13年バージョンにも。僕から見たここ4年の話。
①早く亡くなったほうがいい、と彼女は云う
看護士さんと知り合いになった。だいぶ昔の話。僕よりは5歳くらいは年下のすらりとしたきれいな子。彼女は老人が主要な患者さんの病院に勤めていた。飲みながら仕事の話をする。もしそれをデートと呼ぶのであれば、そもそも仕事の話なんてすべきじゃないのだ。当然、あたり一面辛気臭い雰囲気に包まれる。
寝たきりになったら早く亡くなったほうがいいのかもしれない、何かの拍子に彼女はポロッとそんなことを云う。ご家族のことも考えると、と。思いやりのあるいい人の口からそんな言葉が出る。
たぶん、正直な感想を彼女は言っていた。実際に「その場に居る人」は、こういうことを考えているのか、と。どういうニュアンスで彼女はそんなことを云ったのか、忘れてしまった。でも形式的な説諭なんてかき消されるくらい、静かな迫力があった。
ときどき、彼女の云った言葉について考える。未だにうまい回答が思いつかない。
②自分で決めないことも、決めてしまうことも、怖い
動かなくなる自分を想像するのは難しいし、それはとても怖い。
立岩に即して言えば「今の僕」が「将来の僕」を先取りしているということ、なんだろう。「今の僕」が「将来の僕」を勝手に想像している。あるいは「将来の僕」の命を縮めようと企む。それはやっぱり「将来の僕」に対して失礼なことだろう。
ずっとベッドに横たわるくらいなら、意識がないのなら、というのも分かる。
「今の僕」が「将来の僕」の生を止めてしまうことは、立岩が言うように不当なことだと思う。「かつての僕」の「宣言」により、今ベッドで横たわる僕の人工呼吸器のスイッチが切られてしまうのは、怖い。なにしてくれたんだよ、かつての僕、と思うだろう。
「宣言することによる名誉」ていうのはあるのかもしれない。やっぱりいくらかは、かっこいい。
相変わらず考えあぐねている。
③社会保障からの、経済への問いかけ
冒頭の「ご家族のことを考えると」のうち、少なくとも金銭的な問題に関しては、いくらか話されてきたことがある。
日本は不況で(それこそ僕が物心ついてから)、パイがどんどん縮小していくような感覚があった。金子勝さんは「顔の見える市場」の大切さを説いたりしていた。一世を風靡していたアンチグローバリズムの一端でもあったわけだな。今思うと。
最近では「小商い」なんて言葉も。縮んだパイに身体を合わせよ、といっているように聞こえる。
「顔の見える市場」や「小商い」は感覚として分かる。でも小商いと社会保障はどう整合するのだろう、という疑問がある。スモール・イズ・ビューティフルを地で行った結果、家庭内介護に戻るんだったら、それはもう後退だと思うんです。ムリな部分を暗いところにまた隠す営為じゃないか。パイに収まりきらない部分の話こそ大事。
立岩は「良い死」を上梓した後に、税制についての話を書き、ベーシック・インカム(BI)の話を書いた。配分の在り方を変えましょう、という話。「縮むパイに身体を合わせる」試論といっていい。BIの議論はたまにチェックしていたんだけれど、僕が日本を離れてからの方がむしろ活発になった印象がある。
立岩真也 齊藤拓
青土社
売り上げランキング: 469,487
青土社
売り上げランキング: 469,487
どうも世の中アベノミクスのようですが。
少し前から医療や社会保障に取り組む人たちが、やっぱり経済成長は大事、と言い始めている。パイが縮むと本当に弱い人から順に損なわれる、といことがここ数年顕著に現れたからだと思う。たとえば、生活保護の話なんてもし日本が好況だったらあんなに問題になっただろうか。
萩上チキさんとか大野更紗さんなど、若い論客の活躍が目立つのもここ数年の特徴。
高齢化の進行で生産年齢人口が減少、担ぎ手が減っている、という現状からどういう解を導き出すのか。「配分のあり方を変えよ」という主張にしろ、「経済成長でパイを大きくしろ」という主張にしろ、その解を探る取組みのように思える。
政府ガー経団連ガー、って文句垂れていればよかった時代は、たぶん終わったんじゃないか。
「ご家族のことを考えると」のうち、まずはお金に関することは考慮の対象から外れたならば、それは今よりももう少し良い世の中になった、ということなるのかな。
大野さんは難病患者でもある。でも実に軽やかに、パワフルに活躍されている。
endogenous soul 大野更紗のブログ
「困ってるひと」は闘病記、というにはあまりにもポップで、だからこそ多くの人に読まれたのだと思う。もちろんベトナムの本屋には置いてなかったので、Webで読みました。
おもしろかった。おすすめ。
発病前はビルマでフィールド・ワークをしていたなんて話も心をくすぐります。