2011年11月6日日曜日

イスをつくる。


どうも納期が近いらしく、工場では盛んにイスを作っている。





作られた集成材の板材から、おしりを乗せる板と、足の部分、背もたれの部分が切り出される。


切り出しをしてしまい、さらに最後に研磨が入るので板材のときに目についた細かい不整合はこの時点ではあんまり気にならない。

それぞれ作られた部材を組み立てる。

切ったホゾをちょっとずつ削りながら、組み立てていく。家具制作って見たことがないのでよくわからない。


型ができたら微調整。ガタガタしないようにする。


ベトナムにしてはわりとシンプルなデザイン。ただし、かなり重たい。油分が多いからか。
曲げ強さとか、調べてないけれどとても硬い木だし、構造材でもないから、耐久性はありそう。







組み立てが終われば、あとは研磨と塗装。
研磨と塗装は、女性の仕事のよう。

ずっとこっちを見ていたのに
カメラを向けるとカサを目深に被り、
下を向いて作業い戻ってしまうのだった。

この種のイスはよく人民委員会とか共産党の施設で使われている。日本で言えば県庁とか市役所とかそういった公共施設のイスだ。

カマウ省では、JICAの支援で内部調達からとりあえず生産を増やしてみるという方針がある。逆に、それくらいしか販路がないということでもある。




ここの人はあんまりメラルーカ家具の色合いが好きではないらしく、
塗装したほうがいいという。白木で見た目はなかなかきれいだと思うけれど。
集成材の接合部とか、きちんとしたほうがいいと思うけど。
油分が多いなら磨きこんだらきれいかもしれない。


逆に一般家庭ではこうした木製家具はほとんど見かけない。
たまにお金持ちの家の居間にゴテゴテとしたセンスのない
巨大な木製の応接セットを目にする。座り心地は、悪い。
見てくれ重視で、ユーザーフレンドリーではないのだ。

普通の庶民はプラスチックやスチールの家具をたくさん使う。
ずっと安価で、派手な色合いを好むここの人向きなのかもしれない。
木製品であっても、普通の人が普通に使う家具というのは、
自分でテキトーに作ってしまう。

ここの人にとって
お金を払って買うモノの中に木製家具は、残念ながら含まれていない。
だから、使いやすさやデザインを真剣に考える機会がすくないんだと思う。
僕にデザインができればいいのだけれど、そういうのはカラキシなので。



テーブル、イスともに110万ドン。日本円にすると4,000円くらい。

家具デザイナーさん、販売店さん、ピンときたらご連絡を。

板をつくる。






日本で集成材、というと、とても巨大な構造物の柱材とか
そういうイメージしかない。そしてあんまり好かれていない。
シックハウス、耐久性、経年劣化、ムクの家がいい、云々。
そもそも、家具材に集成材を使うなんて知らなかったのだ。

ここでは家具にしてもそれに見合う部材がそもそもない。
樹齢何百年の板材は日本でも希少で高価だけれど、
ここには20年を超える木だってほとんど存在しない。
原料が小さすぎる。
だから、集成材を作る。



なぜ、ここには小さな木切れみたいなものしか存在しないのか。
それは、部材の利用が徹底されているから。
梢の部分は薪炭に、そこから下は杭材と足場材に、
元玉に僅かな部分のみが家具材として利用される。
杭材と足場材が今のところもっとも売値がいいので、家具材は割を食う。

加えて、最大限の杭材を生産するため密植を行なっていること。
密植は林内競争が激しいため伸長成長が促進され、
完満な、根元と梢の大きさの差が少ない材を生産できる。
そのかわり、密植では材が太る肥大成長はほとんど期待できない。
肥大するスペースがほとんどないから。

そんなこんなで、カマウの家具生産はまず、カマボコ板みたいなものからスタートする。




ある程度定形にカットされたカマボコ板状のメラルーカやアカシアの木切れを大量に作る。これをボンドでつなぎ合わせるのだ。

木切れの接合部にボンドをつける溝を切って機械で圧着させる。


ボンドは身体にいいものかとか見た目ではよくわからないけれどまあ、触った感じと匂いは木工用ボンドだな。

職場のおねえさんは黙々とボンドつけ作業に勤しむ。どうもこちらの人はカメラを向けると下を向く。


















機械で木切れ同士を接着する。3m程度の長さに揃えて切断。木切れは、まずは棒に。













線になった棒を今度は面に。

必要な長さでカットした棒の側面にまたボンドを塗りまた圧着させる。
機械を使っているのは溝切りと切断、圧着させる万力だけで、あとはほとんど人力でこれらの作業が行われる。


日本の集成材工場やプレカット工場はあんまり人がいない。工作機械が仕事をしている。
ここの工場は、というかベトナムはありはまるほどに、人がいっぱいいる。とにかくいっぱいいる。











人の手が必要な技術とは、その技術が機械では代替不能である場合が多い。
そんな技術は日本でも相変わらず存在するけれど、相対的に少ない。

ここで働く人が、突出して木材加工に熟練した技術を保有しているかといえば、
きっとそうとは言えないんだろう。もちろん、僕よりははるかに上手だけれど。


かっこいい背中を見せている彼は、職長さんみたいなひと。
まごまごしながら、ここの仕事を見せて欲しい、とお願いする
僕の拙いベトナム語を、大きな目でふんふん、と聞き、
いいよ、どうぞ、と笑顔で答えて案内してくれた。

彼は工場向かいにあるカフェを経営している。
工場で一仕事終えると、木くずと油にまみれた手を拭い、魚を下ろして
身重の奥さんと昼ごはんをつくり、お客さんにお茶を出しながら娘をあやして、
タバコを吸いながらハンモックでごろごろする。
なんでもできる。
僕なんかよりもずっとなんでもできる。
技術を身につけるということは、一体どういうことなんだろう。
ご飯を頂きながら、そんなことを考える。




作られた板材の品質は、
正直あんまりよいものとは思わない。
そもそも、一枚板が取れる場所であれば、
こんな作業は必要ないのだ。
同じ家具工場でもホーチミンのほうが
質のよいものを作っている。

もっと効率的な経営をするためには、とか
生産性とか技術、立地条件を考えて
そもそもここで家具生産をする必要は、とか


そんな冷めたことを考えるには
あまりにも、ここの人は温かい。




2011年10月30日日曜日

土が少ないこと

じっくりゆっくり。寝坊をしてみた。

出張中は、まあ、いろいろあったわけだけれど、
カマウ以外の森林を見ることができたのが個人的には収穫。


カマウにあるメラルーカ林は単純一斉林。
天然林でもほぼメラルーカだけの純林ができあがる。
でもBinh Châuでみることができたのは雑木林というか、常緑照葉樹林。
久しぶりにみて、ああ、そういうのもあったね、と驚き。

なんでカマウにこういう林はないんだろう、と考える。
たぶん、それはカマウがとても低い場所からだ。
職場になぜか導入されたGPSで計測すると、海抜5m、となっている。
海から20kmは離れているのに、5mしかないのだ。

水面から、辛うじてに顔を出している土地であること。
この広大なデルタ地帯のほとんどは、半湿地のような場所であること。
メコン・デルタは実はまだ生まれたての、幼い土地。

土が少ないことが多様な樹木の生育を妨げる。
淡水はメラルーカ、喫水域はマングローブしかない、といっていい。
ほかの場所に行って、初めて気がつくこの場所の不思議さ。
蚊が多かろうが、文句は言えないのだ。

エンバンクメントって、よく考えると土が足りないってことだよな。
いつかきっと、土はどんどん増えていって、
いろんな木がここにも生えるようになるんだろうな。

でももちろんそれは、気が遠くなるような先の話で、
僕が見ることはない。ただ想像してみるだけ。



2011年10月9日日曜日

ススキと水田

















まあ、ススキではないと思うけれど。
まあ、カヤ科のなんかだ。

日本で10月といえば、ちょうどいい季節だ。
涼しくてよく眠れるし、運動も快適。メシもうまい。
なんか、初氷、とか聞いたような。


メコン・デルタのここ最近は、ずいぶん雨が多くて
肌寒い、と感じることが多かった。
それでも半袖サンダルで生活していたわけで、ベースの気温は日本とは違う。
昼間は十分暑い。


日々の生活だけを取り出して、秋を感じることってほどんどない。
木々も草もは青いままだし、市場に行けば、大量のくだもの。
食べものはいつもどおり。飲み物も相変わらず熱いお茶とカフェ・ダー。

ススキを見たときに、ああ、10月なんだな、と思いだした。
何回目かの田植えがこの辺りでは終わって、青い稲が風に揺れている。



山でもひとつありさえすれば、目印になるのだけれどな、と思う。

そんなことを考え出したら、日本にいたときは、山や海を定点観測していたんだ、
と気がついた。


雲がかかったり、晴れて山頂まできれいにみえたり、雪が積もったり。
ここはまったいらだから、視線を空に移すポイントがない。
見上げると、たいらな土地があって、その先に空がある。
ベトナムの空は表情豊かだ。


ススキと稲、考えると奇妙なんだけれど、
それがきっと、ここでは普通の風景なんだろう。



2011年9月25日日曜日

「それ」を捨てる


たぶん、山奥のどこか。害が無くなるまで。その時間はきっと、僕にすれば、未来永劫と呼んでいい時間だ。

恩師の野口俊邦は、国有林にはそれとしての機能がある、と述べる。彼の主張、今でもちゃんと思い出せるだろうか。森林の公益的機能についてもいろんな文献があるからいいとして、「最後の貸し手」ならぬ、木材を生産する「最後の供給者」としての国の役割をも彼は語る。

それはとてもスジの通った意見だ、と思っていた。でも、スジが通っているだけに、その考え方の頽勢もしっかり見えてしまうような気持ちにもなった。だってそうでしょう?スジが通っているように思えるのに、それがうまくいっていないのだから。

それは、うちの林学科全体をもやのように薄く覆う、頽勢であったような気もする(今は知らないけど)。まるで林業という斜陽産業行きのバスに、意図せず乗りあわせてしまったような感じで。高校生がそんなことを知るわけがないから。文学部とか経済学部にいたら、きっとそんなことは思わなかったろう。

そもそも学問に停滞などあるのだろうか。わからない。とりあえず、僕らはクールでもヒップでもなかった。きっと気の利いた学生は、「なんとか政策学部」とか、「環境なんとか学部」とかに行ったんろう。
意図せず乗り込んだバスがついた先は、僕の場合は今のところ、ベトナムなのだが、それはまた違う話だ。

学生のころに聞いた、「スジの通った意見」も、それを鼻で嗤うような意見も、「それ」を捨てると聞いてしまった今、なんだか、どこか遠くに行ってしまったように感じられる。学生のときに見たいくつかの、林業への構想も理想も、それへの嘲笑も、「それ」と一緒にに埋められていくような感じ。そこで育っていた木々は、無価値どころか、有害なものと隣り合わせとなり、自身も有害なものとなるんだろう。今、野口に聞いたら、残土捨て場も「公益的機能」のうちに含む、というだろうか。

どちらにしても、きっと、仕方のないことなのだ。

ゴミ捨て場にされるに至る物語が、どんなに森林の「(ゴミ捨て場としての)機能」の正統性を語ったとしても、今のところ、マトモな気持ちで聞ける気がしない。それは、森林が(かつて)持っていた「機能」の物語を、ずっと聞いてきたから。そこを単なる「場所」と割り切ることで、初めて、ゴツゴツとした違和感満載ながらも消化することができる、ような気がする。「ゴミ捨て場の物語」は、耳を傾けるのを拒絶したくなってしまう。来年の白書は「ゴミ捨て場としての森林」という項ができるのだろうか。


もしかしたら、僕らはどこかで、「捨ててしまって、せいせいした」と考えてしまうんじゃないだろうか。もちろん、「それ」は危険で、人の近くには置いておけないものだ。では、置いた場所は考えなくていいのか。そんなことは、ないはずだ。いろいろな人が、その場所についていろいろなことを考えてきた。妥当な、仕方のない処置であっても、今までの物語とは断絶した「何か」をしていると考えるべきなのだ。

だから、それはきっと、僕らが忘れてはいけないことだ。人から遠ざける必要があるから、山に隠すんだ。人のいない、人が見ていない山奥に。こんなに実際とメタファーが重なり合っていることって、ほかにあるだろうか?

2011年9月18日日曜日

病中病後


久しぶりに天井ばかり見つめていた。子どものころを思い出す。
天井が地面だったら、僕はどうやって歩こうか。
あの段差、ちょっとおもしろそう、とか。
とりとめもないことを、ふとんの中で考えていたような気がして、
今回もまた、そんなことを考えていた。

視点が限定されると思考も限定されるんだろう。病気的思考。

たぶん、昨晩の痛みが(今回の)最後の痛み。
身体がずうっとここ数ヶ月の間の苦情を言い募っていたようでもあり、
横になって、ハイハイ、すみません、とその苦情を聞いてやるのが、
ここ数日の僕のやることだった。


そのようにして、都合5日間。僕は再び、ようやくお腹が空いてきた。


ウミンに戻る日、ふと気がついて、窓の外を見る。
窓の外をみる気になったのはこれが初めてだった。
カマウ市の街の広がりの先に、
田んぼだろうか、エビの養殖池だろうか、があって、
その先に広大な森林があって、ずっと平ら。

その先は?
そら、だな。そらがずっと、その先にはある。


2011年9月3日土曜日

バックホウの旋回範囲内

に、生まれて初めて居合わせた。





日本だったらありえないけれど、船の上はすべからくアームの旋回範囲内。
監督員の僕ならば即刻工事中止指示ですが、今は監督員ではない。
へえぇ、と眺める。
船にバックホウを積載してエンバンクメントの工事をしている。
カマウ省で実施されているJICAの事業だ。
ちゃんと日の丸とFrom The People of Japanという記載。誰も気にしてない。


なんでこんなことをしているかといえば、この土地が酸性硫酸塩土壌だから。
掘り返してみると、ここの土は非常に粒子の細かい、粘土状。
これがマッドクレイと呼ばれているもので、植物遺体が還元状態で
分解されたとき生じる、とある。なるほど。よくわかんねえな。

マッドクレイには還元物であるバイライト、FeS2、が含まれていて、
酸化される、つまり、空気に触れるとジェロ−サイトという物質に変わる。
ジェロ−サイトに変わった土はキャットクレイと呼ばれる。猫の糞の色。
化学式から想像がつくとおり、バイライトは酸化の過程でH2SO4、硫酸、ができる。
これが土壌の酸性度を下げてしまう。

黄色く変色しているのが、空気に触れて発生したキャットクレイ/ジェロ-サイト















少し勉強した限りでは、一部の調査地でpH2.8の数値をたたき出していた。すげぇ。
酸性雨なんてかわいいもんですね。まあ、植物の育成には不適です。

そういえば、ここにある運河は総じて茶褐色で、考えてみればこれは酸化鉄の色だ。
帰りの船で水を舐めると(やめなさい)、やっぱりサビの味がする。確かにFeだ。
土壌が酸化された残滓ということになる。
そうか。何の気なしにみていた。ただ汚いだけかと思っていた。















エンバンクメント工法の主眼は常時滞水をさせないということだ。
酸化は止めることができないから、発生した酸を速やかに堀に落としこむ。
干拓というか、陸地化というか、そのようなことをしている。

ただ、浚渫してマッドクレイを陸地に掻き上げてしまうと、
マッドクレイは一度に大量の酸素に暴露されてしまう。
大量のキャットクレイが発生するはずだ。
このままでは強酸性土壌になるのでは、という疑問は残る。
専門家は掘削土壌深度を決めて実施する、と言っていたが、
バケットでそんなに器用なことはできるとも思えない。
考えられるのは、今が雨季だから、発生した硫酸は
定期的に洗い流されるかもしれない、ということ。
だから雨の降らない乾季にこれをやったらどうしようもないはず。
でも化学式的にはH2Oも必要だから、水がなければいいのだろうか。よくわからない。

この日はたぶん功程調査をしていた。よくわかんないけど。
浚渫が規定深さに達しているかとか、1時間分の実施済み延長とかを確認。
1時間に18m、一日に200m進捗するとのこと。それって11時間労働なんだが。


作業員は船で泊まりこんで、堀の魚をとって食べている。
推定ちっちゃい雷魚。ご相伴に預かった。ここで食べるのは2回目。

給油のときにタバコ吸うなよ、とか、
びちゃびちゃ油をこぼすなよ、とか、
混合油は目分量でつくらないの、とか、
油の中に水ちょっと入っちゃってるじゃない、とか、
油を触った手そのままで料理すんなよ、とか、
包丁、というかそのナタとまな板洗おうよ、とか、
皿を堀の水で洗うなよ、とか。
言わない。なんというか、とっても豪快です。

不思議とバックホウも僕のお腹ももいまのところ壊れていない。
陽射しの強さと、排気ガスの強烈さと、船の揺れでクタクタにはなった。




やっていることは堀を浚渫し、陸側に掻き上げ、均す。
一面の芦原が、泥の平らな土地になっていく。
やっているときに鉄の船ががっこんがっこん揺れる。
ちなみに船の推進力はこのアーム。川底を引っ掻いて進みます。
この船エンジンないな、と思っていたら、確かにあった(笑)。




出来上がり。来月にはもうアカシアを植栽してしまうとか。