若者だけじゃないぜ。
昨年末、無事に選挙が終わりましたね。話が古くて申し訳ない。
立会人のおっさんによると今年はえれえ雪で大変だったんだぜ、とのことでした。準備の人も含めみなさま誠にお疲れさまでした。期日前投票を済ませ、選挙日はぬくぬくしていた僕はどう考えても勝ち組です。
それほどヒップではない日本人なので、インターネットと言えばyahoo!。日本最強のポータルサイトとってもいいでしょう。そしてyahooニュース。帰国してから、ここ最近のニュースのトレンドは徐々に変容しているように感じていました。
中国・韓国の関連した記事が増えていて、それはRecord Chinaやサーチナ、朝鮮日報などの配信記事を多く扱うようになったことも理由として考えられます。
記事を目にする機会が増えること。そして昨今なにかと話題に上るヘイトはなにかしらのつながりがあるのかしら。
いろんなところで選挙の総括がなされていて、そういえば「総括」っていうのってちょっと共産党っぽいな、とか余計なことを考えたりしているんですが、評論家の古谷さんの記事が面白かったです。
総選挙「唯一の敗者」とは?「次世代の党」壊滅の意味とその分析 古谷経衡 yahoo!個人
やっぱyahoo!ですな。
日本の選挙民がまともなのかどうなのか知りませんが、次世代の党の主張は確かに奇異に響きました。これはね、受け入れがたい。
当方、わりとおっさんばっかりの職場にて、現場で顔を突き合わせるのもおっさんばっかだったりしますが、今どきのおっさんはスマホを軽々と弄びます。あ、僕もおっさんだった。
アクセスするのはyahoo!が多いんだと思います。世間話をしていて思うのは、かの国々に対する心証ってここ数年で相当悪化したのではないか、ということ。
まずアクティブな活動に勤しんでいるとは思わないけれど、ネトウヨ的な要素がそこはかとなく感じられる瞬間は確実に増えた気がします。生活の様々なシーンで。それが単なる茶飲み話であっても。そういうのって、例えば僕がベトナムに行く前ってそんなにあったかなぁと不思議に思います。韓国ドラマは流行ってたね。浅田真央よりキム・ヨナのほうが美人だと思うと憤慨していた職場のおねいさまがおりました。そりゃあ好き好きだろうと思うんですけど。
そんなこんなで、古谷さんもおっしゃっているようにネトウヨは必ずしも若者ではない。これは実感でもあります。たぶんミドル世代にも相当広がっているだろうと。上の記事では250万人と推計されていますが、やまもといちろうさんは120万と推定しています。存外身近に多いネトウヨさん。
そんな思想信条を持つ彼らが、一番もっともらしい投票行動を起こさなかったことが興味深いところであります。自民党の集票マシーンにとりこまれた可能性はあります。なにしろおっさんだから。
海外の配信記事があからさまにヘイトを煽るとは言いません。ただ、例えばそういった配信記事って、外国人たる彼らの主張がなんと日本語で(日本語版だからね)ダイレクトに載るわけで、そこは日本の新聞とは当然異なる。風合いの異なる主張として強く響きやすいだろうと。
それが悪いとも良いとも言えない。たとえば、CNNは今回の選挙について「アベはギャンブル選挙に勝った」という言い方をしていて、これも普通の日本人にはやや異質です。ギャンブルじゃねぇよ、鉄板レースじゃねぇかって。
異文化理解の一部だといえば確かにそうなんでしょう。主張に触れることは、彼らの主張や考えていることを読み解く手助けにはなるかもしれない。
ただ気をつけるべきなのは、やっぱり翻訳とはいえ、相手の国で書かれたものはその国の作法に則っている、という心構えがあって読むべきだろう、ということ。ダイレクトに日本の行動様式に変換してはいけない。読まれ方というのがありそうな気がします。
時にはウンザリすることがあったとして、僕が肝に銘じなくてはいけないのは、お互いを見ているようで自分を見ている感覚なのだろう。抹香臭いことを言いますけれど、鏡像だろうと。
ネットってやっぱり「見たいものしか見ない」が強化されるツールです。アクセス解析かけられて、ロボット君はアンタ見たいのこれでしょ、って差し出す。だから、ネットを見ている限り、興味や信念は強化される一方なんだ。他には移らない。
テレビのいいところは、興味が無いもの/見たくないものも強制的に受信することだったんだな。テレビ見るのやめて気が付いたことでもあります。
そういえば東浩紀さんもそんなことを。あずまんは「旅に出よ」と云います。
読んだ:弱いつながり
書評よりも疲れきった半年前の自分の筆致に愕然とします。大丈夫なんでしょうか、この人。
ネットにタイトに接続されている方々は旅に出るのも困難であるような気はしますが、本屋くらいは行くかもしれないので。平易だし面白かったです。おすすめ。
ネトウヨさんたちに「みたくないものを見ろ」といったところで何の琴線にも響かないことは請け合いなので、どうしたらいいものか、と考える。あんまりいいアイディアは思い浮かばない。
僕だってね、ゴシップ記事みたいのって好きですよ。同時にそういったものって、世の中で一番下劣な読み物だってこともまた事実だと思うんです。僕の中の暗いところがニヤリとする感じ。おっさんたちの茶飲み話を聞きながらどこか居心地が悪い気分になるのって、自分の内面には確実に存在するんだけれども「なりたくないもの」だからなんだと思うんです。
んだからヘイトには反対します。自分が腐ってしまうから。それはいやだな。
昨年末、無事に選挙が終わりましたね。話が古くて申し訳ない。
立会人のおっさんによると今年はえれえ雪で大変だったんだぜ、とのことでした。準備の人も含めみなさま誠にお疲れさまでした。期日前投票を済ませ、選挙日はぬくぬくしていた僕はどう考えても勝ち組です。
それほどヒップではない日本人なので、インターネットと言えばyahoo!。日本最強のポータルサイトとってもいいでしょう。そしてyahooニュース。帰国してから、ここ最近のニュースのトレンドは徐々に変容しているように感じていました。
中国・韓国の関連した記事が増えていて、それはRecord Chinaやサーチナ、朝鮮日報などの配信記事を多く扱うようになったことも理由として考えられます。
記事を目にする機会が増えること。そして昨今なにかと話題に上るヘイトはなにかしらのつながりがあるのかしら。
いろんなところで選挙の総括がなされていて、そういえば「総括」っていうのってちょっと共産党っぽいな、とか余計なことを考えたりしているんですが、評論家の古谷さんの記事が面白かったです。
総選挙「唯一の敗者」とは?「次世代の党」壊滅の意味とその分析 古谷経衡 yahoo!個人
やっぱyahoo!ですな。
日本の選挙民がまともなのかどうなのか知りませんが、次世代の党の主張は確かに奇異に響きました。これはね、受け入れがたい。
当方、わりとおっさんばっかりの職場にて、現場で顔を突き合わせるのもおっさんばっかだったりしますが、今どきのおっさんはスマホを軽々と弄びます。あ、僕もおっさんだった。
アクセスするのはyahoo!が多いんだと思います。世間話をしていて思うのは、かの国々に対する心証ってここ数年で相当悪化したのではないか、ということ。
まずアクティブな活動に勤しんでいるとは思わないけれど、ネトウヨ的な要素がそこはかとなく感じられる瞬間は確実に増えた気がします。生活の様々なシーンで。それが単なる茶飲み話であっても。そういうのって、例えば僕がベトナムに行く前ってそんなにあったかなぁと不思議に思います。韓国ドラマは流行ってたね。浅田真央よりキム・ヨナのほうが美人だと思うと憤慨していた職場のおねいさまがおりました。そりゃあ好き好きだろうと思うんですけど。
そんなこんなで、古谷さんもおっしゃっているようにネトウヨは必ずしも若者ではない。これは実感でもあります。たぶんミドル世代にも相当広がっているだろうと。上の記事では250万人と推計されていますが、やまもといちろうさんは120万と推定しています。存外身近に多いネトウヨさん。
そんな思想信条を持つ彼らが、一番もっともらしい投票行動を起こさなかったことが興味深いところであります。自民党の集票マシーンにとりこまれた可能性はあります。なにしろおっさんだから。
海外の配信記事があからさまにヘイトを煽るとは言いません。ただ、例えばそういった配信記事って、外国人たる彼らの主張がなんと日本語で(日本語版だからね)ダイレクトに載るわけで、そこは日本の新聞とは当然異なる。風合いの異なる主張として強く響きやすいだろうと。
それが悪いとも良いとも言えない。たとえば、CNNは今回の選挙について「アベはギャンブル選挙に勝った」という言い方をしていて、これも普通の日本人にはやや異質です。ギャンブルじゃねぇよ、鉄板レースじゃねぇかって。
異文化理解の一部だといえば確かにそうなんでしょう。主張に触れることは、彼らの主張や考えていることを読み解く手助けにはなるかもしれない。
ただ気をつけるべきなのは、やっぱり翻訳とはいえ、相手の国で書かれたものはその国の作法に則っている、という心構えがあって読むべきだろう、ということ。ダイレクトに日本の行動様式に変換してはいけない。読まれ方というのがありそうな気がします。
時にはウンザリすることがあったとして、僕が肝に銘じなくてはいけないのは、お互いを見ているようで自分を見ている感覚なのだろう。抹香臭いことを言いますけれど、鏡像だろうと。
ネットってやっぱり「見たいものしか見ない」が強化されるツールです。アクセス解析かけられて、ロボット君はアンタ見たいのこれでしょ、って差し出す。だから、ネットを見ている限り、興味や信念は強化される一方なんだ。他には移らない。
テレビのいいところは、興味が無いもの/見たくないものも強制的に受信することだったんだな。テレビ見るのやめて気が付いたことでもあります。
そういえば東浩紀さんもそんなことを。あずまんは「旅に出よ」と云います。
読んだ:弱いつながり
書評よりも疲れきった半年前の自分の筆致に愕然とします。大丈夫なんでしょうか、この人。
ネトウヨさんたちに「みたくないものを見ろ」といったところで何の琴線にも響かないことは請け合いなので、どうしたらいいものか、と考える。あんまりいいアイディアは思い浮かばない。
僕だってね、ゴシップ記事みたいのって好きですよ。同時にそういったものって、世の中で一番下劣な読み物だってこともまた事実だと思うんです。僕の中の暗いところがニヤリとする感じ。おっさんたちの茶飲み話を聞きながらどこか居心地が悪い気分になるのって、自分の内面には確実に存在するんだけれども「なりたくないもの」だからなんだと思うんです。
んだからヘイトには反対します。自分が腐ってしまうから。それはいやだな。