2012年11月4日日曜日

北部・中部へ④  〜少数民族と森林保護〜



ずいぶん怠けてきたけれど、これで最終回。
まえがきはこちら。


2012年7月26日〜28日
王子製紙の視察後、クイニョン・ハノイ・ディエンビエンフーと移動。

予約したひこーきが飛ばなかったりバスの荷台スペースに10時間詰め込まれたり雨が降り続いているし標高が高くて寒かったり風邪が相変わらず治らなかったり。
という記憶がある。ずいぶん大変だった。
ベトナムエアの対応はマジクソなので、おいでになる皆様は十分注意されたい。



というわけで朝6時、叩き起こされバスから放り出されるとディンビエン省の省都、ディンビエンフーについていた。雨。クアンガイ、クイニョンは乾期ど真ん中で灼熱の気候だったのに。一転、寒い。雲が垂れ込めるディンビエンフー。
ここは盆地で、周囲を山が囲む。ハノイから西に600キロ。もうラオスとの国境が近い。


さて。
ベトナム北西部水源地域における持続可能な森林管理プロジェクト(SUSFORM-NOW)
の視察。




当地の問題として、森林の荒廃が深刻であるとのこと。また、ディンビエン省はベトナムで二番目に貧困率の高い省であるという。現在、南の果ての住まっているので、北部の様子はよく知らない。JICAの専門家がここで仕事をされているとのことで、これ幸いと視察させていただいた。

「森林荒廃」って便利な言葉だ。寒い場所でも熱い場所でも森林荒廃。手入れが悪くて木の成長が悪いのか、そもそも木がなくてすっかすかなのか。ドナーにしてみれば、「荒廃は荒廃ダゼっ!」とお金を出しやすいかもしれない。で、「どう荒廃してるんだ」というところが割とブランクだったりもする。




で、結論から言うと、人的要因による「森林荒廃」のようだ。ここには崖みたいなところ以外に林はない。すべて畑に使われてしまう。
焼畑農業が盛んで、耕して天に至る勢いで開墾される。ベトナムにも一応農地と林地は区分けされているがほぼ守られていないだろう。てっぺんまで農作物が植えてある。
生産性の低い山地での焼畑農業。輪作はしているようだが追いつかないのでどんどん農地を広げては地力の低下とともに放棄される。どうもそんな状況のようだ。







こうした焼畑を行なっているのはベトナムの少数民族だ。ディエンビエンにはタイー族とモン族という2つの少数民族がいる。なんとなく黒いスカートを身に着けている女性が多いなと思ったら、民族衣装なのだそう。






こうした民族の村に行くと高床式住居を目にする。湿気が多いせいだろうか。民家の軒下にはうし、あひる、いのしし。家畜を飼っている。建物そのものはしっかりと作ってあって、粗末なあばら屋が並ぶホームビレッジ・ウミンとはだいぶ違う。
もともと北部って農家もきれいだよな。


このプロジェクトは林業関係のものだけれど、単に木を植えるだけのものではない。家畜小屋に案内される。生産組合に資金供与してぶたを飼う。そのぶたを農家に貸して、農家はぶたをふやす。で、組合に返す。マイクロファイナンスが行われていた。




肉を返すのかこぶたを返すのかで改善の余地があること、ぶたは飼料代がかかりすぎて試行錯誤しているなどの苦労話を専門家から伺う。生き物を銀行のようにして回すのはやっぱりむずかしい。こぶたはぽこぽこ生まれていた。




その他にも、魚の養殖池の整備なども行われていた。プロジェクトの主眼は住民の生計手段の供与と向上に置かれているイメージだ。


少数民族を相手にしているところにこの事業の難しさがあると思った。ベトナムには54の民族がいる。そして「90%を占めるキン族」VS「その他有象無象の53民族」という構成になっている。
しかし、例えば少数民族が「周囲と隔絶したナイーブな人たちである」として単純に保護せねばという表象にはいささか首を傾げる。もちろん、人口や資力の違いから圧迫されているという面は確かにあったとしても。
不穏な、暴動まがいの事件が起こったということもかつてあったという。そんなことで、一部の少数民族の農村に外国人が入ることは厳しく制限されており、今回の視察にも許可を要した。おれ、そういえば外国人だった。

ベトナム政府の施策として少数民族の定住化も行われたという。国境も関係なく焼畑しながら巡回していた人々が居を定め、農業をする。それはかなり困難な「転職」だ。
貨幣の獲得能力に乏しい少数民族の住民にとってみれば、このプロジェクトは有意義なものであるようにみえる。だけれども、意地の悪い見方をすれば「ベトナム政府の定住化施策を手を貸す」ものとも考えることができる。
それがよいことか悪いことか、僕は考えあぐねる。
ベトナム戦争のころ、ほんの40年ほど前までこの辺りの人はラオスにもカンボジアにも自由に出入りしていたのだ。いまだに彼らは国境を行ったり来たりしているという話もある。

あとから新しく引かれた線によって、少しずつこうした移動が難しくなる。きっと引かれた線はいよいよ太くなり、確固たるものになるだろう。移動はさらに難しくなる。
だから、ひとつの適応としてこういう事業は必要なのかもしれない。



一方、植林も行われている。こう書くと添え物のようだけれど。
アカシアの植栽が行われていた。ここはアカシアとキャッサバが混交して植えてある。これは面白い。いずれアカシアが伸びてきて、キャッサバが収穫できなくなる。そうするといよいよアカシア林になる。
でもいまのところは、テンポラリーなキャッサバ畑でもある。

アカシアはもともと北部の原生植生ではない。あくまで造林樹種として植えられている。収穫したアカシアの木材は近隣のチップ会社に売却する予定となっているとのこと。ほっといても森林化するだろうけれど、植えたほうが早い。お金にする予定があることの理解があることも、過度な焼畑を押しとどめる要因になるだろう。
この植林もプロジェクトの掲げる「スーパーゴール」に直接蹴りこむものではなくて、あくまで住民の生計向上と過伐を抑制する意図が感じられる。



他方、「森林の再生」という目的からは、やはり迂遠な方法だと思わざるをえない。いつになれば森林保護という最終的な目的は果たされるだろうか、と考える。
でも、直截的に保護しようとするならば、住民を追い出して保護地域にしてしまうとか、なにかしらの強制が伴うだろう。見方を変えれば「少数民族の定住化」も、ある種の「追い出し」として機能しているはずだ。
この場所の森林率や森林劣化を回復するために「追い出し」をするというのであれば(そしてベトナム政府はその気もあると思うんだけれど)、それはどこかがいびつな手段であるように思われる。
たぶんベトナム政府にとっては「回復した森林を作り出すこと」そのものが、ひとつの価値を成しているのだ。
理解はできるけれど、あまりいいことだとは思わない。


このプロジェクトは一見したところ、森林再生とはあまり関係のない事業が行われている。しかし、いろいろ見て考えると、必要な隘路を通ってこういう形になっているように感じられた。
「森林を守る」という言葉がどういう意味を持っているのか、ということについて改めて考えてみよう、と思ったり。