日本には不思議なことがたくさんある。
ベトナム人がプンプン読んでも意味不明だろうなぁと。奇っ怪な物語で。たとえば映画の「ノルウェイの森」の監督はトラン・アン・ユンというベトナム人。フランス在住だからこういう読みなんだろうか。ベトナム語ではTrẩn Anh Hùngなので、チャン・アン・フン、と呼んであげると本人は少しニヤリとするかもしれない。中部、ダナンの人だとか。
映画をみながら、あの風景と手触りを外国の人が理解できているんだろうか、と考えた。手を伸ばせばバナナが取れる場所で「失ったもの」なんて探すだろうか。まあ、探すんだろうけど。失礼な物言いですみません。
映画は僕の頭の中に出来上がっていた「ノルウェイの森」とは違っていた。ベトナムに2年いて改めて考えると、すごく透き通った、冷たい映像だったなと。僕の中のノルウェイの森よりずっと寒い。盛夏には気温が40度に迫るダナンの産の人が、あんなに凍てついた風景を撮るなんて。ちょっと信じられない。
内田樹は村上文学が世界で受け入れられる理由を「日本で初めての世界文学だから」と言っていた。どこでだっけ。『村上春樹にご用心』だったか。
そういえば内田せんせは毎年のように村上のノーベル賞受賞の予定稿を書いてはボツになっていてかわいそうなので、早く村上はノーベル賞をとるべきだ。
ノーベル賞残念対談】内田樹×平川克美「なぜ世界中の人が村上春樹の小説にアクセスするのか」。ここでも「世界文学」の話に触れられてますね。
「失ったものを探すひと」はもちろん、世界中にいる。あの種の話が惹きつけるのは、その手触りや空気感を共有しているから、なのかもしれない。うまく言葉にできないんだけれど。
『神の子どもたちはみな踊る』は阪神大震災をテーマにした連作だった。地震そのものは主題にはなっていないけれど、通奏低音のように重く、横たわる。
僕は東北の地震の直後に日本を離れてしまったけれど、ろくに電気もついていなくて暗いあの時の東京は、図らずも、多くの人が共有してしまった空気感だった。
語学訓練で東京から大阪についたとき、東京では失われた日常が残っている感じがして、正直ほっとしたのを憶えている。総じてあの時の不安感や切迫感、この世の終わり感はそこにいた人々が共有してしまった経験として、記憶に残っているんじゃないか。
そこにいた人すべてが大なり小なり経験している。でも各人の受け止め方はバラバラで、あくまで前提条件というか、共通のイベントでしかない。しかしそれは深いところで、影として、痕として、通底している。僕はこの小品が大好きです。
ある物語が共有できるからすごい、とか、理解力がある、なんて言わない。結局のところ、僕らの価値観とか考え方を規定しているのは、住んでいる場所や吸っている空気、そういう文脈ではないか。需要があるから供給される。村上春樹が受け入れられるのは、共有できる空気感があるから、かもしれない。
プンプンだってきっと一緒だ。ベトナムでこんな本出したら単なるエロ漫画に見られる可能性が濃厚だし、そもそもベトナムはポルノグラフィティ禁止ですし。じゃあノルウェイの森はポルノじゃないのか、と言われると、ちょっとわからんけど。
ただねぇ。日本の子どもの方が、大人になるのが大変かもしれんぜ、とは思う。村上春樹的、プンプン的空気感を受容できることが本当によいことなのかどうか。もちろん、受容体を持つ人にとっては切実に必要であるとはいえ、だ。
「どうしようもなく悪いもの」は日本だろうとベトナムだろうと、いる。もしそこに違いがあるとするならば、日本人は自分で手足を縛る。それを優しさと呼ぶのか、そういうプレイ好きと呼ぶべきか、よくわからんけれど。ベトナム人だってクサイ歌謡曲と望郷の話には弱いけどな。って書くと日本人にどこか似てるのか。
プンプンはどこか、「神の子どもたちはみな踊る」を想起させる。むしろ「海辺のカフカ」か。絵が入ると、より残酷になる。
物語に縋らなくてはいけないことと、優れた物語が生み出されることもまた、相補的なのかもしれない。「ここはひとつ、シンプルに考えてみてはどうだろう(ドヤッ)」なんて、簡単に言えるわけがないのだ。
だってこの世界はもう、うんざりするくらい複雑なんだから。
浅野 いにお
小学館 (2013-06-28)
小学館 (2013-06-28)
次作がいよいよ完結編とのこと。もう少しお付き合いしてみる。
村上の新作も読まなくちゃ。