2014年9月28日日曜日

うまい方法はないのかしら:地方消滅 東京一極集中が招く人口急減

まず貴様が子どもを持ってから話を聞こうか、と云われそうですが。

けっこう前になっちゃったけど。世間で割と話題になっていたと記憶しています。テレビもってないとどうも時代に乗り遅れてしまうな。文庫本になってた。


地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減 (中公新書)
増田 寛也
中央公論新社
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「消滅可能性都市」について三行で説明するよ。
・自然減(+出生減)と社会減(人口流動)を含めたシュミレーション。
・出産可能年齢(20〜39歳)の女性人口が2010年〜40年の間に5割以上減少する市町村。
・896の地方自治体が該当。全体の49.8%。人口1万人を切る激ヤバ自治体は523。

なんだってさ。こまったもんだね。




そもそも女性人口に着目するのが妥当なのかわからない。どうなんだろう。ところでおらが村はどうなんだ、という向きのためにリンクを張っておきます。大事なことなんだから政府のHPに掲載すればいいと思うんですけけど。
消滅可能性:全896自治体一覧 5.9.2014 毎日新聞
本書の巻末に詳しく掲載されております。関心があり、かつ、おさいふに余裕がある方は、どぞ。


当然ご縁のあった各市町村斜め読みするわけです。ゴロゴロしながらね。

新潟最強は粟島浦村。2040年の上記女性人口は2人、とあります。…ふたり?
まあ、2010年が14人というのがそもそもアレなんですが。
20万年ほど前にアフリカにいたという僕らのご先祖様・ミトコンドリア・イヴに思いを馳せるのとまったく逆の収斂がわずか20余年後かよ、という奇妙な感覚にとらわれるわけです。
新潟で一番安泰なのは聖籠町と弥彦村とのことで、自治体の財政力のまんまな気も。

我らが佐渡市は−59.3%で見事、消滅可能性都市にランクインしております。25年後のこの島には2,000弱の妙齢の女性が住んでいる計算。粟島の1000倍いるぜ。
島の人口は3万人ほど残る見込みで、1万人のボーダーの上。ただ、そうは云っても現時点のおよそ半分に落ち込むので、佐渡にある某コンビニとかしまむらとかミスドとかモスとかは潔く撤退するんじゃないでしょうか。

目を引くのが、長野県上伊那郡南箕輪村。2040年は総人口が1億ちょいで16%くらい人口が減るはずなのに、なんと減少率わずか-8.9%。衝撃的な安定感です。
そういえば、あそこには信州大学農学部があるやに聞いております。卒業したらとっとと郷里に帰ればいいのに、なんとなく佇んでいる連中が多い、とくに林学科。そんな話も聞き及んでおります。
そもそもあの村には工場立地が多く、比較的安定した雇用があることと、よくわからんけど農業おもしろそ、と粗忽な若者が毎年100人以上うっかり流入します。信大は本当にタコ足大学でよかったね。


本書のキモはこの種の斜め読みではありません。大事なのは出生率ではなくて、出生率と母集団の掛けあわせでしょ、という至極当然のことを述べています。人口を維持するためには特殊出生率で2ちょっとという数字が必要だという話は聞いたことがあります。
極端な例では粟島浦村、2040年出産適齢期の女性が2人です。仮に彼女たちが3人ずつ子どもをもうけたとしても、6人。2040年の粟島浦村の人口は163人と推定されていますから、まったく焼け石に水もいいところです。人口を増やすためには母集団が維持されなくてはいけない。
じゃあ、人口の多い東京ならいいのかというと、東京の出生率は全国最低なわけです。人は東京に流入するけど、子どもは産まない。「人口のブラックホール」と増田さんは形容しています。


なので、人口を維持(というよりも、減少を最小化する)ためには地方に人がいなくてはいけない。とはいってもすべての自治体で同じことをやる財政的余裕はない。ということで増田さんが強調しているのは「地方中核都市」の構築です。地方中核都市とは地方からの流入者の受け皿になり、そして東京に人が流出しないよう防ぐ場所ということで、人口減少防止の防波堤となるべき都市。
条件として安定した雇用があること、そして子育てに手厚い支援があることだそうです。中核都市はいいさ。新潟市とか長岡市とか上越市のことだろ?じゃあ、佐渡みたいな場所は?という話になるんですけれど。


論点はすんごくたくさんあって、たとえば本書をテクストにいろいろ議論していけばいいんでしょうけれど、いくつか拾ってみました。
消滅可能性都市のウソ。消えるのは、地方ではなく「地方自治体」である。 木下斉 Blogos
僕は元記事を見ていないので、なんともいえないんですけれど、それほど本書と対立しているようには思えませんでした。増田さんは出生率の減少を個人に還元するような議論をしているわけではないですし。

自治体談義 やまもといちろう
2030年、老人も自治体も尊厳死しかない 湯浅誠×山本一郎 東洋経済web
後者の対談はとっても面白かった。
個人的に思うんですが、湯浅さんは瀟洒な豪邸で優雅な生活をして欲しいんです。社会活動家は貧たれ、みたいなのはクソ食らえです。コミットすることで損をするようなイシューに誰が首を突っ込むか、と。
やまもとさんはいいです。タフそうだから。


当然、眼差しは切り捨てられる側の「限界都市」に向くことになります。
コンパクトシティの議論もあるけれど、地方にいくほど効率性追求の難しさに直面するわけです。人里はなれた山奥に一人で住んでいる家まで、何キロも除雪を行わなくてはいけないとかね。いま現在住んでいる人はずっと住んできた履歴も愛着も誇りもある。それをひっぺかせるだろうか、という躊躇がある。
戦線を縮小するとして、どこから縮めるんだろう、と。

そして地方自治体の能力そのものが低下している場合。激甚災害指定されたって満足に申請できない場合。間近に迫ってるというより、いま現在直面している話なんですけど。
つまり、今後は国がいくら予算を積んでも消化できない問題が多発するんじゃないだろうか。予算を取る力がない・必要なマンパワーが確保できないから。すでに公共事業は土建屋さんの「老化」で消化不良を起こしている現実があります。自治体が悪い、で片付けていいのかなぁ、と思うわけです。
「能力不足の自治体」とか、あざ笑っとる場合では全然ない。ヘタすれば今後、全国の半分の自治体に起こる可能性があるわけじゃないですか。


役立たずの自治体は消えざるをえない。そうなんでしょうね。木下さんのいうように。とはいえ、そこに人は残る。んだから、少なくとも自治体の枠組みの見直しは絶対に必要になるんでしょう。


同時にそこにフロンティアを見取ることもできる気がします。あと20年して、今の権利者がすべてこの世を去った、ニュー・フロンティア。改めて、今を生きる人たちに区割りをしてもいいのかもしれません。そんな想像をすると、少しだけ気持ちが明るくなります。
問題発言だと自覚はしているけれど、それだけ「尊厳死」はハードルが高い。都市にしても、人にしても。
そして「対応が遅れるほど、人口減少は深刻なものとなる」と増田さんは脅すわけです。こまったね。

なんか、うまい方法はないものかしら、と立岩真也先生に問いかけたくなります。