ひさびさにリアルタイムの話題を。
ベルギー最高齢アスリートが安楽死、シャンパンで乾杯して旅立つ(2014.1.8, AP)
そしたらこんな記事にも出くわす。
安楽死の権利に賛意「車椅子の天才科学者」ホーキング博士 (2013.9.18, 産経新聞)
スティーブン・ホーキングは物理学者にしてALS患者。たまにテレビでも出てくる、車いすに乗ったわりと有名なひと。
この記事によると、彼は「末期の疾患で大きな苦痛を持つ人は、死を選べる権利が与えられるべきだ」と述べ、安楽死や尊厳死の権利に賛同した、とのこと。
これ、ほんと?
もともとはBBCのインタヴューだったそうなのでBBCのサイトを覗きに行ったんだけど見つからない。かわりにABCの記事が出てきた。これでいいのかな。
Stephen Hawking Flip On Assisted Suicide Divides Right-to-Die Movement
(2013.9.18, ABC)
まず感銘を受けたのは、スティーブンと呼ばれている彼はステファンと呼ばれていること。知らんかったよ、ステファン。
フリップって、三文芸人がクイズ番組で掲げるアレを想像してしまうのは、日本の悪しき伝統なのかもしれん。
ちなみに「死ぬ権利」論争っていうのはおそらくヒューマンライツの一部として「死ぬ権利」を掲げる人たちの運動のことを指す、と思う。
Stephen Hawking, the brilliant theoretical physicist who has been on life support for 23 years battling ALS, has fueled a deep divide in the right-to-die movement by saying that those who have a terminal illness and are in pain should be able to end their lives "without prosecution."
"There must be safeguards that the person concerned genuinely wants to end their life and they are not being pressurized into it or have it done without their knowledge or consent as would have been the case with me,"
彼のコメントに戻ると、そもそも「外部からの影響を排除した上で自己決定できる」と本気で思ってるの、ステファン?という疑問が頭をもたげる。
字面を追うだけだと彼がどういう考えなのか、実は分からない。ABCの記事によると、「死ぬ権利キャンペーン」のキャンペイナーは彼の「転向」について、「彼は「転向」していないし。つーか、そもそもキャンペーンに反対してないし。ネバーや」と述べている。見事に捻れっぷり。
今回の彼の発言は短すぎて、賛成しているのか反対しているのか、誰にも分かってないのじゃないかな。意図を図りかねる、という感じ。
ぶっちゃけほかの患者の手前、迂闊なことは言えるはずがないのだ。
なので、ここはこの私が勝手に補おうと思う。
自己決定に際して外部の影響を排除することが不可能なことを、彼は理解している。なにしろ天才学者ですから。今回のコメントは周囲の状況に疑義がない状況で「こと」が起きても訴追とかやめたほうがいいのでは、ということを云っているのではないか。
そう考えると「死ぬ権利キャンペーン」に反対している彼と、比較的地続きに接続できる気がする。法律変えるぜ!というよりは細かい手続きの話、という程度のような気がする。
だから僕から見れば、やっぱり転向してない、ネバーや、と思う。件のキャンペイナーさんとは見事な逆張りですけど。しかしここから想定できることは、ホーキングさんは、、やめとこ。
そんな彼の意図はどうであれ、この内容だけなら日本の記事は飛ばし過ぎだろう。いくらなんでも、これでは「ホーキング博士は安楽死/尊厳死の権利に賛同している」とはとても言えない。
「あの、難病で苦しむホーキング博士が尊厳死を認めた」と、これみよがしに引用する馬鹿野郎が出てくることが必至で、むしろそういう意図でこういう記事になったのかな。そんなことを考える。
まず95歳のじいちゃんについては幸福なケースだと思う。
いうことのない、いい人生だったでしょうね。
そしてホーキングは当事者として、言葉を選びながらとても重い発言をしていると思う。しかし「周囲の圧力なしで完全に自己決定できる環境」なんてありえない。人は人と生きているからだ。
僕らの生きる社会では、終末期医療を「差し控える」のではなく、患者が(周囲に配慮して)自分の命を「差し控える」風に転がっていく可能性はごまんとある。そっちの方が多いだろう。
なにより死にたい人は法制化せずとも勝手に死んでしまう。だからホーキングはあえて事後の刑事訴追のみに話を絞っているとすら思えるくらいだ。
法制化が「自分の命を差し控えるメンタリティー」を当たり前にしてしまうことを、僕は恐れる。
ピースサインで旅だったじいちゃんは、まさか自分のパーソナルな決定が他の誰かの生を圧迫するなんて、考えてもいなかっただろう。
でもそれを材料にする人は、きっといる。
前にこんなことをグダグダ考えた。「読書ノート「良い死」立岩真也、の再録」参照。
「死」に名誉や美徳を与えると碌なことがないなんてことは、日本人はよく知っているはずなんだけれど。
アメリカでは「死ぬ権利キャンペーン」がどれくらい規模が大きいのか、よく知らない。「死んだほうがマシ」という感覚は、社会保障との関係で決まる部分もある。虫歯で10万、盲腸で300万とか請求書が届く社会は生きにくい。
だから「死ぬ権利」の追求は個人の救済であるとともに「社会保障負担を減らしたいと考えている金持ちや政策担当者」にとっての救済でもあるはずだ。オバマケアが難航しているのには、そんな側面もある。
彼らがほんとうに主張し、手に入れたいのは「死の権利」なのか。
彼の国は(もちろんこの国も)、そんなことも考える必要があるのだと思う。
以前も挙げたと思うけれど。
モリー先生はホーキングと同じくALSだった。
偶然、先生の最期のひとときに立ち会った昔の教え子との間にはじまる、最後の授業。
映画になりそう、と思ったらもうになってました。
それが鼻水なのか涙なのかなど関係ない。
溢れ出る、感動という名前の液体でしょうよ。
それからしばらくして、次の本を手にとったとき、上のつるりとした美談に違和感がよぎった。モリー先生、どうして人工呼吸器をつけずに死んだんだろう?
この話はもう少し、奥行きがあるのだ。
立岩先生。いつもの読みにくい文体ではなく、エピソード集/レポルタージュという趣きなので読みやすい。
ALSがどういう病気なのか、患者は何を考え、どういう生活を送っているのかがわかる。人工呼吸器の話も出てくる。実はここが大事なところ(この病気の「予後」に直接かかわるもの)だともわかる。
この本には「モリー先生」に関する言及もある。変な言い方だけれど、セットで読むことをおすすめする。世界は重層的ですから。
そして、そして。
どこで読んだのか忘れてしまったんだけれど、難病ビルマ女子の大野更紗さんが「しっかりとした社会保障のためにこの国は経済成長しなくてはいけない」的なことを対談だったか鼎談で言ってたのも印象に残っている。
1年とか2年とか前だから、今とは雰囲気が違うかもしれないけれど、変に悟り澄ましたような「これからは縮みながら生きていく」的空気が支配的だったようなころの話。何から、どれから縮むのかと考えるときに、まっさきに削られてしまうのは誰なのか、何なのか。
私たちが生きるために社会は経済成長しなくてはいけない、なんて、なんて強いメッセージなんだろう。ああ!お前らのために社畜がんばるさ!と応えたくなる。
さしあたり、こういう考え方を僕は前向きと呼びたい。
病気を抱え、重苦しいテーマに取り組みながらも世知辛い渡世を軽やかに韜晦する大野さん。若いのに凄いなぁと思う。
健全な好奇心は病に負けない 大野更紗×糸井重里(ほぼ日刊イトイ新聞)
これもおもしろかった。
こんなイベントがあるらしい。行ってみようかな。東京かよ。
うちゅうじんの集い vol.4 (大野更紗ブログ)
ベルギー最高齢アスリートが安楽死、シャンパンで乾杯して旅立つ(2014.1.8, AP)
わたしの人生の中で最高のパーティーだ。友人全員に囲まれて、シャンパンと共に消えていくのが嫌だなんて人がいるかい?そだね。
そしたらこんな記事にも出くわす。
安楽死の権利に賛意「車椅子の天才科学者」ホーキング博士 (2013.9.18, 産経新聞)
スティーブン・ホーキングは物理学者にしてALS患者。たまにテレビでも出てくる、車いすに乗ったわりと有名なひと。
この記事によると、彼は「末期の疾患で大きな苦痛を持つ人は、死を選べる権利が与えられるべきだ」と述べ、安楽死や尊厳死の権利に賛同した、とのこと。
これ、ほんと?
もともとはBBCのインタヴューだったそうなのでBBCのサイトを覗きに行ったんだけど見つからない。かわりにABCの記事が出てきた。これでいいのかな。
Stephen Hawking Flip On Assisted Suicide Divides Right-to-Die Movement
(2013.9.18, ABC)
まず感銘を受けたのは、スティーブンと呼ばれている彼はステファンと呼ばれていること。知らんかったよ、ステファン。
さて。
まず見出しからおもしろい。スティーブンことステファンは、「安楽死(尊厳死)と「死ぬ権利」の論争にひとこと」云っているらしい。フリップって、三文芸人がクイズ番組で掲げるアレを想像してしまうのは、日本の悪しき伝統なのかもしれん。
ちなみに「死ぬ権利」論争っていうのはおそらくヒューマンライツの一部として「死ぬ権利」を掲げる人たちの運動のことを指す、と思う。
Stephen Hawking, the brilliant theoretical physicist who has been on life support for 23 years battling ALS, has fueled a deep divide in the right-to-die movement by saying that those who have a terminal illness and are in pain should be able to end their lives "without prosecution."
著名な物理学者で、23年間ALSと闘病を続けているステファン・ホーキングは、終末期の病状や痛みを「訴追なしで」終わらせることができるようにすべきと発言し、「死ぬ権利」の論争に一石を投じた。
超訳なので間違ってたらごめんね。そしてぶっきらぼうでごめんね。訳してて不安。「訴追なし」っていうのはいわゆる自殺幇助に対する刑事訴追のことだろう。
中身は産経の記事でだいたい合っているみたい。
(私のケースように)周囲からのプレッシャーがなく、(十分な)知識や同意がある場合、誠実に人生の終わりを望んでいる人に対して「セーフガード」があるべきだ。
自死を「セーフガード」と呼んでいる。
掲載されたインタヴューそのものはごく短い。ABCの記事は「死ぬ権利」のキャンペイナーの人たちのコメントが続く。そして彼が2006年にアンチ「死ぬ権利キャンペーン」に参加したこと、そして今回の発言は「転向」として紹介されてもいる。
”In 2006, he became the poster child for opponents of assisted death, saying, "I think it would be a great mistake. However bad life may seem, there is always something you can do, and succeed at. While there's life, there is hope."掲載されたインタヴューそのものはごく短い。ABCの記事は「死ぬ権利」のキャンペイナーの人たちのコメントが続く。そして彼が2006年にアンチ「死ぬ権利キャンペーン」に参加したこと、そして今回の発言は「転向」として紹介されてもいる。
2006年、彼は尊厳死/安楽死反対ポスターのモデルになったとき、こう云っている。”私はそれ(尊厳死/安楽死)が大きな間違いであると思う。どんな悪い状況に思えても、あなた方自身にできることや達成できることはある。生ある間には希望があるのだ”グッときた。
彼のコメントに戻ると、そもそも「外部からの影響を排除した上で自己決定できる」と本気で思ってるの、ステファン?という疑問が頭をもたげる。
字面を追うだけだと彼がどういう考えなのか、実は分からない。ABCの記事によると、「死ぬ権利キャンペーン」のキャンペイナーは彼の「転向」について、「彼は「転向」していないし。つーか、そもそもキャンペーンに反対してないし。ネバーや」と述べている。見事に捻れっぷり。
今回の彼の発言は短すぎて、賛成しているのか反対しているのか、誰にも分かってないのじゃないかな。意図を図りかねる、という感じ。
ぶっちゃけほかの患者の手前、迂闊なことは言えるはずがないのだ。
なので、ここはこの私が勝手に補おうと思う。
自己決定に際して外部の影響を排除することが不可能なことを、彼は理解している。なにしろ天才学者ですから。今回のコメントは周囲の状況に疑義がない状況で「こと」が起きても訴追とかやめたほうがいいのでは、ということを云っているのではないか。
そう考えると「死ぬ権利キャンペーン」に反対している彼と、比較的地続きに接続できる気がする。法律変えるぜ!というよりは細かい手続きの話、という程度のような気がする。
だから僕から見れば、やっぱり転向してない、ネバーや、と思う。件のキャンペイナーさんとは見事な逆張りですけど。しかしここから想定できることは、ホーキングさんは、、やめとこ。
そんな彼の意図はどうであれ、この内容だけなら日本の記事は飛ばし過ぎだろう。いくらなんでも、これでは「ホーキング博士は安楽死/尊厳死の権利に賛同している」とはとても言えない。
「あの、難病で苦しむホーキング博士が尊厳死を認めた」と、これみよがしに引用する馬鹿野郎が出てくることが必至で、むしろそういう意図でこういう記事になったのかな。そんなことを考える。
まず95歳のじいちゃんについては幸福なケースだと思う。
いうことのない、いい人生だったでしょうね。
そしてホーキングは当事者として、言葉を選びながらとても重い発言をしていると思う。しかし「周囲の圧力なしで完全に自己決定できる環境」なんてありえない。人は人と生きているからだ。
僕らの生きる社会では、終末期医療を「差し控える」のではなく、患者が(周囲に配慮して)自分の命を「差し控える」風に転がっていく可能性はごまんとある。そっちの方が多いだろう。
なにより死にたい人は法制化せずとも勝手に死んでしまう。だからホーキングはあえて事後の刑事訴追のみに話を絞っているとすら思えるくらいだ。
法制化が「自分の命を差し控えるメンタリティー」を当たり前にしてしまうことを、僕は恐れる。
ピースサインで旅だったじいちゃんは、まさか自分のパーソナルな決定が他の誰かの生を圧迫するなんて、考えてもいなかっただろう。
でもそれを材料にする人は、きっといる。
前にこんなことをグダグダ考えた。「読書ノート「良い死」立岩真也、の再録」参照。
「死」に名誉や美徳を与えると碌なことがないなんてことは、日本人はよく知っているはずなんだけれど。
アメリカでは「死ぬ権利キャンペーン」がどれくらい規模が大きいのか、よく知らない。「死んだほうがマシ」という感覚は、社会保障との関係で決まる部分もある。虫歯で10万、盲腸で300万とか請求書が届く社会は生きにくい。
だから「死ぬ権利」の追求は個人の救済であるとともに「社会保障負担を減らしたいと考えている金持ちや政策担当者」にとっての救済でもあるはずだ。オバマケアが難航しているのには、そんな側面もある。
彼らがほんとうに主張し、手に入れたいのは「死の権利」なのか。
彼の国は(もちろんこの国も)、そんなことも考える必要があるのだと思う。
以前も挙げたと思うけれど。
偶然、先生の最期のひとときに立ち会った昔の教え子との間にはじまる、最後の授業。
映画になりそう、と思ったらもうになってました。
それが鼻水なのか涙なのかなど関係ない。
溢れ出る、感動という名前の液体でしょうよ。
それからしばらくして、次の本を手にとったとき、上のつるりとした美談に違和感がよぎった。モリー先生、どうして人工呼吸器をつけずに死んだんだろう?
この話はもう少し、奥行きがあるのだ。
ALSがどういう病気なのか、患者は何を考え、どういう生活を送っているのかがわかる。人工呼吸器の話も出てくる。実はここが大事なところ(この病気の「予後」に直接かかわるもの)だともわかる。
この本には「モリー先生」に関する言及もある。変な言い方だけれど、セットで読むことをおすすめする。世界は重層的ですから。
そして、そして。
どこで読んだのか忘れてしまったんだけれど、難病ビルマ女子の大野更紗さんが「しっかりとした社会保障のためにこの国は経済成長しなくてはいけない」的なことを対談だったか鼎談で言ってたのも印象に残っている。
1年とか2年とか前だから、今とは雰囲気が違うかもしれないけれど、変に悟り澄ましたような「これからは縮みながら生きていく」的空気が支配的だったようなころの話。何から、どれから縮むのかと考えるときに、まっさきに削られてしまうのは誰なのか、何なのか。
私たちが生きるために社会は経済成長しなくてはいけない、なんて、なんて強いメッセージなんだろう。ああ!お前らのために社畜がんばるさ!と応えたくなる。
さしあたり、こういう考え方を僕は前向きと呼びたい。
病気を抱え、重苦しいテーマに取り組みながらも世知辛い渡世を軽やかに韜晦する大野さん。若いのに凄いなぁと思う。
健全な好奇心は病に負けない 大野更紗×糸井重里(ほぼ日刊イトイ新聞)
これもおもしろかった。
こんなイベントがあるらしい。行ってみようかな。東京かよ。
うちゅうじんの集い vol.4 (大野更紗ブログ)