2012年1月2日月曜日

去年はこんな音楽を聴いていたな


こういうのはだいたい3月末にやるのが習いだった。
社会人は年度ですから。なんちゃって国際人としては年でまとめてみる。
すでに12年になっていますが。あ、あけましておめでとうございます。
ベトナムにいるんだから旧暦でやるべきなのかもしれない。
だとしたらちょうどいいタイミングだ。

とはいっても、11年はあまり新しい音楽に触れない一年になった。
理由は、簡単にレコードショップに行ける環境ではなくなったということとか、
音楽雑誌を買わなくなった(買えなくなった)こととか、
ライブに行かなくなった(行けなくなった)こととか。
もはや僕はヒップではない。それは仕方がない。まあ、いいや。
気になったものをいくつか。




"Odd Soul" Mutemath
とてもかっこいす。ライブみたいす。
2年前のフジで見たような気がするんだけど、気のせいかもしれない。
とても上手な人たちなのでメロディに寄りかかる事無く、クール。
リフはZepっぽくて70’sリバイバルの一部に聞こえなくもないけれど、
ダンスミュージックを通過したあと、という感じがするな。
90年代にティーンズとして70’sリバイバルを体感した人間としては。
バンドのキモはドラムスで、跳ね回るリズムが痛快。
シンプルなセッティングで、より70'sを強く想起させる。
レコードを重ねるごとに曲が練られていく印象。

それにしてもドラムのおっさん、ハンパなくうまい。
レコード一枚を通じて、ドラムの音色・聴かせ方をすごく考えいるんだろうな、
と思いながら聴いた。
帰国したらライブ行きたいの。そう、今ライブに行きたいの。オレ。





"What if..."Mr.Big 
2010年の作品ですが。。
Paul Gilbertのギターの方が、線の細いRichie Kotzenのギターより合っている。
しっかりとしたリフがレコードの骨格をしっかり形作っている。
Billy Sheehanの踊るベース。ギターとベースの立ち位置が逆みたいだ。
オーセンティックなハードロックを鳴らせる人たちは、今はあんまりいない。
最近の若者のような、派手さとかパンチが効いているわけではないけれど、
このグルーヴ感とテンションの高さは気持ちいい。職人芸。
あと、多分Billyのペンだと思うんだけど(クレジットがなかった)、
"Stranger in my life"みたいなEricの声が映えるバラードが嬉しかった。



一方のRichie Kotzenも"24 hours"は枯れて艶のあるトーンのギターと
あの渋い歌声が印象的だった。Mr.Bigと方向性はそんなに遠くはないのに
うまくいかなかったのが不思議。
黒っぽい、ソウルフルな声のブルースロック。


Richieは本職がギタリストなくせに、
あんまりギターの効用を信じていないんじゃないか、と聴きながら考える。
歌うような素敵なソロを弾くから、そんなこともないのかもしれない。
なんとなく、プレイヤーというよりコンポーザー、というか。
だから、レコードのテンションとしては、個性的なプレイヤーによる
インタープレイの応酬が聴ける(そして人間関係的にも緊張感がある)
Mr.Bigのレコードの方が上だ。
今のRichieはMr.Big在籍時より伸びやかだと思う。素敵なレコード。


その他、ロックとしては"sheeptown ALASCA"tasica、"革命"Andymoriなど。
ああ、Radioheadって2011だったのか。あんまりでした。







"James Blake" James Blake 
今年一番印象に残った一枚。
ダブステップとか、僕にはよく分からないけれど。
声を隠すもの≒リズムの後ろ側の声、として、とりあえず受け取ってみた。
そしてその場所の居心地はけっこういいんだろうな、と想像してみた。
リズムの後ろ側に配された声は、音楽の一番外側で優しく包みこむ役回りだ。
そして突然、声が真ん中に現れたときに、ああ、とその存在を思い出す。

あるいは、声をプリズムに透かしてみる風景を想像する。
透明で冷たく、澄み切った声は、プリズムを介していくつかの要素に分解される。
分解された声は、それぞれに鮮やかな色を帯び、冷たい大地から開放される。
中空に放たれた声たちは、分かたれた自分の欠片を呼び合う。

いつしか声たちはまたひとつにもどる。元の冷たい大地に。
でも、最初より少しだけ、暖かみのある色になったみだいだ。
なんだか、まるで何かを祈るよう。

教えてくれた人も含めて、とても大切なレコードになるんだと思う。





"Niyodo"高木正勝
順調にエレクトロニカから離脱し。今年は2枚もレコードが出て嬉しかった。
"Tama Tama"の方が背筋がしゃんとする端正なピアノが耳を引き、
いつまでたっても背筋がしゃんとしない僕としては好みのレコードなんだけど、
今回はこちらにした。

Kazekogiはなんというか、童謡のような一曲。
聞いていると、そうそう、子どもの頃ってこんな感じだったよなぁ、と
妙に幼少のころを思い出してみたり。
そういうことっていうのは、今まで殆どなかったから、
なんだか不思議な気持ちにさせられるレコードだった。
ベトナムにいるから、郷里が恋しくなるのだろうか。

子どもの頃を思い出すことは、僕にとってなんというか、
思い出したくないような、気恥ずかしいような気持ちになる作業だ。
理由はよく分からない。だぶん高校生が中学時代を振り返るのが
イヤなのの延長みたいなものなんだろうな。
中二病的高二病的大二病的院二病的社二病な、社会人7年生。
まあ、今は絶賛ピットイン中だけどな。

ただ、こうやって改めて童謡のような曲ー子どもの声を聴くと
クラスで友だちと歌を歌っていたのを想い出す。ピアノに座る先生の顔も。
うん。あのときは、なかなかいっしょうけんめい歌ってたじゃないか。

子どもが音程がわからなくなって、あいまいに歌うところとか、
それを先生が導いている感じとか、とてもかわいらしい、と思える僕は、
いくらか過去を客観的にみることができるようになったとも言え、
昔よりも少しだけ、大人になったのかもしれない。

ああ、エレクトロニカとしては、"s(o)un(d)beam"Salyu × Salyuとか
とても面白かった。Salyuの声はとても好きだな、と思った。




こんな感じかなぁ。今年も素敵な音楽にたくさん出会えますように。

2011年12月30日金曜日

あら年末

あっという間の年末。今年は半袖で過ごせる年末。
書きたいことがたくさんあったのに、あんまり書けずにここまで来てしまった。
今日中にもう少し書くかもしれないけれど、やっぱり書かないかもしれない。
きっと twitter上であけおめ的書き込みを見て、キミら2時間早いぜ、
と呟いていると思われ、つぶやけるだけでベトナムに来た
甲斐があったとも言える。


例年、だいたい年末は寒さと飲み過ぎて風邪を引いている。
だからか、今年も暑いのに、しっかり風邪を引いてしまった。
身体は順調に日本の年末仕様に仕上がっていると見ていい。
順調に行けば新年会開けの来月15日前後に、
もう一度大風邪を引くことになる。
そしてボロボロの身体で、ヒアリング資料を作成するのが習いだった。


外を見れば、雑草が茂って、木々の緑が濃くて、3回目の稲刈りが終わっている。
僕にとっては、何というか、不思議な年末だ。
今週、会社では来年のカレンダーが配られた。
僕はアディショナルな人間なのでもらえないらしい、残念。
そろそろ共産党員になったほうがいいのだろうか。
カレンダーで感じる正月、ってのも。

ベトナムの正月は旧暦なので、特に変わったところはない。
市場はいつもどおり人で賑わい、子どもは相変わらず遊んで、
男はだらだらとカフェで微睡み、バイク洗い屋はバイクを洗う。
いつもどおり。

しめ飾りとか大掃除とか年末ジャンボとか、
年の瀬の賑々しい感じが少し懐かしいような気がする。
そして、深々と静かに雪降るが懐かしいような気がするし、
もう寒いのには耐えられないような気もする。
12月でも暖かさと湿度に富んだこの土地は確かに体にやさしい。
身体と心が妙に緩んでしまうことろがベトナムなんだと思う。
まあ、今は悪寒でゾクゾクするけどな。


職場が開店休業なのをいいことに、同僚君は音楽を流しながら
仕事をしていて、不思議なメロディと節だなぁと思って聞いている。
永遠に続きそうだ。
展開して展開して、終わらなそうなのに終わる。そういう歌が多い。

大陸的、という言葉を思い出した。
つまりそういうことなのだろうか。
波間に消えることなく、いつまでも終わらない音楽。
などと、咳をしながら考えた。


終わらないと考えるから、力を抜き、吹く風に身を委ねるのだろうか。
いつか終わると考えるから、じっと身を固くし、耐えぬくのだろうか。
場所によって、身の処し方は少しずつ違うのかもしれないな。
などと考えつつ、鼻水を垂らしていた。


なるようにしかならないっぷり、を来年はさらに経験するんだろう。
それはきっと、僕をいらつかせ、焦らせる。
まあ、仕方ねぇか、と思えるようになれば、
僕も少しは変わったと言えるのかもしれない。
良い方に変わったか、悪い方に変わったかは、知らない。たぶん悪いな。
大陸的な考え方、ということで。
この場所はきっと、僕をまた少し変えるだろう。


そんなこんなで、みなさま、良いお年を。

2011年12月1日木曜日

COP17についてのあれこれ

少し目を逸らしていたら、ということもある。
附属書Ⅱ国にいるせいだろうか。せっかくCOP17も始まったことだし。
原発ばっかりじゃ困るんだぜ、というところで、国際環境NGOの日本支部がなんかキャンペーンをしているかをサーベイしてみる。
ありますね。

WWF
http://www.wwf.or.jp/activities/2011/11/1024202.html
Friend of the earth Japan
http://www.foejapan.org/climate/cop/cop17.html

Green Peaceについては見つからず。福島で大車輪の活躍を挙げているので
http://www.greenpeace.org/japan/ja/
まあ、仕方がないとしておく。一連のスーパマーケットとのやりとりは実に興味深く観察させてもらいました。

ああ、気候ネットワーク忘れてた。
http://www.kikonet.org/theme/kiko.html

ダーバンでの交渉の経過はじっくり観察させてもらうことにしよう。




以下、気候変動に関する基本的なことを備忘録的にまとめる。最近そんなこと全然考えてなかったから。物忘れが激しいので。

○京都議定書の第一約束期間は2008年〜2012年。来年まで。第二約束期間以降の取り扱いについてはまた交渉する:次期枠組が京都の延長であるのか、違う枠組なのかが今議論されている。
○議定書の根拠は気候変動枠組条約。考え方の基本は、予防原則に基づいた行動を行うこと。つまり、その事象(ここで言えば気候変動が発生すること)の因果関係が十分に立証されない状況にあっても対応する措置をとる、ということ。その理由は、気候変動による変異(変な言い方)が不可逆的かつ深刻な影響を人的活動に及ぼす可能性があるから。
○IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のレポートは気候変動が起こっていることについて、疑いがない、と述べる。それは、人的活動による寄与によるものだとも。
○京都議定書の削減義務について。先進国(附属書Ⅰ国)に削減義務がある。開発途上国(附属書Ⅱ国)には削減義務が課されていない。日本は90年度比6%の排出削減を約束した。大手排出国のアメリカは離脱済。
○COP/MOP(議定書/条約締約国会議、今はCOP17)では、先進国は人口が多く、工業活動が活発な途上国、例えば中国などにも削減義務を求めるが、発展を阻害するものとして途上国は反発しており、妥協点がなかなか見いだせていない。COP17もきっと難航するんだろうな。
○京都議定書は、自然災害や気象災害による温室効果ガスの増加について、発生国の免責を認めていない。簡単にいえば、地震が起きようが日本の削減約束は変わらない。火山の噴火による排出増とか。
○京都議定書には約束不達成に関するペナルティ/罰則規定がない。

と、いうところだな。ほかにもいろいろあるけれど、まずはそんなところだろう。
羅列すると、まったく穴だらけのゲームだな。



ここに2つの記事がある。
・カナダに関して言えば、記事を読む限りちょっと厳しい。排出量が増える見込みがあるならば、排出枠をほかの国から購入する選択肢(京都メカニズム)を検討していなかったのか。例えばロシアは広大な森林(吸収源)があって、産業活動が停滞していたので、この間に関してはどえらい排出枠を持っていた(いる)。いまから排出枠を購入できるものなのか、よくわかない。
ゲームそのものを軽視していたか、あるいは、はじめからゲームのルールを守るつもりがなかったか。だとしたら、はじめからゲームに乗らないほうがよかったのでは、と思わなくもない。アメリカみたいに。

・日本について。少し詳細に見てみる。
京都議定書の第一約束期間において、日本は90年比6%、1300万炭素トンの削減が必要。90年比というところがキモで05年ベースで考えると、13.8%の削減が必要だった。つまり13.8-6.0=7.8%が追加的な削減量となる。
ちなみに05年当時、僕は約束達成は絶望的だと考えていた。
ちなみに6.0%の内訳。森林吸収源で3.8%、京都メカニズムで1.6%、合わせて5.4%分を除いた0.6%を実質的な削減分として見込んでいた。当初はわずか10%の「真水」だった、ということ。そして、05ベースではそれすら困難だったこと。

ここに環境省の09年度の速報値がある。10年度はまだ公表されてないのかな。
これを見ると排出量は12億900万炭素トンとあるから、この年に関しては日本の削減約束量を満足している。09年度だけで考えれば1990年以下の排出量だった。また、森林吸収源も京都メカニズムも使う必要もない。不況は排出を真水で削減してしまった。
ただし、削減量は08年〜12年の平均だったはずで、08年はオーバしているので、残りでカバーしなくてはいけない。
よくまあ落ちてくれたもんだという感想もある。

今後についていえば、震災の影響がある。産業部門は縮小しているだろうから、民生部門の排出量は一時的に減っただろう。一方で、原子力の代替電源源として火力発電の排出量は増えている。11年、12年の排出量を注視する必要がある。




ここからだけが本題と言っていいのだけれど、僕は2つのことを考えている。

1つ目は、まずは条約のレジーム(枠組み)保持にこだわるべき、ということ。この枠組みはとても壊れやすい。その理由は、想定される被害はあくまで予測でしかなく不確実さが伴うことと、罪業の深さが違う人たちがともに削減を達成するゲームだからということ。

予防原則に基づく対応の難しさは、リスクは白黒つけられないからリスクだという性質による。絶対に交通事故に合うと分かってるなら、みんな車に保険かけるだろう。そもそも車乗らないか。
被害を大きく見積もるか、小さく見積もるかによって、
あるいは大きく見積もりたいか、小さく見積もりたいか、
によっても受け取り方は違う。

だから予防原則を投げてしまうオプションももちろんある。そんな問題ねーよ、と。武田邦彦のような。余談だが、彼が福島の野菜を食べるな、と発言したのを聞いた時、この人は本当にグレーなリスクを受け付けない人なんだな、と思った。それはまあ、人による。
僕としては、気候変動ウソ説よりも気候変動ホント説の方が蓋然性があると考えるので、予防原則を支持する。

話を続ける。
仮にその国に生まれた人が永遠に生き続けるならば、ゲームの条件としてはもう少し簡単かもしれない。永遠の命を持つ人ならば、かつての責任を問うことができるから。
しかし、現実はそうではない。その国に生まれたのは、所与の条件でしかない。例えば今日先進国に今生まれた赤ん坊に、かつての責任を問い得るか。その国のライフスタイルで過ごしてしまう責任を問い得るか。


そんなこんなで改めて確認する。今に生きる我々は、気候変動の影響は避けるべきか。もちろん、それはなんとしても避けるべきことだ。たぶん、利害の異なる参加者に共通するベースはそこしかない。
だから、そこから泥縄式に交渉を続けていくしかない、ということ。かなりフラストレーションのたまる交渉を。

そのことが、限られた時間しか持たない人間が、(さしあたり)無限の時間を持つ国家という名前を背負うこと。そして、僕らの子どもに対して(いまのところいないんだけど)、しっかりと顔を向けていくことであるよう思えるから。
テーブルに付くのをやめてしまった、アメリカ(あるいはカナダ)といった先進国の選択に陥穽があるならば、たとえばツバルといった今現在、危機を全開で感じざるを得ない国々に応答する言葉を持たないこと、そして、自分の子どもや孫に伝える言葉を持てないこと、なのではないか。

だから、苦しいけれどレジームはなんとしても守る。いろいろ状況が変わってうまくいかないことはあるだろうけれど、テーブルは離れてはいけない。



2つ目は、今回に関しては日本は約束不達成でもいいのではないか、ということ。
信用失墜とか、あるだろうけれど。もちろん、交渉はしっかりとやったらいい。山口光恒の論考なんか、非常に参考になる。

まず、リーマン・ショックに始まる(だっけ?)一連の不況がなかったら日本の排出量は減少しなかっただろう。繰り返すが、05ベースでは日本は−6%分のパッケージしか持っておらず、無策であった(ようにしか見えなかった)。このことは、爾後の震災と切り分けて考える必要がある。
そしてなにより、震災後、僕らが覗いてしまったのは原子力や放射能への恐怖だった。温暖化に関する環境省の資料の中に「原子力発電所の稼働率が84.2%であった場合」という文言とか、もはや悪い冗談にしか映らない。でも3月11日までは、普通に通用していたことでもあった。

フクイチ君をいつまで冷却しなくてはいけないのか、溶け落ちた燃料が取り出せるのか、その燃料をどうするのか、ということを考えると、ああ、大変だな、と誰だって憂鬱になるだろう。もはや電気を産まないパワープラントにどれだけ電気とお金が必要なんだろう、と言い換えてもいい。


温室効果ガスは将来的に大きな被害をもたらす可能性がある。どうもそうらしい。
一方で、放射能によるカタストロフは喫緊、かつ長期的なことだった。いま、身を持ってその事実を体験し、あるいは将来のことを考えて震撼している。

現在の火力発電所による排出増は、原発のリスクと温室効果ガスの増加のリスクを天秤にかけたということでもある。リスク総量の比較はともかく、少なくともどちらが速やかなリスクなのかは、今の僕らは知っている。
あるいは、少なくともカタストロフに直面したときに、火力発電による大幅な排出増で対応するしかないということも僕らは知ったはずだ。



いろいろあって、我々は自らに課した約束を果たすことができなかった、とみんなの前で述べることはそれほど悪いことではない。一時的に排出量を増やしてしまう。ごめんなさいと。ペナルティもないことだし、あったとしてもそうすべきだろう。
それでも気候変動枠組条約にコミットし続ける姿勢を日本が取りつづけることができるのであれば、僕は評価する。


大きな災厄に見舞われたことは確かだ。それはとても大きな悲劇だった。
だがそれでもう片方の責任が免責されるわけではない。
どちらか一方だけが大事なのではない、どちらも大事なのだ、ときちんと言えること。一方の災厄で、もう片方を見失わないこと。それが大切なのではないか、と思うんだ。

2011年11月22日火曜日

クチへ



ガイドさんは歌って踊れる陽気な若いベトナム人だった。英語が上手だ。


彼は流暢にきれいな英語をしゃべる。普段から英語を使い、外国人を相手にしているせいだろう。
英語を話すベトナム人はサイゴンでは珍しくないけれど、ベトナム語的英語になってしまうことが多い。ベトナム語はアルファベット標記で、基本的にローマ字読みで発音するから、発音を推測するのは簡単だ。ただし、末尾が子音だと発声しない。例えば、forest:「フォレスト」は「フォレッ」と発音してしまうから、慣れないと分からない。



「ソ連がなくなった今では、共産主義国は中国、キューバ、北朝鮮、そしてベトナムの4カ国だけになりました。」そうか、共産主義国ってまだあったのか、とぼんやりと考える。こんなにもモノが、お金が溢れているベトナムを「共産主義」と言ってしまうのには、少し違和感を感じるけれども、彼はよどみなくそんなことを言う。

ツアー中、クチのトンネルのシステムやベトナムの対米戦略を説明しながら、日々彼が相手にしているであろう外国人に向かって来てくれたことを感謝を口にする。なぜだか言い訳がましい感じがしなかった。淡々と、堂々と、親しげに彼は言う。

ビジネスだから、と言ってしまうと身も蓋もない。そんなことを言えばセックスだってビジネスだし戦争だってビジネスだ。この世界のたくさんのモノたちにビジネスというステッカーを貼っていくなら、そのステッカーを貼ることができないものを捜す方が、きっと難しい。

彼があんまりにもきれいな英語をしゃべるから、ベトナム人であることをたまに忘れる。
もちろん仕事が終われば、彼だってベトナム語を話し、ビールを飲み、普通のベトナム人として生活しているんだろう。


僕らはツアーで、楽しむために来ているし、彼は僕らを楽しませるために来ている。彼は冗談を言い、おどけ、歌い、軽やかにビジネスをこなしていく。それが、単なるビジネスであったとしても、そのつるりとした社交辞令の向こう側に、しっかりとした奥行きと手触りがあるように感じられた。

それは僕の気のせいかもしれないし、聞かなければ(英語を聞こうとするのは、僕にとってずいぶん大変なことだ)通りすぎてしまう風景だ。
知識は所詮知識でしかない。それでも、知らないよりは知っておいたほうがいい。そんなことを考える。

2011年11月12日土曜日

つくえをつくる。


メラルーカ材のつくえをつくってもらう。
自分で作るつもりだったんだけど、オマエ作ったことあるの?
と聞かれ、ない。と答えると、
じゃ、見てなさい。ということになった。
はい。見てます。口も出します。









いすづくりと同じように、つくえづくりもカマボコ板からはじまる。
天板を40cm×80cmでお願いしたので、それに見合う板を作る。

知らなかったのは、家具で集成材による家具作りはけっこう行われていること。
そういえば、家にあるテーブルは確かに集成材だった。別にカマウに限ったことじゃないんだな。


カマボコ板からはじめる利点としては、部材を小さくすることによって、ねじれや歪み、割れが少なくなることだそう。
大きな板は確かに乾燥しにくいし割れやすい。あそこにある日本のODAで入った乾燥機は?と聞きたかったが、話がめんどくさくなりそうだったので次回聞こう。

足の部材と天板の部材を作っていく。もう少し釘打ちを少なくしよう、とか、もう少しキレイに打とう、とか、作っている人が思えるようになるにはどうしたらいいんだろう。と考える。

でも別に裏だし、いいか、と思ってしまう僕は、だいたいここの人の考え方が一緒なんだろう。



形が出来てしまえば、後は細かい修正と塗装。
ざっくりとヤスリがけをしたあとに、細かい凹凸の補修。凹凸が大きいときはとの粉を使う。小さな傷は、透明な接着剤を流しこんで、ヤスリがけ、という方法も使っている。
ふーん。と思ってみてしまう。

ヤスリがけまで終わってしまうと、かなりキレイ。杉板のように年輪ははっきりと見えない。わずかに色が濃い心材と、白っぽい辺材の違いが見て取れる。

メラルーカを見ていていつも思う。年間通じてずっと成長しているせいか、年輪がない、わけではないけれど、見た目でそれほど明確にわからない。

オール早材、というと語弊があるけれど、晩材もズンズン成長してしまうので年輪という概念が不明確なんだろう。
気分はずっと夏、なメラルーカ。
この説明は年中陽気なここの人たちにも当てはまるような気が。


最後に塗装。塗装で赤色を付けないで、とお願いしたので、そのままニス塗り。ニスも黄色っぽくなるので、どうかと思ったんだけど、そのままだと傷がつきやすいよ、ということで同意。

飾り物ならニスなしでもいいかも知れないけれど、デイリーユーズだし。つくえにおいたコップのあとが付くのも嫌だし。











赤色に塗装されたメラルーカのつくえについて。
塗装しなくてもメラルーカ木肌はキレイだと思うんだけど、というと、
ウミンの人はこの赤色が大好きなんだ、という。
そういえば、この赤は周りの緑によく映える。

メラルーカ材は重たいね、アカシア材の方が軽いし喜ばれるでしょう、というと、
ウミンの人はメラルーカが大好きなんだ。
だってここはもともとメラルーカの森なんだから、という。




























部屋にクリーンインストール。
リノリウムの床の色となんだか合っていて、ちょっと笑ってしまった。









2011年11月10日木曜日

その人はいう。

キミは容器のことばかりを気にしていて、中身のことを考えていない。
大事なことは、中身なんじゃないのか。

僕はコーヒーの入った、カップを少し思い浮かべる。


僕はいう。
そのとおりだ。僕は外見のことばかり考えていて、
中身のことなんてこれっぽっちも考えていない。
中身はとても大事だってことは分かっている。
でも、それができないんだ。


言われたその人は、とても困ったような、悲しいような、弱々しい顔をする。
その悲しそうな顔をみていると、僕も悲しくなる。
そう、中身が大切なことぐらい、僕だって分かっている。


事実だとしても、言っていいこと、言ってはいけないことがあるのか。
その人の弱った顔を見たくなかった、というよりも、
強いはずの人が、弱々しい顔をみせたことに僕は狼狽する。

弱さや未熟さを言わざるを得ないのは、弱さに依るはずなのに
そうして、放たれた弱さがその人の何かを損なう。
相手の反応に動揺するくらいであれば、
それは、言われるべき言葉ではなかったのか。
相手が安寧であることが、僕の安寧であるならば。



弱くてもいい、弱さを言い募ってもいい時間帯は、
どうやら僕の中で終わったようだ。僕はそんなことを考える。



ああ。これ夢の中の話。

2011年11月7日月曜日

メラルーカを植える。





”Trồng rừng”は意味で言えば、「林を植える」ことで、つまり植林。
正しく言うならば、林を植えるのでなくて、木を植えるのだろう。
 英語ならAfforestationは「森林にする」程度の意味だし、
単純にplanting treesということも多い、かどうかは知らないけれど、
まあ、論文とかでよく見た言い回しだ。
林を植えるという、なんだか変な言葉が日本でもベトナムでもある。




というわけで、メラルーカを植えた。
これがもう本当にキツくて、翌日から腰痛に悩まされることに。

メラルーカの植え方は単純。穴を突き立てて、そこに苗木を植える。以上。





















苗木の本数は20,000本/ha。日本の通常の造林の6倍〜8倍の本数を植えこむ。
正方植えをしていて、70cmの正方形の頂点に植え込んでいくような感じ。

一日でやんのこれ?と愕然。全部で13haあるそう。






苗木は苗令3ヶ月程度の取り木苗。
フミ、ほれ、これが苗だ、と見せてくるのは
海坊主、もとい、水路坊主のKhỏi兄さん。
事前に船でポイポイと束が投げてあって、それを持ってきて植える。
日本のように苗を背負って山に上がらなくてもいいから、それは楽だ。

かなり細いけれど、ちゃんと活着するそう。
根っこ曲がってたら折ってもいいよ、って。ほんとかよ。

日本で植栽をしたときは、樹木の吸水が終わる10月くらいから
吸水がはじまる3月くらいまで、となっていた(降雪期は避ける)と思う。
こちらの植栽は雨期中に行う。
苗木がバンバン水を吸い上げるときに植えてしまう。

熱帯の植栽はいつのタイミングが適切なんだろう、と少し考えみた。
結局ここでは成長停止期なんてないのだ。だからどんどん大きくなるわけで。
そんなことを考えると、やっぱりよくわからなくなって、やめてしまった。




問題なのが、足場の悪さ。エンバンクメント工事がすでに終わっている場所なんだけど、水路の泥を掻き上げただけだから、当然沈下する。
何気なくエンバンクメント工事を見ていたときは考えもしなかった。


田植えの要領で苗木を植えていく状態。埋まるし転ぶし。


日本の植栽は寒いくらいの時期にやるからこんな暑いなんて、考えたことなかった。植栽地って、日陰ないんだ。当たり前だ。

持ってきた水はあっという間に尽き、ドコのものとも知らない、イケナイお水を飲み干す。
外国人としては危険だが、背に腹は代えられない。また、外国人としてはヒルも細菌感染も破傷風も住血吸虫も怖いところなので、長袖長ズボン。

ここの人はとんでもなくタフ。尽きることなくだらだら喋りながら、さっさか植えていく。感服。

ワイシャツで現場に現れるのだけは理解できない。ベトナム人のワイシャツ好き。







いい経験になったけれど、なにしろぐったり。
明日も植える?と聞かれて、日曜は休む日だよ、と力なく返す。
みんなが笑う。
船に揺られて帰って行きました。