世の中お盆なのにくっそ忙しい日々を過ごしています。
8時間は寝たい。惰眠と云われようが。9時に帰ってきたら10時に寝たい。
先日、恩師が知事選に出まして、8時すぎに早くも当確が出ました。相手方の本命候補の。
それはどうでもいいんです。叱られそうですが。
恩師の選挙公約を拝見しまして。マツ林の防除にネオニコチノイド系の薬剤は使わない、と仰っていたのが印象的で。僕もこの関係の仕事を以前したことがあるので、ほうほう、と思って眺めました。僕が森林病害虫担当をしてたときはまだ導入されてなかったんですよ。ネオニコチノイド。6年くらいは前ですね。
この辺の話について三行で経緯を書ききる。
・松枯れはマツクイムシ(マツノザイセンチュウ)という舶来の線虫が関係。
・日本では有機リン系殺虫剤が使われてきたけど、批判がすごい。
・なのでここ数年、ネオニコチノイド系という薬剤が出てきた。
DDTをその頭上に振りまいていた世代が往々にして矍鑠としてるのにひきかえ、現代っ子のアレルギー渦という状況には若干納得がいきません。僕もアトピーなんで。なぜこうなるのか。
ネオニコチノイド系薬剤の位置付けについて簡単に紹介しておくと、有機リン系薬剤とほぼ同等の薬効を持つものとして導入されています。ニコチン系だし、化学式的には有機リン系とけっこう似てる。ベンゼン環が入ってる。
そして、有機リン系薬剤の風当たりの強さ、というのが導入の理由としては、やっぱりあるんでしょうね。
有機リン系殺虫剤の悪影響なんて、ちょっと調べるだけでたくさん出てくるので各自調べて下さい。ネオニコチノイドについても同様。僕は化学の人ではないし、なによりめんどくさいので。
合議の末に有機リン系はもちろん、ネオニコもやめようぜ。実際、ネオニコ系薬剤は安全なのか、そうとも言い切れないようだし。という理路があったとします。
考え方や選択としては、いいんじゃないでしょうか。
この後に問題になるのは、代替案をどうするか、というところです。
ヘリ散布→地上散布→無人ヘリ散布(地形条件によるので一概にこの流れとは言い切れない)という流れは、なるべく薬剤の飛散を最小限にしようという意図であって、そのココロはやっぱり人にも有害な薬剤であるという証左なのかもしれない。
水田への薬剤散布はいいのか、と言いたい気もしてくるんだけど。
マツ林への地上散布や空中散布をやめましょう。そのあとそのマツ林はどうするの、というところ。ぱっ、と浮かぶ選択肢は下記。
・枯れるに任す
・樹種転換 or 抵抗性マツを植える
・樹幹注入(薬剤を幹に注入 5年くらい持つんだっけ)
ご案内のとおり外来種というやつは、それまでの交わりが少なかったやつであるわけで、しばしば破壊的な振る舞いをします。黒船と形容してもいいですし、助っ人外人になぞらえてもいいでしょう。パワフルです。エボラ熱みたいなもんですね。
物の本によると年間の被害量を面積の93%以下にしないと、翌年は被害量が増える、という報告もあって、自治体は守備範囲を絞って毎年対策してた、というのが実態ではないかと思うわけです。
下2つはイニシャルコストがかかる。数十倍。かかるけれど、有機リンやネオニコ使うよりマシさ、というのなら話は別。
散布はアニューアルコストがかかるので、長期的に見れば案外合理的な選択かもしれない。
一番上の「枯れるに任す」っていうのがベストソリューションに見えて、案外ディープなのかもしれません。健康さえ守れれば、マツなんて枯れていい、と、この国の人は言い切れるのかしら。
「白砂青松」を善きものとしていた国ですし、良いお庭や景勝地には枝ぶりのいいマツがあるものですから。いやいや、大事なのは守るのよ、というあなたはゾーニング派。3番の樹幹注入に転がる感じです。
一連の散布事業からの脱却は、たぶん可能。
ただ、政策転換を図るのであれば、もっとこまやかなゾーニングと犠牲となるマツ林、そして代わりとなる財政措置が必要になるんじゃね?といいたいわけです。林業的には。
そしてたぶん、健康を守れ!と言い募るひとは、マツ林の育成の話ってさっぱり興味がないんじゃないかしら、というところが心配。マツなんか枯れてもいい、と思っていたとしても全然不思議ではない。
おさいふはひとつしかないけれど、たくさんの考え方や意図、目的がある、ということを理解しなければ、物事は進まないんでしょうね。「市民の健康とマツ林のバーター取引」という方程式が成り立つのかどうか、今の時点では断言できないけれど、たぶんそういうことを考えないといけない。
もう少し考えを広げると、海岸防風林ってほとんどマツですよね。クロマツ。津波に対する干渉効果が皮肉にも明らかになったのが3.11であったこともまた、確かです。海岸林はどうするの、という問題。言ってみれば「健康」と「安全」のバーター取引でもあります。もちろん、その地域地域で事情は異なるとしても。
単にダメ、と言われるだけでは引き下がれない人がいるから。
「最後は金目でしょ」(byのぶてる)というのは案外正しい、という話。