2014年9月23日火曜日

書評:喜びは永遠に残る、といいんだけどな

トモダからの年賀状。こんなことが書いてあった。
キミもパパを目指しなさい、喜びが育つっていいものです
こんな種類の脅迫があるなんて、夢にも思わなかったんです。



喜びは永遠に残る
喜びは永遠に残る
posted with amazlet at 14.09.23
ジャン ジオノ
河出書房新社
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『世界の歌』についで、ようやく読み終えた。
訳者は山本先生。僕が学生のころ発刊されたんだけど、値段が高くて手が伸びなかった。春にミキの家に遊びに行ったときに、もういらんし、と、おばちゃんからもらった。ちなみに本人の了解は取っていない。どうも申し訳ございません。読み終えたのでお返しします。


物語の構成だとか、レトリックだとか。一ヶ月の夏休みとかあればじっくりと解き明かしてみたい気持ちはあるんだけれど、そんな時間はないし面倒なので、素直に受け取り、読んでいくのが僕のスタイルであります。細かいところは山本先生にお任せします。
書評:『天性の小説家ジャン・ジオノ』を読む
ひきつづき、絶賛絶賛中であります。

僕は物語をひたすら主観的な読み方をする。登場人物に没入してしまう。『わたしを離さないで』では心が千々乱れ、『虐殺器官』では主人公同様、冷ややかで残酷かつ、清々しい気持ちで、本を閉じることができた。
客観的にはなれないのだ。あんたの読み方は作者冥利でしょうね、と揶揄されようと。本書でもオロールが死に、ボビが去っていく展開は、ぜんぜん喜ばしくないので、冥土に居ようが天国にいようがジオノはこの点について修正してほしいものです。




ざっくりとした印象としては「重厚な『木を植えた男』」というイメージ。高原の寒村に立ち寄った男・ボビは、その言葉やアイディア、行為によって、村に住む人々の心を動かし、生活を変えていく。
木を植えた男の主人公、エルゼアール・ブフィエもまた、木を植えるという行為によって喜びを作り上げる。違いといえば、ブフィエは孤独な、彼一人だけの業で森林を創りだしてしまい、彼の知らないところで人々が豊かさを享受する。一方ボビは、周囲の人々に働きかけることによって、豊かさを創りだそうとする。
この手の話って大好きです。ロビンソン漂流記とか、DIYで少しずつ豊かになる物語。

山本先生のあとがきによると、当初のタイトルはバッハのカンタータ147番「イエスは常に我が喜び」から拝借したとのこと。誰でも一度は耳にしたことのあるあいつだ。
言われてみれば、これは確かにイエスの「奇跡の物語」みたい。
彼が生み出した奇跡については本書をご覧いただくとして、印象に残ったことを。


食事の風景。
ジオノに限らず、僕は食事の風景描写が大好きだ。野外での調理と会食。仔山羊と野兎の丸焼き、フリカッセ、そして黒々としたワイン。実にうまそう。この描写が実に生き生きとして、躍動感と幸福感に溢れている。
そんな会食ができたのも、元はといえばボビが連れてきた1頭の鹿がきっかけだった。
鹿を飼う、ナラの木を植える、花の種を蒔く。家計の足しにはならない。ボビはジュルダンのタンス貯金を無意味だ、無意味以上だ、という。

ボビの力の源泉は、彼の話す言葉。
彼の詩的な言葉は、高原に住む人々に強く響く。彼の言葉が、人々の「癩病」を癒やす。物語中、「農夫」はボビこんなことをいう。
俺たちに必要なのは詩人だ あんたのような人ならみんなの食欲を目覚めさせられる
「農夫」は「詩人」のボビよりも現実的な人間で、好対照をなしている。「農夫」はボビを高く評価しているけれど、同時に彼の中の脆弱さを見て取る。
結局ボビは去ってしまうから、確かに農夫の見立てどおり、ボビの喜びは「丈夫ではなかった」のかもしれない。
「みんなの食欲を目覚めさせる詩人の言葉」は大事。でも、「人は不幸になると寒くなるから」と、オロールを失ったエレーヌ婦人にかけてあげる毛皮の上着にまで気がつく「農夫」の現実的なところも大事。
僕らは双方を携えて生きていかなければいけない。というより、双方を携えなければ生きていけない。そんなことを考える。

そういえば、ジオノの自然に対する眼差しや佇まいは、どことなく宮沢賢治を思い起こさせる。そんなことを考えていたら、ジオノと賢治はほぼ同世代の人なんだな。


いろんな登場人物が不安を訴える。不安だから、働く。いくら麦がとれても不安だから。安心や喜びを与える手段だったはずの労働が、喜びを押しつぶしていく。ジオノのいう「癩病」だ。「システムによる生活世界の内的植民地化」でもいいのだけれど。

生きている限り、不安はきっとなくならない。だからこそ、日々の暮らし、そして将来に渡る「喜び」が必要なのだ。
喜びとは何か具体的なもの、ではなくて、日々の生活や労働にくっついた何か、なのだろう。トモダの云う子育てだってきっとそうなのだ。「喜びが育っていく」って、なんともいい言葉だ。この言葉も山本先生から頂いたそうなんだけれど。


僕の今の生活や仕事が、僕自身や周囲の人の喜びに結びついているだろうか、どうだろうか。
だいたい僕の人生が折り返されたとして、残りの半分を喜びに軸として生きていくこと。その方法について。うつうつと考えはじめる。