詳しい方にお話を伺う機会があったのだけれど、なんだかうまく質問ができなかった。こいつはバカで怠け者なんじゃないかと思われていたかもしれない。そうなんです。バカで怠け者なんです。
2025年4月21日月曜日
2025年4月11日金曜日
年寄りたちの饗宴
こういう時は市況はみてはいけない。見るだけ精神が侵される。
世界は春だ。うぐいすの声が美しい。
いまさらトランプ大統領について語ることはない。僕が思いつきそうなことは誰かも思いつくし、僕が知らない多くのことが語られている。
2025年4月10日木曜日
3回目の4月
今年度最初の八百屋。売上は 1600円あまり。お客も少ないし、まあこんなものかと思う。
経理帳をひもとく。3年前の最初の八百屋は4月13日にやっていた。売上は2000円あまり。なんと、退化しとるじゃないか。
3年前もこんなんでやっていけるのかと思った。今もそう思っている。
前職の同期くんから新年度の配置をこっそり教えてもらう。ああ、あの方がここに、とか、にやにや眺める。退職しなかった世界線の自分を少し考える。僕は年齢的にどこぞの課長代理になって、部下がいるのか。どこかの事務所で窓を背にして机を構える自分を少し想像してみる。案外想像できる。
一方、転職そのものは後悔していない。ということは、この仕事もそんなに悪くないのだろう。悪くない、というのは結構いい、ということ。今までの仕事感覚でいうと、3年目は調子に乗る3年目(そして翌年飛ばされる)。
調子にのっていこう。
2025年3月8日土曜日
万博の大屋根の源流
大阪万博の目玉 344億円の巨大木造リングはほぼフィンランド産…「日本の森林再生のため」の嘘っぱち 日刊ゲンダイ 2.26.2025
こんな記事に出くわして。エコ度ってなんなのさ。
別件で聞いたんだけれども、オリンピック・パラリンピックのときは競技場ほかでの使用のため、材が集められた。万博はそうでもないという話。それどころではないという話。
オリパラみたくちゃんと調達先を絞って発注しろや、というと、まるで当方が意識が高いみたいだ。当然先方だってそんなことを考えているはず。要は、そこまで意識する余裕すらないということだろう。工期だとか人気とりだとか。よく知らないけれど。イベントって大変ですよね、と衷心からお見舞いしてしまう。
一方、フィンランド材はダブついているのか。タブついているわけではないが、調達は国産と比べてたぶん容易だ。北欧は訪れてみたい気持ちはあるけれど、寒いのは苦手だ。
フィンランドの森林は、蓄積量が19億m3、100m3/ha程度だそうで、日本の37億m3、221m3/haの約半分しかない。
万博でどれだけの木材が入用だったかしらないけれども、資源的に少ない国から頂戴するのは確かにおかしなことだな、と思う。
端的に言って、製品としてスタンバってる木材とそうではない、山の中の木を想像してみればいい。実際総説明される。どこかに生産手段がない豊富な地下資源あることと、資源的にはそこそこでも生産手段が整備された場所があること。確実に納期に間に合わせるにはどちらをえらべばいい?「生産手段がない」が20年以上続いているのは御愛嬌なんですけど。
フィンランド 虚像の森 2022/8/24ペッカ・ユンッティ (著), アンナ・ルオホネン (著), イェンニ・ライナ (著)
知らない間に画像付きリンクが貼れなくなっていた。
フィンランドというか、スカンジナビアは「汲めども尽きぬ森」が広がっているイメージ。実際にはそれは違うということは前段のとおり。何が起こっているのか。そんな興味から手に取った一冊。
知らなかったことは多かった。しかし、全世代必読!っていう感じでもない。興味がある向きが、彼の国の様子を伺い知るには良い本だと思いました。
インタビュー/レポルタージュ形式の本って学生のころ大好きだった。本当のことが書いてあるように思えたから。腰が痛い中年となった現在はそうでもない。大好きだったエモーションに胃もたれを感じる年頃になっている。また、必ずしも「本当のこと」が書いてあるわけではないことももう知っている。
キーワードとしては保護と利用の対立、過伐、灌漑による森林の乾地化、になるか。前提条件として、スカンジナビアの森はもちろん有限の森だった。日本の半分ほどの森林蓄積しかない。そして、日本よりずっと寒いから樹木の成長が遅い。
成長量に準じて生産を行うのが、まあ、通常想定される林業のあり方なんだと思う。成長量以上の伐採は過伐と呼ばれ、蓄積量を毀損するからだ。日本はざっくり年間1億m3くらい成長していると言われていて、2千万m3くらいしか伐採していないから、蓄積が毎年増えていく。一方、フィンランドの年間成長量は8千万m3くらいでほぼ同量が伐採されている、とされている。成長量と均衡した生産だから、資源枯渇の心配はないとされる。
しかし、課題とされるのは質の劣化だ。再造林地が不成績であったり、成長促進のため灌漑排水を行っている。灌漑は植林木にとってみれば良いものかもしれないが、その土地の在り様を大きく変える行為ではあって、そこに議論がおこっている。
議論についてなんだけれど、日本でも「自然の権利訴訟」だとかを思い出す。僕の住んでいるあたりは圏央道ができるときずいぶん問題になった。その土地の在り様を変えるにあたって、何かしらの躊躇があってもいい。同時に圏央道ができた効果も見逃せないのだろうと思う。「(原生の)自然」の価値にどれだけ重みをつけるのかが、人によって違うから議論を引き起こすように思えて、それは日本だろうとフィンランドだろうと一緒なのだろう。
一方、気になるのが、森林の平均蓄積量が100m3/haくらいしかないことだ。寒冷で成長が遅い北の大地だから、まあそうなのだろうと思うけれど、本当に積み上げ算で8,000万m3/haの年間成長量があるのか。なんだかそこが微妙な気がしていて、これが実はもっと低いということになれば、彼らの算数は瓦解していることになる。
フィンランドの木材生産量自体は7,000万m3から増加を続け、8,000万m3に到達している。それを維持するための灌漑なのかもしれないし、維持できないということであれば、生産量は落ちる。いずれにしても成長量と均衡した生産は、生産性の上では理想的だけれどけっこうリスキーだなとは思う。
適正な価格で取引されれば、パルプにしようが燃やそうが捨てようがどうでもよいというのが資本主義の原理なのかもしれないけれど、万博のおかしな屋根を作るために使うのは、はるばる遠路お越しいただいた木材にとってもいささか不思議な気持ちかもしれない。せめて二次、三次としっかり利用して、最後はりっぱなバイオマスとなってほしい。あれはレガシーになっちゃうやつなのかしら。
2025年2月8日土曜日
2月の草むしり
東京は冬、雨が降らない。こんなに降らないんでしたっけ。
帰ってきた東京出の2回目の冬を過ごす。おおむね、空は青く、ひどく乾燥している。湿度100%の裏日本からやってきた身としては、やっぱりずいぶん遠くに来たもんだと思う。
それでも、少しずつ雑草は生える。春になると厄介なので、この時期も草むしりをする。
仕事の大半は農業です。ご案内のとおり。勤め人だった頃よりもずっと外にいる。農業だから晴耕雨読だな、と僕自身も思っていたんだけど、東京は思った以上に年中晴れていて、雨読している間があんまりない。やっぱり年の半分くらい雪に包まれていた方が、休みがいがあると思うんだけど。
思い返すと、10月あたり稲刈りの時期に雨に降られた。それ以降、主だった雨はない。3ヶ月くらい。10月末くらいか、来年用の豆とにんにく、玉ねぎを植えた。乾き切った畑に。
こんな乾いていて出るものか。虐待的な錯誤だと思った。だって僕だって乾燥肌がひどいんですもの。お医者様に処方された、ワセリン的保湿剤をせっせと塗り込むのが冬の日課でもある。しかし、ぼぼ農家たる相方は泰然としている。
豆やらにんにくやらは出るのだ。灌水しているでもないから、水収支的に変だなあと思うのだけれど、あいつらは出てくる。雑草も出てくる。少ないにしても、土中に水はあるのだ。
この時期、大してでかくならない。やっぱり限定要因は水だろう。もう少し雨が降って、もう少し気温が高ければ、当然大きくなるんだろう。この時期的な仕事として根系の成長が優先されているのかもしれない。ただ、数少ない雨のタイミングをつかまえて、一雨ごとにしっかりしてくる感じはある。
きつねにつままれた気分ではあるのだけれど、合間を見つけて草をむしる。