胸熱です。個人的に。その報に胸が踊りました。
Harem Scaremの"Mood Swings"は1993年にリリース。楽曲の完成度・ハーモニーとも非の打ち所なしな名盤、が世間的な評価で、僕もずいぶんお世話になりました。
で、"Ⅱ”です。Queensrycheのときはずいぶん罵倒しましたが、こちらは思い入れがありますので。
元気そうですね。
眠気まなこにイヤホンねじ込み、”Changes comes around"を聴きながら自転車漕いで高校に向かったものです。うおー猛烈になつい。
今回の"Mood SwingsⅡ"は2013にリ・レコーディングされたもの。アレンジはほとんど変わってないので、ほぼ、僕らの愛した"Mood Swings"です。
同じものをなんでもう一度、という話については、どうも版権の関係が絡んでいるらしい。彼ら自身が楽曲を保有しておくための”Ⅱ"、らしい。
ほぼ完コピだなんて話もちらほら耳にしていて、そんなものを買う必要があるのかとも思ったけれど、やっぱり彼らの今は気になるし、好きなレコードだし、再結成だし。
その辺はもうプライスレスですよ。
ハリー・ヘスの声は少しガラガラしたかしら、とか思いましたが、さすがの完コピです。そりゃライブでは何度も演ってるわけですが、20年前のレコードをもう一度レコーディングする、ってどういう気持ちなのかしらん。
多くの成年にとっては20年前の自分の作品なんて黒歴史以外のなにものでもないと思われますが、敢えて同じアレンジで録音したことに、強い確信と完成度の高さを感じざるを得ません。
や、あっぱれ。堪能した。
音の調子は少し今回のほうが生っぽいですかね。ドラムとか。前作のほうが広がりのある音作り(もちろん90年代初期の時代背景込みで)だった分、コーラスを乗せやすかったと思います。んだからコーラスは”I"のほうが聴き応えがあるかな。
その分に耳がいったのはピート・レスペランスのギターワーク。ヴァースやブリッジでの多彩な仕事に改めて感銘を受けました。当時も決して聴いていなかったわけではないんだけれど。
90年代中葉以降のバンドたちはこの時間帯にコードをシャンシャンと掻き鳴らしていたわけです。トリッキーなリックをたくさん使ってたんだなぁ。何しろこの人、弾き方がとっても丁寧。
”Ⅰ”の次の"Voice of reason"が一転ヘヴィな音像のレコードで総スカンを食うわけですが、改めて聴き直しますと”Ⅰ”の音像だって十分ヘヴィです。重さがあんまり印象に残らなかったのは単純に楽曲がよく出来ていたということなんでしょうか。
聴きながら、なんだかExtremeの"Ⅲsides to every story"を思い出しました。あのレコード、ヌーノのギターワークもフラッシーで多彩かつとても丁寧でした。あれはたのしいレコードだった、と思い出しながらあれも93年のレコードだったことも思い出しました。この辺の人たちは大なり小なり時代の徒花だったような、割りを食った存在なのかもしれません。
今回のピートの仕事は改めて目を見開かれる思いをしていて、あらこれ2度おいしいじゃない、というところです。
ええ。それで一番好きなのはやっぱり"If there was a time"なんです。
バカベースはなんというTシャツを着ているでしょうか。これでは浅草とか六本木なんかにいるバカ外人と一緒です。ですが一番高いピッチのコーラス担当のバリーさんです。
僕はこれをなんとなくラブソングだと思い込んでいて、今回歌詞を読みなおしてみると「告解と再生」みたいな割とシリアスなテーマ。"If there was a time, when I needed to pray that the cold wind blows away"って山中鹿之介ですかあなた。
キリスト者は祈れば許されると思っているフシもあり、その点鹿之介先輩のほうがややストロングスタイルだと思われますが、あんまりいうと怒られそうなのでやめときます。
立派なステートメントとは裏腹な、どこかナイーブなメロディは、どこか僕の琴線をわしづかみにするわけです。本当に、聴く度に光り輝く。
ロックを聴くきっかけは”To be with you"。ロック・バラードは大好物。アコースティックの小品みたいなものも風情があるけれど、やっぱりこれだけスケールの大きなバラードを組み立てられるところが凄いよな、と。
スタジオ盤のほうがはるかに迫力があって好きだなぁ。
「わかりやすさ」という意味では彼らのメロディはとてもわかりやすい。それこそ気の利いた小学校高学年の子たちでもかっこいいと思うんじゃないかな。オシャレじゃないよね。
でも「子どもじみたもの」と切って捨ててしまうにはなんだか勿体無い。よいメロディはよいメロディで、今でもなお聴く価値のある音楽。名前を変えたり解散したりもした彼らは、実際のところ一時、その価値を信じれなくなったのではないか。そう想像します。
でも20年してここに戻ってきたのはやっぱり、その価値を再認識したからだと思うんです。
ぐるりと回って同じ場所に帰ってきて、新たに携えたのは、せいぜい視点くらいかもしれない。でもそれを決して停滞だとは呼びたくはないんだな。
Harem Scaremの"Mood Swings"は1993年にリリース。楽曲の完成度・ハーモニーとも非の打ち所なしな名盤、が世間的な評価で、僕もずいぶんお世話になりました。
で、"Ⅱ”です。Queensrycheのときはずいぶん罵倒しましたが、こちらは思い入れがありますので。
元気そうですね。
眠気まなこにイヤホンねじ込み、”Changes comes around"を聴きながら自転車漕いで高校に向かったものです。うおー猛烈になつい。
Harem Scarem
Frontiers Records (2013-09-24)
売り上げランキング: 63,792
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売り上げランキング: 63,792
今回の"Mood SwingsⅡ"は2013にリ・レコーディングされたもの。アレンジはほとんど変わってないので、ほぼ、僕らの愛した"Mood Swings"です。
同じものをなんでもう一度、という話については、どうも版権の関係が絡んでいるらしい。彼ら自身が楽曲を保有しておくための”Ⅱ"、らしい。
ほぼ完コピだなんて話もちらほら耳にしていて、そんなものを買う必要があるのかとも思ったけれど、やっぱり彼らの今は気になるし、好きなレコードだし、再結成だし。
その辺はもうプライスレスですよ。
ハリー・ヘスの声は少しガラガラしたかしら、とか思いましたが、さすがの完コピです。そりゃライブでは何度も演ってるわけですが、20年前のレコードをもう一度レコーディングする、ってどういう気持ちなのかしらん。
多くの成年にとっては20年前の自分の作品なんて黒歴史以外のなにものでもないと思われますが、敢えて同じアレンジで録音したことに、強い確信と完成度の高さを感じざるを得ません。
や、あっぱれ。堪能した。
音の調子は少し今回のほうが生っぽいですかね。ドラムとか。前作のほうが広がりのある音作り(もちろん90年代初期の時代背景込みで)だった分、コーラスを乗せやすかったと思います。んだからコーラスは”I"のほうが聴き応えがあるかな。
その分に耳がいったのはピート・レスペランスのギターワーク。ヴァースやブリッジでの多彩な仕事に改めて感銘を受けました。当時も決して聴いていなかったわけではないんだけれど。
90年代中葉以降のバンドたちはこの時間帯にコードをシャンシャンと掻き鳴らしていたわけです。トリッキーなリックをたくさん使ってたんだなぁ。何しろこの人、弾き方がとっても丁寧。
”Ⅰ”の次の"Voice of reason"が一転ヘヴィな音像のレコードで総スカンを食うわけですが、改めて聴き直しますと”Ⅰ”の音像だって十分ヘヴィです。重さがあんまり印象に残らなかったのは単純に楽曲がよく出来ていたということなんでしょうか。
聴きながら、なんだかExtremeの"Ⅲsides to every story"を思い出しました。あのレコード、ヌーノのギターワークもフラッシーで多彩かつとても丁寧でした。あれはたのしいレコードだった、と思い出しながらあれも93年のレコードだったことも思い出しました。この辺の人たちは大なり小なり時代の徒花だったような、割りを食った存在なのかもしれません。
今回のピートの仕事は改めて目を見開かれる思いをしていて、あらこれ2度おいしいじゃない、というところです。
ええ。それで一番好きなのはやっぱり"If there was a time"なんです。
バカベースはなんというTシャツを着ているでしょうか。これでは浅草とか六本木なんかにいるバカ外人と一緒です。ですが一番高いピッチのコーラス担当のバリーさんです。
僕はこれをなんとなくラブソングだと思い込んでいて、今回歌詞を読みなおしてみると「告解と再生」みたいな割とシリアスなテーマ。"If there was a time, when I needed to pray that the cold wind blows away"って山中鹿之介ですかあなた。
キリスト者は祈れば許されると思っているフシもあり、その点鹿之介先輩のほうがややストロングスタイルだと思われますが、あんまりいうと怒られそうなのでやめときます。
立派なステートメントとは裏腹な、どこかナイーブなメロディは、どこか僕の琴線をわしづかみにするわけです。本当に、聴く度に光り輝く。
ロックを聴くきっかけは”To be with you"。ロック・バラードは大好物。アコースティックの小品みたいなものも風情があるけれど、やっぱりこれだけスケールの大きなバラードを組み立てられるところが凄いよな、と。
スタジオ盤のほうがはるかに迫力があって好きだなぁ。
「わかりやすさ」という意味では彼らのメロディはとてもわかりやすい。それこそ気の利いた小学校高学年の子たちでもかっこいいと思うんじゃないかな。オシャレじゃないよね。
でも「子どもじみたもの」と切って捨ててしまうにはなんだか勿体無い。よいメロディはよいメロディで、今でもなお聴く価値のある音楽。名前を変えたり解散したりもした彼らは、実際のところ一時、その価値を信じれなくなったのではないか。そう想像します。
でも20年してここに戻ってきたのはやっぱり、その価値を再認識したからだと思うんです。
ぐるりと回って同じ場所に帰ってきて、新たに携えたのは、せいぜい視点くらいかもしれない。でもそれを決して停滞だとは呼びたくはないんだな。