2008年6月15日日曜日

地震

大変な被害になっている。
山がぐさぐさに崩れたりとか本当に普段ではありえない光景が
テレビの向こう側で広がっている。すこし、一年前のことを思い出す。

7月17日。僕の誕生日。僕は柏崎にいた。
災害救援という名目で職場から派遣されていた。

僕が新潟にきたのは平成17年。16年の震災は東京で体験した。
だから、初めて被災地に足を踏み入れたのは去年が初めてということ。

不謹慎なことだけれど、道中、道がうねっていたりしてちょっとウキウキしている自分がいたね。
でも、柏崎について、倒壊した家屋を見て言葉を失う。

住んでいる人は後片付けとか、通常に戻るべくやることはたくさんある。
正直にはなすと、僕はちょっとカタストロフが見てみたい人間だった。
崩壊、というものがどのようなものであるのか。
僕は別に物見悠山にいったわけじゃないので、できることを見つけて
できるだけやらせてもらったつもり。十分であるとはとても思えないにしても。

結論からいうと、崩壊した場所にいるということは、
とても消耗することだ。不快なことだ。そう思った。

ゴミの収集車がこなくて、残飯が腐っていくのはどれだけ不快なことか。
不便さを強調してもきりがないのだけれど、手が洗えないということはどれだけ不快なことか。
僕はこれまで想像できなかったこと。
僕と同じようなメンタリティの人が他にいるのかどうかわからないけど
普通の住環境で世界の終りを想像することはだいぶ違う。控え目にいって。

疲れることについて。
その場所でなんとかして生きていくには、当然かなりのエネルギーが必要だ。
「なんとかして生きていく」というのはすごく疲れることだろう。
僕は余所から来て余所に帰っていく存在ではあったけれど
その場に住んでいた人たちはこれからもそこで生きていくんだ。
ガレキを片づけて、家を直して。
その道のりの大変さは結局その場に住んでいない僕にはわからないんだろうな、と思った。
共感、という言葉の限界というか。そのようなものを感じた。
だから、崩壊を想像することはできても、その場に居合わせても、僕には結局わからない。

わからない、ということは幸せなことでもあるんだろうけれど。
僕が言いたいのは、エアコンの中で「崩壊」を想像することは実際の「崩壊」とは
だいぶちがうんだ、ということ。
大きな不幸に対してお見舞い申し上げると同時に、一刻も早い現地の復興をお祈りします。