2016年7月7日木曜日

明るさの尺度

最近はしませんけど、ナイトウォークはけっこう好きです。
ここ10年は基本的には間接照明で生活しています。蛍光灯のヒモは敵です。





今日は七夕で、我が社の建物も20〜22時は消灯してね、というお達しがあったわけです。

今現在、クローズアップ現代を見ていて、久しぶりにペンを取るがごとく、キーボードを。
震災直後、東京の明るさは4割減った、という話。徐々に回復しているけれど、以前ほどではない、とのこと。

大学生のころ、「空の青さを濃くしていくと、夜になるんだろ?」と言ったら、友だちのけんちゃんは、おしい、と言っていた。ほんとにキサマは理系なのか、という顔をしながら。
どこがどう、おしいのか。15年くらいたったけど、未だにさっぱり分からない。


話を戻すぞ。

クロ現では大阪のおねいさんが出ていて、明るいのが大阪やで、と、すごくそれっぽいことを云っていた。イメージどおり。どうもありがとうございます。
そのコメント、感慨深く聞けたのです。
それは僕が、震災直後に東京から大阪に行ったからだと思う。

普段の明かりがなによりも嬉しかった、その言葉に集約される。あのときの東京はやはり、非常時だったから。こんな風にも言える。明かりのない東京はまるで、息絶えた空間だ。
日中でも暗くほとんど明かりが灯らない某大田区役所。たくさんの人はそこにいるのに、その空間は死に絶えていた。僕は配給の列にならんだことはないけれど、きっとこういう雰囲気なのだろうと思った。あ、窓口のおばちゃんは爽やかでしたけどね。

光に規定される空間というのはきっとあるのだろうな、と思うのです。そして、たぶん、光を要しない空間を作れるのであれば、もう少しいろいろうまくいくのではないか、と覆うのです。
照明が要らないといっているのではなくて。空間に応じた光の量があるような気がするんです。東京が暗澹たる街に変貌したのはきっと、その光の量では暗すぎる空間だったからだと思うんです。
だいたい照明というものは、時代に規定されているはずだから、東京も大阪も本質的には大した違いはないでしょう。大阪のおばちゃん的程度の差こそあれ。
あの時の大阪の光は、確かに僕を落ち着かせた。それは間違いない。

それはそれとして、光に応じた空間も、きっと設計できるのではないか。今が明るすぎるならば、少し暗く。応じた空間を。