ところで僕はなぜ「パンセ」なんかベトナムに持ってきたのか。
印象に残った本。強いて挙げるなら、「思想地図β」東浩紀 編, contectures, 2011 。発刊時にはすでにベトナムにいたので、都合4ヶ月くらい後に僕の手元に届いた。東浩紀の巻頭言にドキドキ。
"震災でぼくたちはばらばらになってしまった。それは、意味を失い、物語を失い、確率的な存在に変えられてしまったということだ"和合亮一の詩に顔をしかめ、家長をめぐる鼎談に説得されたような、やっぱりよくわかんないような気持ちになり、津田大介のレポルタージュや案出された藤村龍至の復興計画βに読み入った。
6月に日本を離れて、僕の中の時間が止まってしまったような気持ちがしている。
日本のニュースを読めるから、今何が起こっているのかは知っている。しかし、それは単なる「知っていること」でしかなくて、僕の中の日本はあの日以来、宙吊りになってる。時間が経っていくことは知っている。皮膚感覚が付いていかない。
宙吊りのままにして、僕はベトナムに来てしまった。しばらくして届いたこの本を貪るように読んだ。
大学で林学から社会学へ軸足を移したとき、僕はとても混乱した。自分のやりたいことがうまく説明できなかった。自侭な言い方のせいで、大事にすべき友だちや先輩の信を失った。ちゃんと勉強していれば、もう少し違ったのかもしれない。まったく月並みな後悔だ。
今だって、ちゃんと立ち位置や考えていることを説明できるのか、覚束ない気持ちを抱えている。「そんなの意味あんの?」という紋切り型の質問にすら、うまく言い返すことができないでいる。
日本から離れてみて、僕は、少し変わったか。
ひとつには日本に帰ったら、ちゃんと働こう、と思うようになった。別に日本にいたときに働いていなかったわけじゃない。ただ、職場を離れるときに、2年後の自分がどういう風に考えているか、うまく想像ができなかった。ストレスフルな状況が続いていたし、確かに去年の今ごろの僕は追い詰められていた。
元の職場の上司は僕がちゃんと帰ってくるか、危ぶんでいるかもしれない。
ちゃんと着地しよう、そして、ちゃんと働こう、と思うようになった。作られた空白は埋められなくてはいけない。宙吊りにされた何かを降ろさなくてはいけない。それが、ベトナムに来て、僕の中で生まれた思いだ。
影法師は僕にささやく。そんなの意味あんの?
答えに詰まる僕は、この本の豊かさ、と返してみる。
でも、と、影法師は、次にこう云うだろう。
でもそれは形にならないし、第一、なにも作り出さないじゃないか
そうなのだ。
現実に対する無力さを永い間、うんざりするほど考えてきた。
林学だって十分無力だけれど、少なくとも、林という形は残るから。
たとえば思想というものを、人の思考の履歴と定義してみる。個人の思考は個人の生命とともに途絶えるけれど、人の間で共有された考えは、人の寿命を超えて、もう少し長生きする。
人はとても愚かで、同じ過ちを繰り返してしまうし、過ちを繰り返したことさえ忘れてしまう。あるいはわかっていたはずなのにまた誤ってしまう。原発にしても、津波にしても。
たとえば、今起きつつある事態に対して、今後、誰かがこの事態を総括するだろうか?あるいは今後、誰かが履歴を辿るだろうか?今を生きている人には、それはめんどくさすぎる作業だ。僕だってめんどくさい。
多くの事柄は、だれも総括せずに忘れてしまう。新聞や週刊誌が一貫していなくたって誰も気にしない。
一方で、世の中ではうんざりするくらいたくさんの挑発的で、刺激的な言葉が、日々生産されている。そして闇に消えていく。くりかえし。くりかえし。
中空から鳥瞰し眺めること、そして良くない(と思う)流れに抗うこと。この本に参加している人は、それぞれの分野に直面し、それを切り口にして、震災を語る。それぞれの活動の後に思想があって、話しあうことでそれが結ばれていく。
思想っていうとなんだか学者が独占しているように思えるけれど、ほんとうは誰だって考えがある。いろいろな人が考えを持ち寄る。思想は、考えは、こういう風にして少しずつ紡がれるのではないか。
それらは結局、なにも生み出さないかもしれない。正しいかもわからない。
少なくとも79年生まれの僕は、思想が何かを生み出したり、社会を変えたりする風景を見たことはない。んー全共闘世代に生まれるべきだったのかもしれない。
ただ、それがいらない、ということは過去から何も学ばない、ということだ。嬉々として同じ失敗を繰り返す所存である、ということだ。僕はそう思う。
同じ失敗を繰り返して、他人や政治や社会のせいして怒るのは、ただのバカか、あるいはただのマゾか、もしくはその双方だろう。
だから、今の僕としては、影法師におずおずとこう問うほかない。
じゃあ、他にどういう方法があるだろう?
考えること、そしてそれを媒介してくれる言葉というものを、大事にしたい。
東の巻頭言の最後、こんな一節で締められている。
"願わくば、もういちど「考えること」が力を取り戻さんことを。そして新しい連帯がこの国を救わんことを"