2013年12月23日月曜日

外的要因が変えていくんじゃね? COP19レヴュー

もう一月遅れなんですけれど。だらだらと振り返ってみたいです。

環境省 国連気候変動枠組条約締約国会議(COP19)及び京都議定書第9回締約国会合(COP/MOP9)について(結果概要)
これはね。わざとやってるんじゃないの。「…気候資金を拡大するための更新した戦略・アプローチについて、隔年のサブミッションを用意するよう求めた」。
たぶんスタッフは本当にこういう喋り方をしてるんだろうな。もう少し日本語にしようぜ。
あと安倍はんは「美しい星に向けた行動(Actions for Cool Earth:ACE)」なんてことを。テレビでやってるんすか。ほんとにこの人「美しい」好きね。
この際"cool"を「ヤバい」とかに置き換えたほうが面白いんじゃないでしょうか。ヤバいぜ、この星、いろいろな意味で、みたいな。なんだかいろいろ意味で冗談にならないので自粛します。

そして外務省がこんなもの書いてました。
攻めの地球温暖化外交戦略の策定 平成25年11月15日
フイた。
意気軒昂な感じがいいと思います。何しろ「攻め」ですから。



ところが会議で攻められたのは日本国政府であったりします。なぜなら鳩山首相時代に表明した25%削減を削減して05年度比3.2%削減としてしまったからです。
主要国際環境NGOのプレスリリースを斜め読み。
Greenpeace:グリーンピースらNGO、気候変動へのリーダーシップなき参加国のリーダーたちに抗議ーーCOP19閉幕へ
平成25年11月22日
FoE:国連気候変動ワルシャワ会議を終えて、先進国は2020年削減目標を即時強化すべき
平成25年11月24日
WWF:【COP19/MOP9】国連気候変動ワルシャワ会議、閉幕
平成25年11月27日

目標を後退させた日本、オーストリア、カナダがやり玉に上がった今回のセッションだったようです。シェールガスに湧くカナダとか、やっぱ難しいよねぇ。というひとごとのような感想。
さすがに武闘派で鳴らすGreenpeaceのコメントは飛距離があります。「数字のからくりを利用した」(2012年の温室効果ガス排出量をちらちらと眺める 参照)ってだから京都メカニズムはそういうゲームなんだって。別に日本政府の肩を持つわけじゃないけれど、読んでてふつふつと煽られている自分がいました。
一方、WWFはポイントアウトした内容が政策提言的で、一歩引いたような色合いですね。でも専門的な感じでふつうの人にはわかりにくい内容であるとも言えそう。

他にもいくつか読んだけれど、NGOが議場を退場してしまったのは如何なものか、と思いました。戦前の日本かよ。「反対だから退場する」っていうのはコミットしない意思表示でしょ。コミットしなかった人たちがリーダーシップの欠如を指弾できるか。「極限の意思表示」としてもテーブルにはついているべきです。
あと、「削減を強化せよ」とは、NGOが政府を通じ、結局国民に言ってることです。燃料代の高騰に同意署名せよ、という意味に近い。イコールではないけれど。政府をスケープゴートにしてるだろ、とは云いたい。
じゃあ、電気代あげようぜ!地球のために!とかキャンペーンを起こせばいいんだ。
その辺はお互いポーズであり腹芸をしているわけです。

斜め読みしてみて、シェールガス革命もありの、途上国同士で割れてしまう現状がありの、状況が膠着していることは端々に覗えました。この前のIPCCレポート(IPCCの第5次報告書をざっくりと読んでみる回 参照)みたいに客観的な証拠が揃っている、だからFoEのいうように「即時強化すべき」というのは分かる。わかるけれど、不可能だ。これを「NGOはラディカルであるべきだから、とりあえず云っとけ」みたいなスタンスでそう云っているのだとしたらけっこう残念だな。
理由はさっきの「退席」の件といっしょで、コミットしているようでコミットしていないから。羅針盤は常に極北を示すべき。そうだそうだ。しかし船は南へと向かう。地球の裏側で会おうね、みたいな。それでいいのか。
僕らのGreenpeaceさんたちがいる限り、極北は彼らが指し示し続けるとして、もう少し多様なアプローチは取れないものだろうか。

あとはやっぱりどこかのタイミングで途上国の排出抑制がポイントになるだろう。ベトナムではしょっちゅう停電するくせにガンガン冷房したり、ドアを開けっ放しにしたりする。いつまでもそれではやっぱりダメなわけで。


そんなところに日経記事。
日経新聞 COPで日本後退、空虚な議論を改める時 平成25年11月20日
ファイナンシャル・タイムズからの転載。
のっけから「約束で身を滅ぼすよりは約束を破るほうがよい、これが日本の見解のようだ」ときついジャブからスタートしてますが。

記事ではフロンガスの排出規制に繋がったモントリオールプロセスと比較しながらプロセスのあり方の見直しについて述べられています。「気候変動交渉の参加者は互いに相手を窮乏化させる交渉を目指しており、…」っていう部分は、端的にゲームの状態を示しています。それは、うまくいかないよな。

求められているのは、NGOのように煽り倒すアプローチではなく、むしろ事態を脱臼させる試みではないでしょうか。COP20で安倍さんと麻生さんが漫才をするとかでもいいと思うんですが。たとえば?優遇税制とか自律的に排出を削減できる取り組みの支援があるだろう。もうやってるけど。
2020年までに国内の自動車の8割はリッター25kmとか、目標に基づく優遇税制とか。リプレイス需要を創出してあげるのは経済的にも好ましいのでは。新鋭のガスタービン発電所に順次置き換えるとか、林業ならバイオマス発電割合を10%にするとか。大喜びなだこりゃ。どうせガラバゴスなら環境的ガラパゴスを目指すのはアリではないでしょうか。その過程で電力料金は上昇せざるを得ないと思いますが。
記事にもあるように「環境を破壊せずに人々の欲望に対応すること」は大切でしょう。誰かに損こかせるゲームのルールを変えていく必要性がある。煽るばかりだと、議場から出て行くしか仕様がなくなってしまうので。


そんなことよりも、生存環境そのものがあり方を大きく変えてしまうのではないか。その可能性を感じた一年でもありました。
風速70mの台風とか、深刻極まりない大気汚染だとか。排出ガスによる温暖化よりも、排出物質そのものが生存環境を脅かす可能性についてある程度の準備の必要性を感じる瞬間が多かった。

まったなし、とはよく言われますが、実際にこういう風に現れその頻度が徐々に増えていく、というのが危機の到来のありようなのかもしれません。
先だって発生したフィリピンの台風の犠牲者に心から哀悼の意を捧げます。そして、台風の直後の会議であったにも関わらず、フィリピンは国別の削減目標を設けることを拒んだという事実もまた、にんげんだもの、と思うわけです。