2012年8月20日月曜日

そこはかとない好意

名刺が切れたので、名刺屋さんにいって作りなおしてもらう。
ベトナム語表記と英語表記のおもてうら。で、できた名刺。
JICAは "Japan International Cooperation Agency"なんだけど、つくってもらった名刺は"Agency"が抜けている。兄さん違うんだけど、と言いに行く。

ほんとだねぇ、という具合で兄さんが確認をはじめる。
そんなことをしていると、ベトナム語の方もなんだか気になってきたのでお兄さんに確認してもらう。これ意味通じる?と。すると兄さんは首をかしげている。

JICAはベトナム語で"Cơ quan Hợp tác Quốc tế Nhật Bản"という。
ところが僕のデザインは"Tác"が抜けていた。Hợpだけだと「会う」とか「会議」とか、そういう意味になる。"Hợp tác"になると「協力」という意味に変わる。

兄さん、あ〜、と頷き、右手と左手で握手を作る。そうそう、それ。まるで判じ物。

僕のデザインも間違ってたから追加のお金払うよ、というと。
こっちも間違ったからいらない。2日したらできるから、と兄さん。いい人。




先の震災、たくさんの国が日本への手を差し伸べてくれた。ということは誰でも知っていて、でもその内実はどうであったかはよく知らなかったりもする。wikipedia先生によると、ベトナム政府は20万ドルの義援金を日本に支援したとのこと。
公式発表はそういうこととして、あんとき公務員は強制募金だってんだぜ、まいったぜ、とかそういう話も聞ける。
そうだったのか。すまん。でも、いろいろありがとう。


外務省のホームページ上に支援に関わるエピソード集のようなものが載っている。当然、開発途上国の支援もずいぶん多かったのがわかる。

「3月22日,ある市民が日本大使館を訪れ,日本国民のためにと義援金を寄付し,お見舞いのメッセージと「モーリタニア市民より」とだけ記帳しました。」

素敵やん、ってもう死語か。
ラオスの「初めて日本を助ける側にまわれたかな」的エピソードも個人的には面白い。
集められた以外にもそれこそ無数の小さなエピソードが散らばっているはずで、ひとつひとつ読んでいくのは楽しく、少し心のうちが暖かくなるような気がする。

どうも、僕らはそこはかとなく愛されているような気がする。
もちろん、それはまったく気のせいかもしれない。


一方で、日本が海外で何をしているのか、ということはほとんど知られていない。
各地に散らばり活動している同期のボランティアの facebookやブログを見て思うのは、「知らなかったなあ」ということと、多くの方が周囲の地元の人による「そこはかとない好意」のもと、ふくふくと各地で活動しているように見えること。
それは僕も一緒で、最初は言葉もなにも分からなかったが、めしを与えられ、寝床を与えられ、ひなを育てるようにふくふくと過ごしてきた。それは周囲のそこはかとない好意によるもの、としか言えない。

僕のプロジェクトの専門家は「ボランティアは村に入っている日本の外交官」みたいなもんじゃないかな、という。村の中で機嫌よく生活をしていることそのものに意味があると思う、と。
僕の仕事の行き詰まりっぷりを見て、そう慰めてくれているような気もしなくもない。
約3,000名の小さな外交官。というか、駐在さんだな。
確かにそういう見方もあるかもしれない。


タックスペイヤーは税金の使途について知る権利がある。たしかにある。
でも遠い海外で、何が行われているのかはなかなか知ることができないし、無数にある事業を全てのタックスペイヤーが裁可するというわけにもいかない。してもいいけど疲れると思う。
あるいは20万ドルとJICAの対ベトナム援助額のコスト/ベネフィット分析をしてみてもいい。低い!という結果になるだろう。

本音を言えば、今回の災害による途上国の支援は「想定の範囲外」であった。実質的な支援の規模の話ではなくて(そういう意味では途上国は眼中になかった)、弔意を述べてくれたり、支援してくれた事実に関して「思いもよらなかった」という意味だ。

こういった「そこはかとない好意」は、基本的にタックスペイヤーには評価されない。お金に換算できないから。
でも、それがボランティアや、海外にいる日本人を守るような気がする。あるいは、日本を心配してくれたりもすると思う。「そこはかとない好意」は再生産されてもいる。
僕らはそれをどういう風に評価すべきだろうか。



いずれにしても、
なにをされたか、なにをしているかを知ることは、ものを考える材料になりそうだ。
そんなことを考えて、少しベトナム国内で行われている事業を見て回る旅をしてきた。