2018年6月10日日曜日

「国難」とか簡単に言わない方がいいと思うの

土木業界の片隅でメシ食ってます。どちらかというと山手の方です。

南海トラフ被害、20年間で最悪1410兆円 土木学会が推計 8.6.2018 日経新聞

ニュースを見ていて言葉の使い方が鼻につく。気に入らない。
「国難」だとか、「最貧国に落ちる」だとか。ずいぶん煽る言い方をする。
そういうのは科学らしくない。
と思ってのエントリーです。


レジリエンス委員会報告書「『国難』をもたらす巨大災害対策についての技術検討報告書」を公表しました 7.6.2018 土木学会
ああもう、このひとたちはプレスリリースからすでに、こんな言葉を使っていたのか。

市民の理解が進まないことに危機感を感じているとか、あるのだと思います。「ゴールデンタイム」はこうしている間に着々と過ぎている。今できることを、みたいな。
土木学会の人はこうも言っていた。「想定外」を理由にできるのは、東日本で最後だと。
かっこいいじゃない。研究者や技術者の矜持が透けて見えるよう。

それでも残る違和感。これは何か。

その矜持がどこか、内弁慶に聞こえる。
日本人を相手にしてるとしても、彼らは「最貧国」をまるで地獄と云っているように聞こえる。そもそも、貧しきものを助けるのは、科学者や技術者の責務のひとつではないのか。


もうひとつ。
専門家は、数字や無味乾燥な表現で、ものを語るべきなんじゃないか。
専門家が難解過ぎるから科学離れが進むなんてことは言われるし、タコツボ的説明は面白くない。
今は昔と違って、キュレーターやコミュニケーターという人たちが結論を解釈する。あるいは、アナウンサーや解説者が好き勝手に云うだろう。
そもそも、今回出た数字から明らかになることは背筋が凍るような話なのだろう。
「国難」「最貧国」が独り歩きして、受け取り手に予断を持たせるような表現をしてしまうのは、どうなのか。


最後に。
どんなに衝撃的な予測も、生きている人が出している以上、ポジション・トークを免れ得ない。どんなに誠実な人であっても、それは変わらない。
放置しておいたら被害が大きくなる。対策を施すことで被害を小さくできる。だから対策しようよ。よろしい。
じゃあ、その対策費用は、どこから拠出されるべきか?
増税して賄うべきだろうか?他の使途を変更して当てるべきだろうか?
それは誰かが決めてくれるのか?
決めなくちゃいけないことがたくさん出てくる。
報告書は、それらの質問に答えてはくれない。

まだある。
首尾よくお金が用意できたとする。
そのお金がどこに行くのか。誰が得をするのか。

あるいは、残念ながらお金が用意できなかったとする。
さらには、彼らの想定した最悪の事態となってしまった場合。
どうなるだろう。
云うべきことを云った。彼らはきっと、そういうだけだ。

提言っていうのはどこか、ズルいところがある。
出しておいて損はないし、どっちに転んでも、彼らは安全なのだ。


東電の刑事責任を問う裁判を少し思い出す。
詳報 東電 刑事裁判「原発事故の真相は」 NHK NEWS WEB
未だ、なかなか難しいところがある。
振り返っているのに、はき、としたことが言えない。
東電は悪かった。確かに過失があった。でも東電は経営主体だ。彼らも限りあるお金の配分について、頭を悩ませたはずだ。
大津波を経た今は結論は明らかだが、当時はその結論が自明だったか。
たとえば、今回の土木学会の提言に基づく対策が行われなかったとしたら、「予見できたのにしなかった」ことになるのだろうか。

僕らは未来に開かれていて、その未来はさらなる未来に刻印されている。
過去の「なされ方」から僕らが学べるもっとも大きなことは、「わかっていてもできないことがある」ことなのかもしれない。