2020年8月8日土曜日

読了から始まる随筆:『グリム童話と森』

子どもは日々、できることが増えていく。
おしゃべりは1歳半から怒涛の進歩。早くも日本語話者としての貫禄。
遊び方も上手になった、絵本のいちごをたべる、調味料を振る、コンロの火加減、のフリ。

遊びの半分は誰かのまねであるとすれば、もう半分はイマジネーションだ。
日々、見聞きしたことや、繰り返しせがまれるおはなしは、小さな身体どこかに吸収され、分解されているのだろう。
現実と想像の境目が曖昧と見えるのは、現実を定義して長いこと経った退屈な大人の観察に過ぎない。その退屈な現実すら、正しいかどうかわからない、とも付け加えよう。

だって僕の周りの人の背中には、ジッパーがついているかもしれないでしょ。

人生にワクワクを。さて。



学生時代のドイツ語の先生の話。松岡先生だ。 
かつて、森の中には不思議な存在がいた。人は森を分けて考えはじめることで、そうした存在が消えた。逆に考えると、分けて考える以前の人の記述は、人が「見たものをそのまま」書いている。つまり、それらは実際にいたことになる。
 もう20年前の講義だから、うろ覚えもいいところ。
 こういうソフト怪談ばかりが印象に残っていて申し訳ない。本当にごめんなさい。 

森はイマジネーションの源であった。
象徴的にも、実際的にも。


 『グリム童話と森 ~ドイツ環境意識が育んだ『森は私たちのもの」の伝統』
 森涼子 築地書館 2016 



著者の森さんは、ずいぶん林業に詳しい気がするのだけれども、林業用語はあんまり使わない。門外漢からの流れ弾とか、面倒だからかしら。
にもかかわらず、この本はアルフレッド・メーラーに触れたりして、さわやかに林学関係者を刺激する。著者は「恒久森林論」という言葉を使うが、林学では「恒続林思想」という言葉で学ぶ。

メーラーには「最も美しい森林は、また最も収穫多き森林である」という有名なテーゼがある。この言葉に共鳴した徳林家や技術者は日本にも少なからずいる。 

恒続林とは字のとおり「ずっと続く森」のことだ。 ずっと続く森、あるいはその森にまつわる物語は、終わりがない。
しかし、それが終わってしまうとすれば、どうだろう。 あるいは、「終わらないもの」の原初とは、なんだろう。 本書は、ドイツ的「終わらない森」の成立への探求と言い換えてもいい。
この本には、①酸性雨、②ナチスと森、③グリム童話と森3つのパートがある(と僕には読めちゃった)。著者からはお前には何ごとも言われたくないと思われているかもしれないけれど、以下、ざっくりとまとめながら、順に見ていく。 ネタバレ注意。

  • 酸性雨
酸性雨の被害は実際にあった。しかし、最初に心配されたようなドイツの森が枯れ果てるような事態にはならなかった。
1981年に初めて指摘された酸性雨の問題は、2003年に収束宣言が出された。事実よりも、「森の死」という言葉がドイツ人の心に深く突き刺さった。
確かに僕が小学生の頃(80年代末〜90年代はじめ)、酸性雨は大きな問題として報道されていた。これがいつの間にか、あんまり言われないようになった。
でも不思議に思う。ドイツは林学の母国として、優れた実務家や研究者を抱えていた。また、雑誌ネイチャーから酸性雨への対応に関する批判を受けたとある。それでも20年近くも「警報出しっぱなし」であった。これはあまり、科学的・合理的な態度とは思えない。
「森の死」がドイツ人の琴線に触れまくったとして、なにか腑に落ちない思いになる。

  •  ナチスと森
ナチスが政権をとった翌年、1934年に帝国森林荒廃防止法が発布された。
その森林法では、単一樹種一斉植栽を否定し、さまざまな樹種・樹齢の入り混じった自然な混交林を目指していた。この法律は皆伐を禁止し、選択的な伐採・収穫を意図していた。加えて選木基準が「劣った木」から伐採する形であった。 
著者は「ナチス的「営林」は、ナチスの「人種政策」を思い起こさせ」ないかと指摘する。確かに、劣勢木の選択・伐採は、優生主義やレイシズムを想起させるかもしれない。 
ちなみに上の施業法は、「自然な混交林」は『複層林施業』と呼ばれ、「選択的な伐採・収穫」は『択伐』と呼ばれる。お得意の林業用語への変換だ。一応関係者なので。
複層林や択伐の概念は古くからあったけれども、日本では比較的新しい施業法といっていいと思う。

「複層林−択伐施業」をナチスの施業法とすれば、日本の従来的な施業は「単層林−皆伐施業」 (単一樹種の一斉植栽、区画あたりの立木を全部伐採)と形容できる。 
 日本の従来的施業は「ナチス以前」ということになるのかもしれないが、現在でも広く行われている。日本はドイツから100年遅れとるね、という指摘があっても反論はない。

皆伐と比較すれば、択伐は効率が悪く、コストがかかる。しかし森林環境への負荷が低い施業だと評価できる。
もっとも問題もある。日本では択伐施業は技術的に安定していない、未完の技術体系のような印象だ。日本は平坦地が少なく土質が軟弱な上、アホほど雨が降る。ドイツの2.5倍降る。
日本の山はドイツの山よりも動くと思うのだ。
たぶん読者のみなさんが想像しているよりもずっと、山は動く。

若いころ先輩に云われた「設計思想を持て」という言葉を折に触れて思い出す。
僕はその先輩が大嫌いだったので当然、その言葉も嫌いになった。
三文技術者の云う哲学や思想なんて「一貫した考え方」程度のものでしかない。
偉そうに哲学や思想を語るな。片腹痛い。
そう思って。痛い側の腹をさすってニヤニヤしていたんですけどね。

メーラーのテーゼは、それだけを取り上げるととても美しい言葉だ。 
けれども、なにごとかを云っているようでありながら、実はなにも云っていない。 
なにごとかを云っている部分では議論が分かれる。
同じ択伐でも、選ぶのが優勢木か劣勢木かで意図が違うし結果は変わる。
仮に優勢木を伐るならば「ナチス的」の誹りを免れるか。
この種の話の射程は、けっこう遠い。

森を守る技術を研鑽した結果、ナチスに「利用された」メーラーは、どこを間違えたか。
生産性の向上に努めたアイヒマンはどこが間違えてたか、という類題もある。
技術が本気で思想を背負い込むとどうなるか。
時に破壊的であるはずだ。「技術の価値中立性」という議論では逃げられなくなる。
残念かつ幸いなことに、技術者がその問いに正面から向き合うことはほとんどない。
三文技術者である僕風情には、余りある問題だ。
択伐は、差別主義的な「悪しき技術」か。
著者はこのあたりをどのように認識されているか。
という話は、また別の機会で考えたい。すでにこのエントリーは十分長いから。

  • ドイツ人と森 
ロマン派は森を単なる場所ではなく、自分の感情(過去の思い出とか、自分の心の揺らぎとか)と結びつけて描いた。
グリム童話は蒐集した民間伝承を出版したもの。グリム兄弟はロマン派のイメージに沿うよう風景表現を変え、森の描写を加えていった。第7版ではおよそ半数に森が登場。物語展開の重要な場面になっている。  
グリム童話には猟師や森番といったキャラクターが出演するが、総じて悪者。彼らは領主に命じられた監視役で密猟や盗伐を防ぐ役目。領主にしてみれば、その森は王から封じられたもので、自分は所有者である認識に立っているのに対して、農民は古来から使ってきた「みんなのもの」であり、領主こそ他所者・使用権がない存在と映っていた。 
グリム兄弟が活動していた時代は、「童話の森」「ロマン派の森」「農民の森」「近代林学の森」が混在していた時代。 グリムのゲルマニア研究は、「森の民、古ゲルマン人」をドイツ人の共通の過去として「森」をドイツ人の「精神的故郷」として提示するもの。ドイツナショナリズムの中核となっていった。 
 僕、近代ヨーロッパのパースペクティブがまったくないんですけれども、ドイツって近隣国と比較して国としての統合が遅れた印象はなんとなくあります。 
あと、グリム兄弟って採集した物語を改変してたんすね。これは衝撃的な話。 
有名な話なのかと思ってググってみると、大野寿子さんという方の論文が。 

隣国フランスからもエピソードが持ち込まれ、物語がアップデートされた模様。 
これはもう、ドイツですらない。 
大野さんのお話を真に受けるならば、当時のドイツ(何という国号であったかは面倒なので割愛)の森林は皆伐跡地がたくさんあって、伐採跡地もしくは新植〜若齢林が広がっていた。
そういう場所には、イマジナティブな存在が住まうスペースはないし、大野さん云うところの「自然的ポエジー」だとか、森さん云うところの「ロマン派」の森もなかったのだろう。 


そうすると、こういうことになるのだろうか。 

グリム兄弟が手掛けたのは「私たちは何ものなのか」に関わる物語を蒐集し、再構成し、紡ぎ出す作業。「森」を紐帯とする、市民の統合。 
 面白いのが、なぜ人々の「綴じ紐」が「森」だったのか、という点だ。なぜエピソードを輸入してまで森にこだわるのか。これはわからない。
「森の民ゲルマン」は、時代が下っても、さらっとお腹に落ちてしまえるくらいの蓋然性がある関係性なのか。 

 書きながら、いろいろなことを思い出している。
 遠藤周作が『深い河』で神を「玉ねぎ」と形容していたこと。
司馬遼太郎がイデオロギーを「ありもしない「絶対」を、論理やら修辞やらでぐるぐる巻きにしたもの」とか云っていたこと。
信仰とかイデオロギーとかって、本尊を探す必要がなかったり、探したとしても見つからない種類のものごとのように思えるのよね。 
その意味で、物語の輸入というか補強というか改ざんというかまあ、アップデート。は、大した問題じゃないんだ。今日的には大問題ですけどね。
グリム兄弟にしてみれば、この仕事を通じた(喪失した)関係性の「再」構築を旨としていた。この再構築は、人と人の関係性であり、人と森の関係性である。 
そのようにして、とにかく関係性は構築された。
そのなかでは、「森の死」とは彼ら自身の死となる。
だから絶対に認めるわけにはいかない。 


 面白いといえば、冒頭の「酸性雨警報出しっぱなし」もそうだ。
 20年といえば、赤ん坊がビールを飲みだしたり、学生がおっさんになるには十分な時間だ。そして科学も相応に進んだりもする。
2003年の夏、緑の党が「「森の死」の終わり」を宣した。 
緑の党。これはキャンペーンだったんですね、と漸く僕は理解する。

キャンペーンの結果、何を得たか。
ドイツ市民は、永年にわたり涵養されまくった「森を守る心」の預け手を得たはずだ。森林だけではなく、反原発や気候変動とった環境問題対策の担い手。
ウィキペディアさんによると、緑の党は今では10%ほどを占める政党。初めて議席を取ったのは1983年。酸性雨の脅威に関する主張が共感を得たとある。

党勢の拡大はマッチポンプと言ってもいいし、森への心が、形となって結実したものと言ってもいい。
5%くらい皮肉は込めているけれど、率直にすごいことであると思う。
自称中道左派の僕からすれば、緑の党はとても先進的でかっこよくって、いつか日本にもああいう政党ができて、大きな力を持てばいいと思っていた。今では実際にあるけれど、ドイツほどには党勢を拡大できてはいない。
このことは日本人の後進性だとかに解を求めてはいけない。それこそ思考停止ではないか。切り口の一つとして、今まで見てきたような、彼我の背景の違いもあるはずだ。 
日本は森林がたくさんあるし、森が好きな人もいるけれども、人は森で統合されてはいない。
森がヤバい!で、僕らは勝手に身体を動き出さない。 


酸性雨警報の時代は、グリム兄弟の時代と似ているように思う。
当時も森林は危機に瀕していた。グリム兄弟には「市民の統合」という大義があり、物語の編纂を通じ実質的にキャンペイナーの役割を担っていた。
そんなことを考えていると、ナチスの時代とも相似形を描いているように思えてくる。

相似形といえば得意の歌枕理論ですよ。
誰かが100年に一回くらい歌枕を踏む。誰かが、まつしまや、と詠む。
すると「森」で統合された市民は「森の危機」に起動する。
 ポイントは「枕詞さえ踏めば、そこから先の主張はキャンペイナーに任されること」ではないか。歌枕は、統合を喚起するボタンであり、「森を守れ」という漠然とした方針がある。
そこから先は、その時の市民に任されている。 時代時代の正しさが、そこでは主張される。
 論理的・科学的な合理性よりも主張が優先される。

EUの一員としてのドイツという立ち位置や、増加している移民の話があるから、これからもこのボタンが起動し続けるのかはわからない。
しかし、ひとまずは、グリム兄弟の設計通りといってよいのではないか。



すでに森さんの本からは2光年くらいは離れたところに来てしまった。いつもどおりだ。

うちの娘は夜中に怪異を見たとして、見たとおりのことを言って泣きわめくだろう。
最近では、「いちごが食べられなかった」といって号泣していた。
親どもは、いつの、どこのいちごだかはさっぱりわからん。けど、しかし、
なんかロマン主義的だよね。そういうの。
そして、妻とか寝ぼけきった僕とかが、はいはい、といって適当にいなすだろう。
なんか魔王的(©シューベルト)だよね。こういうの。
縁起でもない。やめやめ。

できることは、眼差しを送り続けること。
そして、少しでも想像力を働かせること。
あとは。森に行くことだろうか。
想像力を高める必要が、特に僕にはありそうだから。