ベトナムは漢字で表すと越南。これをベトナム語で標記すると Việt Namでそのまんまだ。
カンボジアは柬埔寨、ラオスは羅宇。読めん。
ラオスは ラウーLaoだな。こりゃ。
一番西側の越柬国境の街、Ha Tienからカンボジア入りした。立派なゲートだこと。
ホーチミンープノンペンの主要路といったら北回りのLoi Thuanのゲートか、東回りのChau Docだ。もしくは飛行機で一路シェムリアップ、という手がある。日本からのツアーではホーチミンでお買い物からのシェムリアップでアンコール・ワットに行く、というのがあるみたいだ。
わざわざ遠回りしてHa Tienから入る外人はほとんどいないだろう、と思っていたらオーストラリア人がいた。
この先のシアヌークビルでしばらくのんびりするつもりさ。
ほんとに彼らは、さんさんとした太陽のあるならどこでも向かう「気ままで陽気な三男坊」を地で行く人たちだ。
世界中の人がオーストラリア人だったら、領土問題なんて起きないだろう。
安全保障とはなにかね。
そしてカンボジアのイミグレーションが掘っ立て小屋だった件。
これでいいのかカンボジア。
はんこをぽんぽん捺したあと、この先のカンポットで鳥インフル出てるんで気をつけてね、とにこやかに言う。
カンボジア、ベトナム、ラオスは相互に接している。
ベトナムのメコン・デルタにはクメール人がたくさんいる。クメール語を喋って生活をしているコミュニティがある。モン族やタイ族といった北部の少数民族は、ベトナムとラオスの国境域を生活圏にしている。ベトナム人は嬉々としてラオス、カンボジアへ出かけ、商売をする。
ボーダーをあっさり行き来して生活している人がいた。なにか荷物を積んで自転車で越境する市井のおばちゃん。パスポートとか絶対もってないだろ。
陸で接するというのは、つまり、そういうことなのか。
越えると言えば、犬もあっさりボーダーを越えていく。めしをカンボジアで食べ、子どもをベトナムで育てたりするんだろうか。インターナショナルです。なんつーか。
そしてこの3国の歴史は、複雑に絡み合っている。
ラオス・ルアンパバーンからパクセーへの飛行機で隣になった人。英語が喋れるのでガイドをしているそう。この辺りもたくさん爆弾がおちたんだよ、という。いつの爆弾?と訊くとベトナム戦争の時代。ホーチミン・ルートはラオスの内側にまで及んでいた。
職場に帰ってきて、カンボジア行ってきたよ。というと、オレも行ったぜ、銃持って、30年くらい前にな、おっさんたちがいた。クメール・ルージュの鎮圧だ。
カンボジアで内戦があったのも知っていたしUNTACという言葉は知っていた。テレビで。明石康という人物やその仕事よりも、むしろ荒涼とした平原の如き頭髪に視線が行ってしまっていたことも併せてここで告白しておく。
国との間に引かれた線は、どうもそれほど確固としたものではないように思えてくる。人々は行き交い、混ざり合う。言葉や文化、そしてたぶん恩讐も超えて。
かつてもそうだっただろうし、今後もそうなんだろう。
行かないと分からないことがある。
知るということはなんなのだろうか、と考えている。