2018年6月18日月曜日

『脳はいかに治癒をもたらすか』を読んで、パットさんに思いを馳せる

親しらずを抜いたら腫れが引かなくて、ひどい一週間をすごしている。
歯は、大事ですぞ。健康、大事ですぞ。
みなさまもお気をつけて。

METALLION(メタリオン) vol.63
METALLION(メタリオン) vol.63
posted with amazlet at 18.06.16

シンコーミュージック
メタリオンはパット・トーピー特集。

パーキンソン病の合併症であった、とのこと。これ以上の情報はない。
難病ではある。しかし、死ぬ病気ではないと思っていたものだから、呆気にとられた。
彼は昨年来日し、コンサートに出演しているのだ。
あまりの落差に、釈然としない気持ちになる。

過日、Judas Priestのグレン・ティプトンも自身のパーキンソン病とツアーからの引退を表明した。最近どうも、こんな話題が多い。



パーキンソン病やALS、痴呆と言った病気は、がんやエイスのように、現代における「隠喩としての病」ではないか。そんなことを思う。
意味するところはなんだろう。
不可逆性、という言葉が思い浮かぶ。

人はひとつの細胞が分裂し、機能を分化させ、能く動く身体を形作り、固定化する。
身体性や性格も含め「私」は「私」になる。
一方で、脳や神経の損傷は回復しない傷になる場合がある。
そうすると、分化した機能が脱落する。

怪我や疾病は昔からあった。もちろん老いもそうだ。
しかし、我々がかつてなく、長く生きるようになった。
結果、僕らが機能の「脱落」に出くわす機会は、昔よりも多いはずなのだ。

「能く動く身体」という価値、さらには「私」そのものが不可逆的に損なわれる恐怖。
こういうのって、やはりこの時代だから、ということがあるのだと思う。


そこで。

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線
ノーマン ドイジ
紀伊國屋書店
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必ずしも不可逆ってわけではない、という話。

ここでは可塑性という言葉が示される。
可塑という言葉は普段あんまり使われない。塑像というと粘土像のことだ。
こちこちに固まって、衝撃で割れるものではなく、柔らかで、いくらでもこね返せる質感。
脳みそはどうやら、奪われたものを奪い返すくらいのポテンシャルはあるようなのだ。

外傷、パーキンソニズム、自閉。
本書では、脳にまつわる様々な傷病に関するケーススタディが示されている。共通するのが、治療に先立ってはまず、脳みそを落ち着かせること。
ノイズでいっぱいになった脳みそは、身体を能く動かくために必要な情報を受取ることができない。まずはノイズを除去し、沈静化させる。その上で、必要な情報を与える。
脳は情報を正しく認識する。正しく認識することで回復する。そういってもいいのかもしれない。
本書ではレーザーや音楽、特殊な機械を用いた様々な症例と治療法が紹介されているが、ノイズ除去というのはある程度共通したプロセスであるようにみえる。
脳を治癒するにあたって、現在ではさまざまな治療法があるようだ。
もしくは、気合。
「歩くことでパーキンソン病の症状をつっぱねた男」は、まさに病を気合で打ち負かしてしまった。病は気から。そうまとめてよいか。

一つには、脳は使わなければ失われる組織であり、人は「不使用の学習」をする。歩けなくなるのではなくて、歩けないことを学習してしまう。
もう一つには、パーキンソン病にはドーパミン欠乏との関連が指摘されている。
最近の研究では、「動きたい」と感じるのにもドーパミンが必要で、習慣化された動作にもこれが当てはまるという。20%のドーパミンを失った個体は、不使用の学習によりすぐに60%のドーパミンを追加的に失うという研究もあるのだそう。
結果、パーキンソンを罹患した人が運動量を減少させるのは「最悪の選択」となる。

動きの遅さ・少なさは病気に起因する場合もあれば、老化によるものもある。
そう、じいちゃんばあちゃんはゆっくり動く。
これについても、同じくドーパミンとの関連が指摘されていて、帰結は上記とまったく同じことが言えてしまう。
つまり。
いつまでも動いていたかったら、動かなくてはいけない。
にわとりとたまごのような話になる。

動かないと、動きたいと思えなくなる。
動きたいと思えなくなると、いつしか本当に動けなくなる。
やっぱ気合とか根性の話だった。
やや不本意だが、正しいらしい。

脳は危機に陥ってもリカバリーを模索する。快癒する場合もあるし、現状維持が精一杯の場合もあるだろうし、長く緩慢な後退戦を演じざるを得ない場合もある。
不可逆という言葉には、絶望的なニュアンスがある。でも、考えてみれば誰だって不可逆的に老いていくのだ。「不可逆的」でないあり方こそ、どこにもないはずだ。

そんなことを確認した上で。

たとえば、パットが必死に歩きまくっていたらどうであったか。
ファンとしては、そんなことを思わざるを得ない。
ところがこのパットさん、病気の公表前も公表後も精力的に動き続けていたようだ。

メンバーは全力でパットを動かし支えた。病人をすごく働かせた。2枚のレコードを作らせて、海外ツアーに連れ出し、ステージに上げ、観衆の前で歌わせた。
ビリーによると、最晩年のパットはかなり辛い状態であったようだ。
長いツアーは元気な人だって疲れるし、うんざりするだろう。
そもそも彼は、動きたくなくなる、動けなくなる病気であったのだ。

興味深いのは2011のツアーを前に、右手右足が不自由になってしまったときのエピソード。初だしのエピソードらしい。
パットの病状に、周囲はエレクトリック・ドラムやループ、サンプリング類の使用を提案した。しかし、彼は拒否し、右を使うパターンをすべて左に置き換えて演奏できるようにしたという。
ベテラン・ミュージシャンが練習し直して右利きを左利きに変えた、みたいな。
もちろん練習の虫なのでしょうよ。

前作"…The Story We Could Tell"は、病気公表後のレコード。ライナーノーツを書いた深民さんは、2011年のライブを聴くと、以前よりもバスドラムのキックが軽い、と指摘していた。
この時点の深民さんは、パットが右利きから左利きに変わったのを知っていただろうか。
そしてそのキックは、どちらの足だったんだろうね。
考え合わせると、興味が尽きない。
ヘッドフォンをして、酒飲みながら聴き比べをしたいところ。


早すぎだという思いは拭えない。脳は治癒するんだなんていう本を読んでしまうとね。
今とは違った在りようが、すぐ近くにあったのではないかと。
メンバーは、口々にパットの思い出を述べる。歌も上手いパワフルなドラマー、優しく理性的で男前、頭がよくて財を成した、妻と息子を愛した男。
これ以上付け加えることはない。

病めるときも前を向き、まさに完走というに相応しいキャリアではなかったか。
どこか腑に落ちたような思いが、僕の周りに漂っている。