2019年1月14日月曜日

2018年はこんな音楽を聴いていたよ、の前に

あけまして。ことよろ。
例によって聴いたレコードをひっくり返そうかと思ったんだけども。
その前に。




昨年もたくさんの音楽を聴いた。いくらか減ったんだけども、それなりに聴いた。
音楽を聴くようになってどれくらいだろう。主体的に音楽を聴くようになってどれくらいだろう。主体的って何だ。まあいいや。
さしあたり、15年くらいだとする。

15年前から、未だに現役のアーティストはどれくらいいるだろう。長きにわたり活躍しているということは、それだけの時間生き残ってきたということだ。そのことは敬意を払われていい。
アーティストも人だから、当然寿命がある。聴き知ったアーティストの物故が相次いでいるように思えてしまうのは、彼らもリスナーとしての僕も年を取ったということだ。
15年とはそれなりの時間だ。
年齢的な寿命もさることながら、アーティストとしての寿命がある。特に声を楽器とするシンガーは、経年変化と真正面に向き合うことになる。

僕はシンガーではもちろんないけれど、慢性的腰痛持ちだし、行く整体がことごとく外れだし、首もヘルニアになっちまう等、なんだか40を前にしてボロボロになってきた。

ところでOwl Cityが新譜を出したんだよ。

Cinematic
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Owl City (2018-06-01)
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彼はまだ32歳で、デビューから10年くらいになる。


芸風は変わらない。安定した、期待を裏切らない品質。

でもその声は少し変わった。
柔らかくてスムーズだった声は、少しかすれ、いくらか低くなった。もしくは、キーを落とした曲が目立つ。


見ましたよ。"ボヘミアン・ラプソディ”。
ライブ・エイドのくだり。喉の不調に直面するフレディのエピソード。
"戦慄の王女"が73年、最後の"イニュエンドウ"が91年だからほぼ20年。それはね、声も変わるよね。歌い手ではない僕だって変わるくらいだから。フレディバカバカたばこ吸ってるし。
少年からおっさんまで。融通無碍に操られる、クイーン初期におけるフレディのヴォーカリゼーションはたしかに稀有のものだった。
では晩年のフレディの声は悪いか。
一面では確かにそうだ。でも他方ではそうではない。

僕にとってのアウル・シティーは、ドリーミングな音楽だった。高校生とか大学生の時分のウキウキするような、かわいい女の子と微笑い合うような。
その手の音楽は当然完璧であることが求められる。あくまでそういうシチュエーションにおいては、という意味だ。


そしてそれは完全にこちらの思い込みである。
だってアウルたるアダムさんは、きっとネクラなんだと思うもの。

アダムさんだって、生きていて、変化している。
生きているうちは、静物画のように固定されるわけにはいかないのだ。
そんな事情を斟酌しなくてはいけない。斟酌だって。固い。あは。


特に身体的な意味合いで、人は限りある。汲めども尽きぬ泉を携えた人は、たまにいるけれども、ほとんどいない。その意味で人は、「間に合わせの中で生きている」のだろう。

「心技体が充実した時」を待つのはあまりおりこうさんではないのだ。そんなときは来ないかもしれないし、来たところで本人がよくわからない。ピークを知るのは、下りはじめたときだろうから。
きっと時々の弥縫策こそ最善策で、努めることが道を照らす。
最高ではないとしてもだ。
それがどんなに心地のよいものであったとしても。期待しがちではあるのだけれども。


そんなことを考えながら猛然と走り込みを敢行。早くも筋肉痛。
今年は努める。そうすると、発熱したりするんだよな。僕の場合は。