方。人生の楽しみ方。パットの姿を見て、そんなことを思う。
その意味で彼は確かに、「重力」に対抗しようとしているのかもしれない。
チェスターとパット。どちらが良いとか悪いとか、云いたいわけではない。
そんなのまったくおこがましい。
パット的な生は政治的に正しい。ヒューマンドラマになる。
でも、きれいごとだけがそこにあるはずはない。彼だって問題や葛藤があるだろう。
チェスターは?彼は重たい荷物を降ろすことができた。
死者にこれからはない。ただ伝説になるだけだ。
価値中立。ぼんやりと、そんなことを考える。
いろいろなことを考えたりしてみたのだけれど、いまひとつしっくりとこない。
対照的な、生のかたち。
そこにばかり、目がいく。
Linkin Park
Warner Bros / Wea (2017-05-19)
売り上げランキング: 513
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Linkin Parkに私淑していたことはない。
ないけれど、それでも好きだった。そういっていいのだろうと思う。
レコードが出る度にチェックしてたし。
今年リリースされた新譜は、彼らからすれば驚くほどポップであった。
しかし考えてみれば、彼らは常にポップであった。
ポップである以上に、獰猛であっただけだ。
してみると、このポップさは、残滓としてのポップさ、なのだろうか。
曲のとおり、重たい。
しかし、美しい曲だ。ディストーションの効いたギターが後ろにいないから、彼の声に焦点があたる。情感を揺さぶられる。彼は実に優れた歌い手であった。
この曲で41歳の男は、あんまり誤解の余地がないイメージを残している。お医者さまに相談したのならば、しかるべき立派な名前を付けてくれるだろう。
しかし、見るべきはそうした病名ではない。名付けられたひとりひとりが、個別の情況で、個別の苦しみに直面していることなのだろう。
事実であろうと、比喩であろうと。そもそも、名付けられていようといなかろうと。
とまれ、なにやら重たいものを引きずっていた男は、その重み耐えきれず押しつぶされたらしい。外野の人間からすれば、ひとまず、そんなことを思う。
何かを担おうとしていた。今やその意志だけが、ふわふわと、辺りを漂うようだ。
余談なんだけど、一緒に歌っているKiiaraもいい歌い手だ。
少しおっかない顔をしたおねいさんですが、若干22歳の若者だそう。透き通った、いい声をしている。"deep"を”ゼィープ"と発音している。メリケンキッズの間では、そういう流行りなんでしょうか。
歌詞を読んでも意味がとれないし、あんまり意味があるとも思えない。
たくさんの感覚・感情。
Atlantic Records (2016-03-22)
売り上げランキング: 22,443
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説明できないことは、説明にはしないほうがいいのだ。
伝えたいことは、なんとなく伝わると思うから。
一方、で、という言い方はどうなんだろう。Mr.Bigの新譜が出ている。
Mr. Big
Frontiers Records (2017-07-21)
売り上げランキング: 76,244
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売り上げランキング: 76,244
重力に抗う。そんなタイトルの、ゾウが逆立ちしたレコード。
ドラマーがパーキンソン病を患った。しかし、解散しないし脱退もさせない。
そう決めた。そのことが起こってから、2作目になる。
20年以上彼らの音楽を聴いている。
彼らの音楽は、高い技量を持った4人の身体で作り出されていた。身体性は、彼らの音楽性を語る上で、大きな要素を占めていた。
だからその欠落は、僕をひどく落ち込ませた。なにかが決定的に、永久に損なわれたのだ。その欠落は今作でも当然引き継がれているし、これからだってそうだ。
もはや、かつてと地続きのものとして考えてはいけない。
これからの彼らに、尖りきった何かは期待してはいけない。
長ったらしい前置きを踏まえて、良いレコードであったと思う。
緩慢な、おぼつかない仕草でドラムを叩くパット・トーピー。
その姿は、楽器を自らの手足のように扱うほかの二人(セッション・ドラマーを入れれば三人だけれど)と、残酷なほどの対比を描く。
セッション・ドラマーだって、やりにくいだろう。彼が本当に死力を尽くしてギター、ベースと渡り合うとしたら、パットはドラムキットを降りなくてはいけない。矛盾を孕んだ折衷案が、今のMr.Bigを中途半端なものにしてしまっていると思う。
しかしまあそんな中で、なんだかこのおぢさんたちは、楽しそうである。
アスリートのように高い身体性を持ち味にしていた人が、その身体を失ったとき。
それは文字通り、生まれ直しや、学び直しを意味するのかもしれない。身体の動かし方。これからの生活の仕方。人生の楽しみ方。パットの姿を見て、そんなことを思う。
その意味で彼は確かに、「重力」に対抗しようとしているのかもしれない。
チェスターとパット。どちらが良いとか悪いとか、云いたいわけではない。
そんなのまったくおこがましい。
パット的な生は政治的に正しい。ヒューマンドラマになる。
でも、きれいごとだけがそこにあるはずはない。彼だって問題や葛藤があるだろう。
チェスターは?彼は重たい荷物を降ろすことができた。
死者にこれからはない。ただ伝説になるだけだ。
価値中立。ぼんやりと、そんなことを考える。
いろいろなことを考えたりしてみたのだけれど、いまひとつしっくりとこない。
対照的な、生のかたち。
そこにばかり、目がいく。