2024年10月11日金曜日

まなざし

写真で自分の顔をみるのは好きじゃない。そういう人は多いと思うから、僕もそのひとりだ。

まず、姿勢が悪い。猫背だ。そして目が座っている。なんだかいつも、機嫌が悪いみたいだ。

小学校のころ、お前は目が四角いな、と友だちに言われたことがある。軽いショックを受けた。そうか、僕は目が四角いのか。ごく軽い心の傷なのかもしれない。

見つめ合う、というのも苦手だ。子どもにすら、目を逸らしてしまう。目を見て話しなさい、というのができない。たぶん、一生できない。


一方、人の目を見るのは好きだ。視線を追うのが好きだ。こっそり見ている。

黒目がちな娘は、自分の求めるものに向かって一直線に見つめる。そして突撃を敢行する。いつか「目が四角い」と言われないか心配しているんだけど、たぶん世間的には「切れ長」ということなのだろう。

まんまるな目をしている息子は、目をくるくる回しながら辺りを見回す(プラレールで遊んでいる時を除く)。彼が見るのはモノではなくて、周囲の空気、雰囲気なのかもしれない。

それぞれ、見つめる先が違うのだな。


子どもたちを見つめる妻のまなざしが好きだ。微笑みながら、ふたりの仕草に優しげな目を送る(そうではないことも、ままあるのだけど、もちろん)。

妻のまなざしを見ると、子どものころを思い出す。僕らきょうだいを見る、母のまなざし。おおむねやさしかった(そうではないことも、ままあったのだけれど、もちろん)。

強くて厳しい父の視線は畏怖の対象であったことを思うと、僕も子どもたちにどう見られているのか、なんだかだいたい想像がついてしまう。

この子たちは母の視線に気がついているか。

奇妙なことに、ふたりとも「おかあちゃんは、わたし、ぼくのことを大好きだ」と当然のように断言する。だって、わたし、ぼくは、おかあちゃんのことが大好きなんだから。


まなざしで守られる。守られているから前に進める。親子なのだな、家族なのだな、と思う。