2011年4月5日火曜日

言うべきことは言ってしまったほうがよい。

実家にもどり再びテレビ生活を堪能。本日まで。

自治体が国に原発事故の早期終息を要請、とな。ふむ。
メガフロートが福島第一に向けて出航、と。

単純に考えてみる。だから間違いがあるかもしれない。
原子炉は冷却される必要がある。だから放水している。
放水すると放水した水の問題が出てくる。マッチポンプ。
海に流れだす。まだマシなほうから流してみる。

これから収束するまでに数ヶ月かかる、とすると、
その間、放水すると考えると、
メガフロート50隻くらいは必要なんじゃない?
と素人考えに思う。ムリでしょ。
というか高レベル放射性物質満載のメガフロートをどうやって処分するのさ?

漏出水が凄まじい量出て、それが貯めておけないのであれば、
手っ取り早く考えるに、放水の中止(炉心冷却の中止)か
漏出水の海洋投棄の2択という選択肢になるように思われる。
避けたい結末は格納容器の(さらなる)破損なんだと思う。
地獄の炉のふたを開けてはいけない。
一番被害の少ない方法を採らなくてはいけない。

ということを洗いざらい言ってしまえばいいのに。
国の責任は免れえないから、いくらでも指弾すれば結構だと思うけど、
「早期終息を要請」している人たちもそういう状態じゃないことは
よく分かっているんじゃないかと思うんだ。
なにか言いたい気持ちはわかる。

そういえば、久しぶりに電車生活を満喫しているわけでもあるんだけど、
中吊り広告が面白くって。電車って楽しいね。
政府に文句をいう人の気持ちもわかるんだけれど、
天に唾していることをご了承の上、批判するといいと思う。
少なくとも20歳より上の人たちは。簡単に被害者だ、だなんて言わせない。

話を戻す。
この素人が俯瞰するに、たぶんどちらかを犠牲にする
ソリューションを取らざるをえないように思う。そしてそれはたぶん海洋だろう。
補償とか、数限りない問題が発生すると思うんだけど、
それは結局原発を稼働することのコストの一部であるわけだ。
甚大なカタストロフを招く可能性のあるものを、「経済的」とみなして
いたことに対するコストを支払うことになるんだと思う。
そしてそんなエネルギー政策にNOと言えなかった人たちはそのコストを
引き受けざるを得ないだろうと思う。


たとえば2年後、福島県は福島県のままだろうか?
あるいは僕の前の職場はいまのままだろうか?
既存の枠組が意味をなさなくなるような、そんな予感。
不確かな感触ばかりが漂う。

2011年3月26日土曜日

休職します。

上記のとおり。
現職を休職させて頂いて、JICA青年海外協力隊に参加することとしました。
任地はベトナムで6月下旬に出国予定です。

このような震災直後ということもあり、自分の下した判断が適切であったのか
どうかが今後一生ついてまわると思う。
それは、ひとつにはまだその被害の大きさ(十分大きいですが)把握しきれないこと、
もうひとつには、現在の僕が災害対応担当職員であること。


マザーテレサはあなたのそばにいる人を救いなさい、という。
たしかそんなことを。
そのとき、僕は何をしている?なにをやろうとしている?
大いなる過ちであるかもしれないことを半ば自覚しつつの暴挙です。
だから一切の批判は、甘受します。
だからこそ、引くに引けない思いで、一生懸命役割を果たすべく努力するつもりです。



僕が背負い過ぎていないか。たぶんそうなんだろう。
自分ひとりがエラそうに、ね。
無数の言い訳に満ちていて、言辞を弄した偉大なるオナニー(なんだそりゃ)
のような気もする。きっとそうなんだろう。
冷ややかであることにも、熱心になりすぎるのも耐えられない。
そのようなことがあるんだとしか、僕にはいいようがない。

2011年3月20日日曜日

天然スギ林 一般開放


「新潟県:【佐渡】「石名天然杉林」の遊歩道を整備し、5月に一般開放します」 
http://www.pref.niigata.lg.jp/sado_nourinsuisan/1280260928332.html 

始まりは地元ガイドの不法侵入(と小銭稼ぎ)だったけど、 
こういう形になりました。まったくみなさん商売上手。 
「秘境」扱いすると、変なお金が発生するから僕は好まない。 
ずっと秘境のままでクローズするか、あるいはオープンな状態にするか、 
どちらかだ。 
というわけでオープン。おかしな額のガイド料はとられないわけです。 

スギの天然林って実はほとんどない。少なくとも僕は本土ではみたことない。 
これを原生林と呼ばないのは、人為的な改変があったから。 
昭和年代に県の財政が傾いた時分、伐採した記録があるのです。 
とはいっても、ここのスギはほぼ原生植生であるとみていい。 
理由は人が植える意味がない、山のてっぺんにあるからね。 
伐採された残りっかすとは言い条、なかなか見ごたえのあるスギ林です。 
屋久島の縄文杉とくらべるとアレだけど。雰囲気はあんな感じ。 
大佐渡山脈、山頂付近の霧深い場所に鎮座まします。 

スギは80年生を超えると葉っぱのカタマリが丸くなってくる。 
ぽよぽよと丸いカタマリがくっついているスギをみたら、 
そいつはかなり年寄りだと思ったらいい。 
だけどその年寄りは甘く見ないほうがいい。 
樹高の伸びは止まるけど、太くなるのは止まらない。 
これを肥大成長という。老いてなお盛ん。こいつに寿命があるんだろか。 

「極相林のスギ林は外観はスギ林だけど、中に入るとスギ林に見えない。」 
これは尊敬する上司に教えてもらいました。 
中に入ると、広葉樹の林のなかにスギがポツポツあるように見える。 
多様な樹種、林齢の木々がわっさ、と生えている。 
スギはまるでなにかの徴しみたいにある。まるで孫を見まもるおじいちゃん。 

島なので、あとはどこから登るかだけなんだけど、複数のハイキングコースが 
整備されるとのこと。もちろんガイドによる説明も付けられる。 
オススメは山野草が美しい5月と天候が安定している7月末から9月末かな。 

屋久島ほど命の危険はないと思われるし、夏の佐渡は本土よりも涼しいので 
避暑がてらに、ぜひぜひおいで頂ければ。

2010年12月19日日曜日

ymene

17.12.2010 目黒パーシモンホール 
たぶん今年最後のライブだな。高木正勝をみるのは初めて。 
ドリーミングなエレクトロニカを鳴らすヒト、というイメージだったけれど 
ピアニストとしての彼は意外に打鍵音の強い、アタッキーなプレイヤー。 
その上、椅子の上でくねくね踊ったり立ち上がったり。アクティブ。 
もっと神経症みたいなヒトなのかと思ってたから。 
出音の強さと、曲間の天然ト/途中で靴下を脱ぐ/手汗を上着で拭う等の 
素行とのギャップが面白い。 


今回はymeneは「夢の根」がコンセプト。 
美しかったり激しかったりするピアノの音を背景に後ろのスクリーンで流れる 
断片的な映像がコンセプトを象徴しているようにも見える。 
映像をみると、僕は無意識にストーリーを求めてしまうのだけれど、 
脈絡の無い、ぶつ切りに流れる映像はそれを許さない。 
時に美しい映像が流れ、時にグロテスクな映像が流れ、「物語化」を拒否する。 
時折現れるピアノを覆わんばかりのSEも聴衆が音楽に身を委ねさせるのを 
許さないかのようにも思えた。 

でもね、夢とはそういうものかもしれない。 
無秩序で無軌道で、散らかっていて、夢から覚めるとあれはなんだったんだろう。 
たくさんのきれいな、あるいは恐ろしいだくさんの欠片を見せることが 
彼の意図であるのであれば、たぶんそれは成功している。 
夢とはつまり、僕らが手にしている素材なのかもしれない。 
見たいもの、見たくないもの。きれいなもの、醜悪なもの。 


アンコールはリクエスト大会。 
「それ難しいんやで」「それ昨日やった」「それ映像もってきてない」等。 
"wave"と"bloomy girls"と"girls"をやってくれた時点で僕は大満足。 
"girls"はドリーミーな映像とかわいらしいピアノがよく合っている。 
あれ、"new flat"やったっけかな。 


面白かったのは、曲を始めるときいくつかの鍵盤をピコピコと叩いて、 
まるで音を捜しているように見えたこと。 
「ちょっと中断、ピアノと仲良くなりますね」といってぽろぽろあそぶ様は 
リハに立ち会っているようでもあったし、婦女子はきっと「ファニー。」と思っただろう。 
本人もいうように「素の」高木正勝はきっとああいうヒトなんだろう。 

同時に彼は音を散らかす。散らかした音の中から、「正しい音」を選ぶ。 
細かい線を何回も書き重ねることによって輪郭を明らかにするような。 
エレクトロニカという手法そのものがそれに近いけど。 
ばらまいて音を捜す。選んだ音が次の音を導く。そんな印象。 
一本の太い線をぐぐいと書けない僕は、彼のそういう仕草に 
なんか親近感をもってしまった。 
あー音楽は作れないけどね。あくまで性格的な話として。 



「世の中の31歳はみんなくねくねしているの?」と、 
僕のほうを見て放たれた疑問については、断固、否、とお答えしよう。 
あれはきっと高木くんだけです。

2010年11月6日土曜日

つぶつぶ放談

ラジヲ生活続行中。ラジコはいつになったら新潟にくるのかしら。 

国会はハチを突いたような騒ぎになってますね。 
そのちょっと前はすべての質問者が「尖閣諸島は日本固有の領土ですが」が 
枕詞になっていてちょっと面白かった。 
尖閣諸島は日本固有の領土ですが僕はもう眠くなりました。 
ほんとうに秘密にしたいことは、誰にも言わないことです。 

それにしても代議士さんの言葉の使い方が悪い。 
狡猾でひねくれていてほとんど罵詈雑言。聞くに耐えない。 
議論と悪口言い合い大会を混同しているのかしら。 
代議士になると性格が悪くなるのか、性格が悪いから代議士になれるのか。 


僕らはだんだんとつぶつぶになって、砂質化している、とよく言われる。 
こりゃマズイと、きずなだの協同だのゆいだのもやいだのとも言われる。 
この種の試みがうまくいくのかどうかは知らない。 

僕らがつぶつぶになったのは、昔、僕らひとかたまりのモノであったときの 
悪い思い出があるからだ。僕はそのことについてよく知らないけれど、 
少なくとも体育会系という人種は大嫌いだし、体育教師などみんな 
クビにしたほうがよいと今でも固く信じている。 
かつてひとかたまりであったとき、あるいはひとかたまりであったからこそ 
自らを思い切りよく投擲してしまった。 
また、ひとかたまりであるはずだったのにもかかわらず、あるつぶは 
ひとかたまりとしては扱われなかった。そんなことがあった。 

そういうふうにして、僕らはどんどんつぶつぶになった。 
つぶつぶであると、さしあたりひとかたまりとしての振る舞いは求められない。 
僕としてのつぶと、となりのつぶとはそりが合わなくてもお互いが等価な存在。 
そりがあわないこと自体はもちろん面白いことではないが、 
それはこちらもあちらも同じこと。 

だから極秘事項や機密文書をyoutubeにアップされても仕方がないと思う。 
僕ら一枚岩じゃないんだもん。つぶつぶなんだもん。 
ダメっていえるはずないじゃない。 
さらに面白いことに、この種の告発はさらに僕たちをつぶつぶにしていく。 
きっとコピーキャットはいくらでも出てくる。 
ただ、この行為をもって僕らがひとかたまりになるかといえば、まずならない。 
小麦粉をふるいにかけるようにして、きれいにこなこなになっていく。 
でもキレイで迫力のある動画でしたね。 

ちなみに国益を損なう、と凄むヒトは好きではない。 
つぶつぶをひとかたまりにしてやろうという野望が透けてみえる気がするから。 
ハスに構えた言い方をすれば、「国益を損なう」と指弾する行為によって 
そういうヒト(でなくてつぶだった)たちは利益を得ている、と 
つぶとしての僕は思う。 
威勢のいい代議士は自分が直面することがないからこそ、威勢がよいのである。 
書いていて実につぶつぶ的な意見だな、と思った。 


まとめると、つぶつぶな僕らは協約的な合意の作成がとっても困難であり、 
昔のひとかたまりのモノに戻ることなど、もう不可能なのではないかと思うわけだ。 
じゃあなにが起こるかといえば、たぶんなにも起きない。 
なにも決まらない、お互いに足を引っ張り合う、ハキとせずうだうだしている、等。 
ただ、この一年間でもこの国は致命的なエラーを犯したか。 
エラーを犯すほど動けてないという意見が正解かもしれない。 
欲を言えばきりがないけれど、そこについては素直に評価していいと思う。 
だれがやってもそうなる。そういうユニークな統治機構なのだという理解はいかが? 


機密性が保てない。それはもう立派なキャラクターだろう。 
そんな国は核武装なんてできないだろうし、ステルスとか売ってくれないと思う。 
全部ひみつしゃべっちゃうから。 
隠し事できないタイプなんだ。 
でもそれが安全を担保しているような気もするな。つぶ的には。 
おしゃべりで八方美人のブリッコ。ツンデレではないな。悪くない。 
日本鬼子を萌えキャラにしてしまう。そんな脱臼加減は秀逸だと思う。 
ほんとメディアリテラシーが高いよね。近ごろの人って。 
毒づくのが仕事だと思っている代議士に爪の垢でも飲ませてやればいいと思います。 
つぶ的にはですが。

2010年8月29日日曜日

責任がある

「民主党に投票した人は、結果に対して責任をもてよ、最後まで支持しろよ」

と、友人がクダを巻いていた。彼は、霞ヶ関で働いて居て、しかもその時は割と酔っ払っていた。
彼の忙しさがどれほどのものなのかよく分からない、大学時代スタミナの塊のようだった彼は
すごく痩せていて、確かに疲れていた。

僕は責任を持つ、と応じたよ。投票したもんね。これ以上はたまらんとおもったからね。


僕が民主党に投票したのは、たぶん政局政局の繰り返しにウンザリしたからだと思う。
自民党内でくだらない足の引っ張りあいをして、グジュグジュと決めたんだかよくわからないことを言う。
君らはもうよい、とおもった。ちゃんと政策を話し合えと思った。
だから投票したんだと思う。
そういえば、選挙権を得てから自民党に投票したことないや。はは。


思うことは二つくらいあって、一つはやっぱり選んだ結果に責任をもつべきだということ。
くるくる支持を変えるということは、なにも変えたくないという意思表示にちかいのではないか。
負けるにはそれにふさわしい要因が確かにあったことはまちがいないけれど。
くだらない無用な政局を作り出しているのは、僕ら自身ではないか。

そして代表戦は結構なことだけれど、衆院選を経て一年間、君らはなにもしていない、ということを言いたいな。
本当になにかを変えるような決断を果たしたのか、それが実績か。そう問いたい。
結局、君ら自身も政局と戯れているだじゃないのか。
それじゃあ自民党とまったく変わらない。
なにもしていないくせに3回も首相が変わるような政党だったら、さすがに愛想つかすね。

2010年8月24日火曜日

ワイヤレスキーボード

使って見ました。
現在Ipadを使用中なんだけれど、入力操作の違和感が解消されなかったので。
タッチ式のキーボードは場所を取らない。それはたしか。
でも、短文ならまだしも長文を書くのはとってもしんどかった。
非常に好調ですね。これ。
いい感じ。