2012年12月8日土曜日

ベトナム語をもういちど

もう一年半経ってしまうからいかにも遅い。いろいろあってこの時期に。



来越して最初に通ったホーチミンの語学学校。先生も同じ先生。
乾期のホーチミン。最初に来たときは雨期だった。
いやいやお久しぶりです。という話から始まる。知り合いの先生は口々に、フミは痩せた/髪が伸びた/色が黒くなった/声がでかい/もう日本人じゃない/カマウの農民そのもの/
云々。
これは。バカにされてる?




授業の内容は、専門に関すること。そしてメコン・デルタの方言について。
専門に関しては言葉を聞く機会が多いし使うから、まあ確認という感じ。
方言に関してはかなり勉強になった。
ベトナム語は一般に北部方言と南部方言に大別される。いわゆる標準語は北部ハノイ方言だ。僕は日本で標準語として北部方言を勉強し、ベトナムに来てから南部方言を学んだ。実は南部方言とメコン・デルタ方言も似ているけど違う。

今回は、普段よく耳にするけれど意味がわからない言葉をたくさん教えて頂いた。その都度意味を聞くけれど、どうも要を得ないものも多かったから。あるいは、なんとなく理解したつもりになっていたけれど、意味が違うものも。
僕が「this time, now」だと理解していた言葉は「today」だった。「wait」だと思っていた言葉は「a little bit」だった。日本でも待って欲しいときに「ちょっと!」と言うときがある。生活上不都合はなかったけど、耳学問はこういうのが多くなるかもしれない。


たぶん僕は最初にホーチミンでメコン・デルタ方言も学ぶべきだった。が、先生によると「それやると大混乱する」ということで、あえて南部方言のみ教えたそう。
ということで、実際に任地についた時に周囲の人のいうことが何もわからなかった。もちろん使われる単語の多くはかぶっている。でもVの発音がYだったりRの発音がGだったりすると、わずかな手がかりもない感じで。

それでも日常生活で致命的な破綻がなかったのは、メコン・デルタの人も北部方言を解するから。理由のひとつはテレビだろうな。テレビを通じて常時標準語(南部では南部方言)のリスニング補講をしているような部分もあると思う。
みんなテレビは大好き。もちろん電気があれば、だけど。
この地の方言は聞き取れない。でもこの地では誰も話されない標準語は相手にも伝わる。不均衡なコミュニケーションだけれど、それが結局のところ僕を救ったんじゃないかと思う。


この一年半で言葉に関して何が一番変わったか。飛躍的に語学が進んだとは思はない。「分からなくても気にしない」怠惰さは進んだ。みんなで雑談してて、意味がわからなくても気にしない。それがいいことだとも思わない。
ひとつには、伝えたいことは絶対伝わるようにする努力をするようになった。計画・報告は必ず文書にして目の前で読んでもらうとか、相手の言ったことを自分の言葉で言い直すという不思議な癖がついた。俺が今書いたこと/云ったことでOKか?という意味で。
そのようにして、いびつなコミュニケーションを補う。
ここまで伝わらない・理解できない経験は生まれて初めてのことだった。で、こういう対応になった。サバルタンな自分を率直に褒めてあげたい。
と自分を甘やかして総括してみる。


新鮮な思いがしたのは「先生は聞いてくれる」ということ。これが農家のおっさんだったら2回聞いて意味がわからないと話を打ち切る。文法や発音や声調を間違えようが、先生は耳を傾け、意図を探り当てる。
「先生、ウミンの人はネズミをたべます」「ヘビもたべます」「農家に行くと昼から宴会してます」「林に行くのに堀を泳ぎます」等々。
先生はおかしそうに聞く。そして、知ってる、と返す。先生は元々メコン・デルタの生まれなのだ。旧知のひとに対して会話のタネがふえたのも、きっとここ一年半の積み重ね、なのだな。


昼ごはんは何を食べてるの、と先生が聞くので、らいぎょの煮物とかですね、と答える。ああ、らいぎょか、うまいよねぇ、と舌なめずりする先生。ああ、このひとほんとに好きなんだな、と気がつく。
なまずもいいですよね、と僕はいう。ああ、なまずな、と先生はさらに目を輝かせる。
フミ、知ってるか、ナマズは3種類いるんだぞ、一番うまいのはね、、、。


洗練されたホーチミン料理ではなく、泥臭い川魚。育った場所の記憶ときっと深く結びついている。ソウル・フードとはそういうものかもしれない。僕としては最初は閉口していたのだけれど。
同じ味を知っているということは、経験を共有するということ。そんなこんなで前回授業を受けた時よりも、もう少しだけ、親密な空気が流れたような気がした。


今度はメラルーカのはちみつを今度持ってきます、と約束したのでまた会いに行く。