2013年3月5日火曜日

2つの風景

キリング・フィールドについて触れた文献は限りなくある。映画まである。
カンボジアにはキリング・フィールド呼ばれる場所がたくさんある。僕が行ったのは、プノンペンにある「一番有名なキリング・フィールド」であるにすぎない。

ポル・ポトは政権奪取以降、誰も信じられなくなった、という。
はじめは医師・先生・学者といった知識人。次に疑念が向けられた人々。しまいにはメガネをかけている人々も。俺、アウト。




原っぱが広がる。乾期特有の強い日差し。
木々が静かに陰影を作り出し、時折、思い出したように風が吹き抜ける。

説明がなければ、残された"窪み"が何を意味するのか、まずわからない。
悲しい感情が、いつまでも留まっているみたい。霊感とかないけれど。人とはつくづく、場所に意味を見出す生き物だ。そんなことを思う。


トゥール・スレイン収容所はキリング・フィールドの、言わば前奏曲に当たる。順路として、人々はトゥール・スレインからキリング・フィールドに送られた。収容所では当時、クメール・ルージュの少年少女も看守として働いていた。
収容所には少年少女たちの写真が飾られている。笑みを浮かべていたり、どこか生意気そうだったり。ごく普通の無邪気な子どもの写真。表情に暗い影は見られない。

大人になった彼らのインタヴューが掲載してあった。
あの時はそれしか選択肢がなかった。今だって選択肢はない。私は恐れている。
子どもは残酷という。でもすべての大人はいつかの子どもだ。

思うに、カンボジアが失ったのは人の命や知識、文化だけではない。人に対する信頼とか、なにか根本的なものが台無しなった。
彼らが親になり、先生になり、子どもに友情や信頼が教えることを想像してみる。
考えないこと/信じないことで生き延びることができた人が、信じることを教える。
それはまるで、悪い冗談みたいに倒錯した風景だ。

クメール語はさっぱりわからない。
街角やカフェで、遠慮がちににこやかに微笑む彼らを見る。
僕は勝手に想像して、勝手に怯える。



ホーチミン市の南の海にコンダオ島がある。飛行機で一時間ほど。フランス植民地時代から続いた、いわゆる監獄島だ。すでに監獄島としての歴史を終え、今は静かな島に戻っている。
主産業は漁業と観光。ベトナム的には「最後の楽園」と呼ばれる。風光明媚で観光開発がようやく緒をついたところ。5つ星ホテルも進出している。
おばちゃんが新鮮な魚を売る朝市は賑やか。実にうまい。残念ながらカマウよりうまかった。

この島、収容所の歴史が終わった時には既に、元々の地元住民と呼びうる人は追い出されて居なかったという。今いる人は、かつて収容されていた人と監視していた人。そしてその家族。不思議な島だ。



昔の面影を留める収容所跡も残されている。違和感を覚えたのは、町並みの区画が整然としていること。ベトナムにしては、きれいすぎる。
街に当たる部分はかつての収容所の区画だ。彼らは今でも「収容所」の中にいる。

雑誌のインタヴュー。
インタビュイーは解放され、故郷に帰って、なぜかまた島に帰ってきた人。
だって私まで島を離れたら、ここで亡くなった仲間が淋しがるでしょう?
だってさ。

元囚人と元看守がほんとうに仲良くできてるのか知らないけれど、とりあえずそんな風に暮らしている。



シェムリアップにはアキラ地雷博物館がある。日本人みたいな名前なんだけれどカンボジアの人です。ここには、アキラさんが解除した無数の地雷が陳列されている。敷地の裏手には地雷事故に遭った子どもたちが暮らす家がある。

博物館においてあった本。なんと日本語の本が。最初は翻訳がちょっと、と思ったけれど、読むうちに訥々とした語り口が彼の人柄を表しているようで。結局いい感じで読み終えた。

アキラの地雷博物館とこどもたち
アキ・ラー
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アキラさんは密告をした人でさえ、今では友だちだと言い切る。なぜそんなことが言えるのか、わからない。
地雷除去という彼のライフワークはもちろん素晴らしい。しかし、彼の「起こってしまったこと」への折り合いの付け方こそ、この国には大事なのかも。そんな風に思った。



本のなかには施設で暮らす地雷事故にあった子どものインタヴューが載っている。
将来は先生になりたい、と話す子どもがずいぶん多いこと。もう8年前の本だから、もしかしたら、今は先生として働いている子もいるのかな。



その場所に実際行って、触れる。
今までよりも、言えること/できることは減っていく。
しかし、それまで言えたこと/できたこととはつまり、無邪気さの裏返しではないか。
僕はどこかで、クメール・ルージュの少年少女の顔を思い出している。
無邪気さは結局、彼ら自身をスポイルし尽くしてしまった。今なお傷つけている。


僕らは日々を愉快に過ごさないといけない。ついてしまった傷は癒されないくてはいけない。新しい傷がつくのを防がなくてはいけない。

そういうのはたぶん、無邪気さとはまた別の営為だ。
だからその場所に行き、触れる。僕らは大人になっていく。