今週、まちなかでKansasの"Dust in the wind"を3回も耳にした。
[Point of know return]は1977年のレコード。ヒット曲だけれど。
ベトナム人をDust in the windを、オリジナルよりも情感たっぷりに編曲する。
もともとしっとりした曲だから、もはや演歌の領域。
いい曲だと思うけれどね。
ちょっとね。不思議な感じがするね。
ここ数週間、耳の不調もあり、ほとんど音楽を聴いなかった。
ライブラリをかき回していて、なかなかぴんとくるものはない。
ロックを聴いてもね、とか、ジャズを聴いてもね、とか。
たぶん日中耳にする音の量が多いんじゃないか。うるさいんだ、ここは。
なにか、流しながら、考えごとをするのに都合のいいものを。
ふと、Steve vaiの[7th songs]を見つける。
鬼才、というか自らを「エイリアン」と称する彼は
レコードの7曲目をインスト・バラードの指定席にしている。
このレコードはその「7曲目集」。
この国ではyoutubeも満足に閲覧することができない。
そんな時だけ社会主義なので、まったく困ってしまう。
"Boston rain melody"
雨は、きっと、通奏低音のようなものなんだろう。ホワイトノイズ。
サイゴンの雨はうるさくて、もしかしたら、主旋律をかき消してしまうかもしれない。
ギターはなんだかテルミンのよう。冒頭のハーモニクスの使い方がなんとも。
ま、変拍子はいいとして、ザッパ門下生に恥じない変態っぷりなのに
スタンダードに聴こえてしまうところが彼の知性なのかも。
たぶん、甘くなりすぎないことを意図している。
ギターをあんまり泣かせない。
ほんとうは泣かせることは嫌いじゃないんだけど、
ただ泣かすのもね、という風。実に抑制が効いた演奏。
職人肌なせいか、クリーントーンを臆面も無く使い続けられたことが
それが当たり前のことであるのにもかかわらず、
なんだか彼を稀少種じみた生きものにしてしまったんじゃないか。
流行り廃りとは無縁で、古びない理由であるように。
アーティスティックというか、冷静なんだろうな。
アメリカ人は本当はクリーントーンが大好きなんだと思う。
だってなんだか、トップガンみたいじゃない。アメリカの夢だ。
レコードでも運指が雑なインギー先輩と違って、彼はすごく丁寧。
テーマからブリッジに流れる展開が秀逸。というか好き。
俯きがちにソロに入って、ギターに走らせ、歌わせる展開も好き。
コントロールしているのに、時に自由過ぎて、小節の数かぞえてるのかな、とも思うんだけれど、もちろん破綻なんてあるわけがない。
バラードだからか、曲にスペースがあるせいか、
ひとつひとつの音に訊きながら、考えながら、また次の音をだしてみる、
という風に聞こえる。
とても静かなレコード。といってもパッションに欠けるわけではなくて。
それは、モダンジャズのクールさに通じるような気がするし、
レコード一枚分の、彼自身の省察を聞いているような気分。
考えごとの時間だ。
ベタベタするのは好きじゃない。
自然に、寄り添うように音がある、っていうのが好い。
常時汗ばむベトナムの空気によく合うのかもしれない。
静かに、淡々と。ずっと続くような雰囲気が、今の気分に合っている。
ついでに。
"Touching tongues"とはまたエロい。
オリジナルでは若き日のディヴィン・タウンセンドの咆哮が聴こえる。
たしか、このとき19歳とか、それくらいだったはず。
Vai名義でリリースされたSex & religion。
ピアノでの演奏はメロディが際立つ。
でも、変なことをしているのはがあまりよくわからない。残念だ。
オリジナルの音源がベトナムでは利用できないのです。
でも、変なことをしているのはがあまりよくわからない。残念だ。
オリジナルの音源がベトナムでは利用できないのです。
やっぱりオリジナルの方が好い。
テリー・ボジオ、TMスティーブンス、 ディヴィンの完璧なスーパーバンド。
93年のレコードだ。