2018年4月8日日曜日

王さまはおしゃべりさん

これは意外であった。とっても意外だった。
ミサイル的な飛翔体がこちらに向けて発射された時よりもむしろ、賽は投げられた感が強いのはなぜだろう。

彼は本当はわるいやつじゃないかもしれない。
叔父殺しであるけれど、この際それは割り引く。なにしろ彼は王さまだ。
僕らみたいな小市民の定規を当てはめてはいけない。そんなことは思うのだ。

王さまがおしゃべりであることは、どのような意味をもたらすだろう。

テレビと機関紙が王の意見を代弁している(ように見える)点が、かの国の優れた戦略である。かねがねそう思っていた。
王は何も言わない。一方、「王さまは絶対」の国で公表された記事であれば当然、報道は王の意に叶う。外国は一生懸命官製メディアの言葉に耳を傾け、なにかしらの忖度をしさえする。
でも結論は一緒。王は何も云わない。王自身の意思に関する情報は、ここからは得られないのだ。
そういうのって頭がいいと思うけれど、中国もそうだから社会主義国の倣いなのかもしれない。トランプさんよりもスマートだ。

しかし最近の王を見ていると、芸風を代えようとしているようだ。
そして、その路線変更は賭けだ。王は望む結果を手に入れることができるのか。


饒舌の王が再び無口の王に戻る時はいつだろう。王の望みが果たされなかった時だ。
無口の王に戻ったとしたら、すべてが元通りだろうか。そんなことはない。
王は既に口を開いたのだ。再び口を閉ざしたとしても、彼の云ったことは残る。明らかになった王の意思を前提として周囲は動く。以前の王より「読まれる」。

王は今、渡りきりたい危ない橋を渡っている最中ではないか。

そもそも、王は何を望んでいるか。
あるいは、王は自身の望みを理解しているか。
さらには、タフなプレーヤーが揃うなかで、王はどれくらいの勝算をもっているのか。
帝王学を修めていない僕にはわからない。でも素朴に考えて、これから数ヶ月間の間に何が起こるのか想像するのは、けっこう難しい。
それくらいの何かが起こってもおかしくないし、逆に何も起こらないかもしれない。


でも王がおしゃべりになったということは、彼は何かを選択したということだ。
だからここから、不可逆的な変化が起こるような気がするのだ。