違うんだ、最後まで聞いてくれ。不謹慎だれど、嫌いじゃないの。こういうの。
↓本題。
ガザ侵攻、イスラエル・ハマス双方の事情と選択 dragoner
頻繁にロケット弾が打ち込まれ、子どもが誘拐されるような環境にある国の住民が、穏当な手段を望むでしょうか?ぐさっと。
日本はどうか?だぶん同じじゃん?筆者さんはそう問いかけています。
「報復の連鎖」ってずいぶん手垢のついた言葉だ。そのスパイラルに嵌らさえしなければたぶん、彼らも普通の人たちなのだろう。そんな想像はつくのだ。
引き寄せられるようにして、好む好まざるに関わらず、相手を敵として、許し難い存在として憎む。そして人は、鬼になるだろう。
筆者さんの考えのとおり、日本で同じことが起きたらおんなじだろうな。そう思う。「護国の鬼」なんて言葉もあるくらいでさぁ、
ここ最近の集団的自衛権の話で印象的だったのは、反対派の声が妙に軽く聴こえたこと。僕がね。「子どもを戦争に送るな」とか。言葉自体はとても重たいはずなのに、何やらリアリティを欠いた、空疎なものに響いた。
その事実に少し驚く。僕は変わってしまったのか。
なぜリアリティが失われたんだろう。たぶん、戦争やそれに類する事案がこの辺りで発生する蓋然性が高くなったから、リアリティを帯び始めた(と僕が考えるようになった)から。かもしれない。
相手が煽るからだとか、関係がない。イスラエルとパレスチナの関係だってそうでしょう。彼ら、その気になれば2000年くらいは簡単に遡れる。原因を特定したとして、それに何の意味があるだろう?
仮に「戦争は最悪な振る舞いだ」という前提は共有されていたとして、「家族を守ることと天秤にかけるような局面が訪れたら、どうする?」という質問があるとする。
たぶんそれがガザのリアルであって、日本でも手触りのある議論だ。そう感じられ始めているのだとしたら、どうだろう。
「社会党的なもの」がリアリティが持った時代はこの国にも確かにあったのだ。確かな手触りだったものがどうもだんだんと、あいまいなものになった。
簡単なことだ。上の設問を「社会党的なもの」はどんな風に回答するだろう。答えられないのだ。彼らの狙いはそんな設問が俎上に上がらないような社会をつくること、だったから。
だからいま、社会党的なことを言えば言うほど、その言葉は色あせていく。
戦中派の皆さんは口を揃えて戦争は最悪だ、と云っていた。
実際そうなのだろう。だから、繰り返し繰り返し、彼らは語った。
コトが起こってしまえば、きっと誰でも鬼になるのだ。家族や親しい人の命がかかっているならば、僕も鬼になるだろう。子どもを殺された親が犯人に極刑を望むみたいに。
そして、鬼になってしまえば、止まらないだろう。だとすれば、まだ正気を持った人であるうちに、「もっとも避けるべきもの」をよくよく考えた方がいいはずなのだ。
こう思う。一連の諸先輩の繰り言は、僕らへの十字架ではないか。
その賢い頭で好きなだけ戦略とやらを考えればいいさ。でもひとたび戦争が始まって、終わったら、お前らは絶対に後悔しているだろう。それは保証してやる。
彼らはきっと、そう云っているのだ。
こんな時にね、賢い頭で快刀乱麻なソリューションを示せればよいのだけれど、なにぶん匹夫でしかないので、おずおずと考えていくしかない。
そう、いろいろと考えさせられる記事でありました。
↓いずれ読みなおす。
ベトナムにまで持ち込んで、今だに感想文が描けない一冊。えっとですね。10年前から持っているんです。
とっても易しく書いてあって、薄い本なのに言葉が出てこないのは、この本そのものがエモーショナルだからだ。堅苦しいタイトルなのにさ。
ある残酷行為が反復され、日常的にいわば制度化されてしまっているとき、その「残酷さ」を問題化するときに、それが「故意に」なされたものであるかどうかよりも、どのような苦痛が割けられるべきはずのものであるか、という問いのほうが彼女(注:シュディーズ・N・シュクラ−)にとっては重要であるからだ。 p14
ガザのことを考えるのも想像力ならば、それが自らの身に起きると考えるのも想像力だ。それは結局同じことだし、そもそも大した想像力はいらない。
遠くの場所の事件ほど、まず身の回りで起こらないと考えがちだけれど、そんな風に考えて良い理由なんて、実はほとんどないのだ。
そもそも「残酷さ」なんて、僕らは日々直面してるでしょう?
まずは「希望の党派」ではなく、「記憶の党派」として生きること。僕は肝に銘じよう。
手触りと温もり。匹夫でしかない僕はせいぜい、それを忘れないように。
そこからはじめるくらいがちょうどよい。