2013年9月8日日曜日

Antony Hegartyさん、私は魔女だ、と白状する

7.9.2014追記:
前の動画が削除されたため、"Epilepsy is Dancing"の動画を張替えました。
こちらの動画もなかなかよい。アントニーのシルクのような声にうっとり。

まあ、知ってたけどな。


夏休み。失われた時間を埋めるが如くレコードショップを徘徊。
街ゆく人はうだるような暑さにうんざりしている風情で、それは確かに暑いんだけれど、それほどでもない。いかに暑かろうと風があればいいではないか、と思ってすたすた歩いた。むしろコーヒーショップの冷房に閉口したくらいで。

みんな分かってない。大事なのは気温でも湿度でもない。日陰と風とハンモックだ。


そしてこれから、季節は冬へと転落する。まったく恐ろしいことである。
身体のどこを探しても「カラダが夏になる」ほどの崩壊熱は期待できず、あとひと月ほどで恐慌を来したのち、ひっそり静かに冷温停止が完了する見込みだ。
迫り来る秋の気配に怯え、サイゴンの熱風を懐かしむ昨今。みなさまいかがお過ごしですか。


Cut the World
Cut the World
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Antony & The Johnsons
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何度も言うがマツコじゃない。
ルー・リードをして「天使の声」の言わしめた方のマツコです。




本作は2011年にコペンハーゲンで収録されたライブ版。昨年リリースになっていた、らしい。知らなかった。旧作からの数曲と、新曲として"Cut the world"が収録されている。

概してライブ・レコードを好まない。簡易なグレイテスト・ヒッツとしての便利さはあるけれど、スタジオ盤こそ至高。ライブ・レコードを買うくらいならライブに行ったほうが何倍も楽しい。部屋にいて歓声や雑音に邪魔されたくないし。
ところがこのレコード、思いのほか音質がいい。オリジナルと比較しても遜色ないし、むしろいくつかの曲では、オリジナルよりもアントニーの声の質感がしっかりと伝わってくる。冷ややかに響いた前作の"Swanlights"よりも楽しんで聴けた。オーケストラもそれほどうるさくないし。

彼(女)の声の特徴といえば、超音波といって差し支えない、振幅の大きなヴィブラート。それはもうヴィブラートと呼んでいいのか。震え、だ。
パンとした、張りのある声ではなくて無数の細かなひだをもつ声。きらりとした硬質な光沢ではなく、吸収しつつぬらりと反射する、柔らかな光沢だ。

穏やかな日の海を想像する。それはつまり水です、とは知っている。波によって海面は様々な紋様を描きながら、受けた陽の半分くらいをまた世界に返す。淡く輝く海だ。


そんな繊細さだから、本当は本作のような大きなオーケストラを入れるよりも、こんな風に室内楽みたいなセットのほうが合っていると思うんだよな。ってエレキうるせーよ。




レコードの2曲目にアントニーの独演会が収録されている。題して「フューチャー・フェミニズム」。聞いていておもしろかった。対訳がついている日本版を買って本当によかった。だって最初は"I'm a witch"と"It's a wonderful day to die,"しか聞き取れなかったもの。7分もこのひと喋ってるのに。何言ってるのコイツ、と思った。

彼女はこんなことを云う
トランスジェンダーであることが素晴らしいのは、生まれながらにして自然な宗教を持っていることです…ほとんど自動的に魔女であるわけです。
そして、
私は「神の女性化」に興味がある。「女の子としてのキリスト」「女性としてのアッラー」といったといったことにものすごく興味があります。
異端ですわ、これは。まじょはっけん。

そんな風にアントニーは、既存の「家父長的システム」から「女性による統治のシステム」への移行について、実に楽しそうに、饒舌に語る。
マイノリティであるがゆえに、既存の社会・宗教システムから外れてしまうこと。価値観やライフスタイルの多様化(きっと彼女は自然にそうなっただけ、と嘯くだろう)による既存の社会価値観との軋轢の先鋭化。さらには昨今の地球環境問題の悪化。
アントニーはそうした問題について、家父長制に原因があると考えている。

アントニーが(冗談めかして)私は魔女です、と云うのはきっと、自身が脱魔術化されていて、社会的なバイアスから自由な存在である、といいたいのだ。たしかに彼女は、マイノリティは、マジョリティよりもよく見通せる目を持っているだろう。
オリジナルに女性である人(変な言い方だ)が同じことを語るよりも、不思議な説得力があるのだ。薪能のエントリーでも書いたけれど、「所与の存在」ではないから、自分がマイノリティであることに自覚的であるから。私は花火師です、というのとはまた違う、力強いステートメントだ。
と書いて、そういえばミッシェル・フーコーもマイノリティだったっけ、と思い出す。

考えの是非はともかく、彼女は恐れていない。それは伝わる。上のPV"epilepsy is dancing"は「てんかんはダンスだ」だし、コーラスのなんて、 "私を八つ裂きにして すみっこにおいておいて" だもの。"cut me  in quadrants"だから、四分割にして、か。
いささか刺激的な物言いを、震える声でこともなげに歌う。
マツコと近いのか。やっぱり。立ち位置的に。

トゲを含む歌をうたい、それが許されているのは(許されないと知っているからwonderful day to die!なんだけれども)、彼女自身が「魔女」であることに対し徹底的に自覚的で、戦略的ですらあるから、なのだろう。ある種の使命感さえ感じているのかもしれない。


などと、縷々妄想を垂れ流し、話はようやく"Cut the world"に落ち込む。こちらも素敵な曲。でもちょっとグロいので、嫌いなひとは注意してね。

"Cut"されるのは「男性の世界」なのでありました。
で、きれいにまとめてもいいんだけれど。

最後、広場に集まった女性たちの表情はどこか虚ろだ。ストーリーとしては、快哉を叫んだっていいのに。Cutされた男性も、それほど悪いひとにはみえない。僕に家父長制的バイアスがかかっているから、だろうか。

男女のどちらが欠けても世界は成り立たない。
家父長的社会に愛はなかった、なんて言えないし、逆もまたそうだ。ものごとの正しさと、そこにある感情は別のもの。
この曲は、そうして変わっていく世界よりも、残された今の世界に対する感情や愛情にピントが合っている。だからこそアントニーは「いつになったら私は背を向け、世界を切り離すのか」と問うのだ。
ラディカルであると同時に愛の人なんだと思う。


アントニーが想像する、変えるべき世界とはどんな世界だろうな、と思いを巡らす。