2012年12月18日火曜日

COP18レヴューやら11年排出量やら

ちょっと日々忙しくしていて、日本でも選挙やらなんやらしているうちにCOP18が終わっていた。だいぶ情報もまとまってきたみたいなので、各種の報告書を読んでみた。
ざっくりと雑感を述べてみる。

○ COP18の結果とその評価
外務省農林水産省のサイトでも概要が読める。それぞれ力点が違っていて両方読むと面白いかも。話題になったことといえば「日本は京都議定書の第2約束期間には参加しない」ことだろうか。自主的に削減は進めるという方向。第二約束期間には先進国全体で18%の削減を行うとのこと。2020年に新枠組を作り2013年からその議論をスタートすること。LULUCFの議論も幾つかあったけれど、まあいいや。


主要紙では読売の毎日が社説でCOP18について取り扱っていた。日経はベタ記事扱い。

毎日のはいつの話してんだ?全然知らないひとが書いたんじゃなかろうか?読売さんは読売さんらしくていいと思いますよ。ええ。
朝日もベタ記事。にしても社説にさえ金をとるなんて「社会の木鐸」らしからぬ所業だと思うので、とっとと新聞社にも消費税を課した方がいいと思います。

さて。
斜め読みして思ったのが決まったことが少ないな、ということ。あんまり議論が紛糾したという感じではないし、どうも盛り上がりに欠けたような。WWFのレビューはやや厳し目で、FoEのレビューはそうとう手厳しい。さらに6環境NGOの共同声明は超厳しい。「(日本を含めた)先進国は(議論の)前進をブロックした」と。そうだったんですね。

ただ、経済危機や自然災害はこうした議論を左右することは容易に想像できたはずなんです。安定を欠いている状況では先進国にとっても言えることや約束できることは当然少ない。
そして「先進国vs途上国+NGO」という図式は、対立が苛烈になるほど議論が膠着するだろう。「化石賞」の授与はEUという強力なバックがいて初めて意味を成した芸当だと思う。たぶん、ここ数回の交渉は「誰でも入れるレジーム」づくりに失敗している。もちろんそれは、話が前に進まない苛立ちと関連しているだろう。結果として、京都議定書の賞味期限が短くなった。
レジームが破綻しつつある以上、NGOの発言、声明はやっぱり強くは響かないだろうし、フィリピンの泣き落としも今回の化石賞も、実際問題としてどれほどの影響が与えられただろうかと思う。

僕は別に開発途上国や環境NGOの赤心を疑うわけじゃないし、先進国の振る舞いが正しいとも思わない。でも、たとえば先の選挙で市民は「原発No」を示せたか。それともそんな市民はごく少数だったのか。
思いを「出力する」手法について考えるのはとても大事で、それをうまくまとめ上げることはなお大切だと思うんです。それは決して「キタナイ」ことではない。
オバマも続投したし、時間はかかっても立て直すべきじゃないのか。その京都議定書がそのための捨て石になるのなら、僕はそれでいいと思うな。「みんななかよく・レジーム維持を専一に」が考え方です。ゲームのプレーヤーとしてはかなり凡庸なので。

古い記事だけれど澤井昭裕さんの「COP17の正しい理解 〜京都議定書時代は延長というよりは終焉〜」が現在でもなお有効な議論だと思いますです。はい。



○ 2011年の日本のCO2排出量
さて、今年もやって参りました。日本の排出量速報値。データは2011年のもの。官公庁統計は一年遅れます。そしてこれは気候変動枠組条約に送付する目録の速報値なので数字が変わる可能性あり。来年4月に確定すると日本の公式排出量となるわけです。
さて。
2011年は基準年(1990年)比+3.9%。やっぱり増えた。09年水準で推移すればなんの労もなく目標達成だったのに、といってはいけないんだろうな。やっぱり。原子力から火力発電へのシフト、そして景気回復と復興需要により排出が増えている、と。

いわゆる「京都メカニズム」の活用と森林吸収源を加味すると、現在のところ08年からの4カ年平均で-9.2%であるとのこと。日本は京都会議で08年〜12年までの5年間で90年比−6%削減する約束をしたので、今年の排出量によって約束を守れたかどうかが決まる。12年は11年よりもさらに排出は増えたと見込まれ、かつリーマンショックによる「貯金」をいくぶんか食いつぶした格好になっている。さて、達成できるかどうか。
リーマン・リセッションと震災~復興に伴う排出増は如実にリンクしていて、ここ数年を見ているだけでも勉強になる。
ちなみに一連のリセッションがなかったら日本なんて完全アウトでした。来年「日本は約束を守りきった!」とドヤ顔している人がいたら鼻で笑ってやってください。それくらい社会・経済状況に左右される代物ということで。

ちなみに環境省のサイトには世界のエネルギー起源CO2排出量(2010)なんて資料もあって、充実してる。環境省ぐっじょぶ。京都議定書のカバー率は全体排出量の25%(EU9.8%、ロシア5.2%、日本3.8%など)。一方で、中国24%、アメリカ(17.7%)、インド(5.4%)といった大口が入っていないからそんなレジーム意味ねぇじゃん、というのが日本の主張であったわけね、と分かる。たしかに、97年の京都会議からだいぶ状況は変わってるんだよね。


原発と気候変動に関しては昨年、「COP17についてのあれこれ」で書いた。福島第一の後始末でどれだけの重機やジェネレーター類が稼働していて、どれだけのCO2を排出しているか。そして、いつ頃終わるのかまで含めて考えるべきだと思うの。ある意味、原発の事故は何も起きなければ数十年先に展開されていたであろう問題を先取りしたもの、と考えることができる。事故は別としても、ライフサイクル・アセスメントとは本来そうしたものだったはず。
端的にいって「原発はCO2を排出しない」という主張はやっぱり詭弁で、まず自分の孫から玄孫あたりまで謝った後、おずおずと強弁しろや、ということろでしょうか。ねぇ、経団連の米倉さん。

あと気候変動懐疑説についても既に書いた。状況およびに考え方に変更なし。


そんなところでした。それではまた来年の12月に。乞うご期待。