2011年7月9日土曜日

雨が降りそうだけど

オープンカフェ。降るかな、降るかな。


今週、まちなかでKansasの"Dust in the wind"を3回も耳にした。
[Point of know return]は1977年のレコード。ヒット曲だけれど。
ベトナム人をDust in the windを、オリジナルよりも情感たっぷりに編曲する。
もともとしっとりした曲だから、もはや演歌の領域。
いい曲だと思うけれどね。
ちょっとね。不思議な感じがするね。


ここ数週間、耳の不調もあり、ほとんど音楽を聴いなかった。
ライブラリをかき回していて、なかなかぴんとくるものはない。
ロックを聴いてもね、とか、ジャズを聴いてもね、とか。
たぶん日中耳にする音の量が多いんじゃないか。うるさいんだ、ここは。

なにか、流しながら、考えごとをするのに都合のいいものを。
ふと、Steve vaiの[7th songs]を見つける。
鬼才、というか自らを「エイリアン」と称する彼は
レコードの7曲目をインスト・バラードの指定席にしている。

このレコードはその「7曲目集」。
この国ではyoutubeも満足に閲覧することができない。
そんな時だけ社会主義なので、まったく困ってしまう。

"Boston rain melody"



雨は、きっと、通奏低音のようなものなんだろう。ホワイトノイズ。
サイゴンの雨はうるさくて、もしかしたら、主旋律をかき消してしまうかもしれない。

ギターはなんだかテルミンのよう。冒頭のハーモニクスの使い方がなんとも。
ま、変拍子はいいとして、ザッパ門下生に恥じない変態っぷりなのに
スタンダードに聴こえてしまうところが彼の知性なのかも。

たぶん、甘くなりすぎないことを意図している。
ギターをあんまり泣かせない。
ほんとうは泣かせることは嫌いじゃないんだけど、
ただ泣かすのもね、という風。実に抑制が効いた演奏。

職人肌なせいか、クリーントーンを臆面も無く使い続けられたことが
それが当たり前のことであるのにもかかわらず、
なんだか彼を稀少種じみた生きものにしてしまったんじゃないか。
流行り廃りとは無縁で、古びない理由であるように。
アーティスティックというか、冷静なんだろうな。
アメリカ人は本当はクリーントーンが大好きなんだと思う。
だってなんだか、トップガンみたいじゃない。アメリカの夢だ。

レコードでも運指が雑なインギー先輩と違って、彼はすごく丁寧。
テーマからブリッジに流れる展開が秀逸。というか好き。
俯きがちにソロに入って、ギターに走らせ、歌わせる展開も好き。
コントロールしているのに、時に自由過ぎて、小節の数かぞえてるのかな、
とも思うんだけれど、もちろん破綻なんてあるわけがない。

バラードだからか、曲にスペースがあるせいか、
ひとつひとつの音に訊きながら、考えながら、また次の音をだしてみる、
という風に聞こえる。

とても静かなレコード。といってもパッションに欠けるわけではなくて。
それは、モダンジャズのクールさに通じるような気がするし、
レコード一枚分の、彼自身の省察を聞いているような気分。
考えごとの時間だ。


ベタベタするのは好きじゃない。
自然に、寄り添うように音がある、っていうのが好い。
常時汗ばむベトナムの空気によく合うのかもしれない。
静かに、淡々と。ずっと続くような雰囲気が、今の気分に合っている。


ついでに。




"Touching tongues"とはまたエロい。
オリジナルでは若き日のディヴィン・タウンセンドの咆哮が聴こえる。
たしか、このとき19歳とか、それくらいだったはず。
Vai名義でリリースされたSex & religion。
ピアノでの演奏はメロディが際立つ。
でも、変なことをしているのはがあまりよくわからない。残念だ。
オリジナルの音源がベトナムでは利用できないのです。

やっぱりオリジナルの方が好い。
テリー・ボジオ、TMスティーブンス、 ディヴィンの完璧なスーパーバンド。
93年のレコードだ。