2011年11月22日火曜日

クチへ



ガイドさんは歌って踊れる陽気な若いベトナム人だった。英語が上手だ。


彼は流暢にきれいな英語をしゃべる。普段から英語を使い、外国人を相手にしているせいだろう。
英語を話すベトナム人はサイゴンでは珍しくないけれど、ベトナム語的英語になってしまうことが多い。ベトナム語はアルファベット標記で、基本的にローマ字読みで発音するから、発音を推測するのは簡単だ。ただし、末尾が子音だと発声しない。例えば、forest:「フォレスト」は「フォレッ」と発音してしまうから、慣れないと分からない。



「ソ連がなくなった今では、共産主義国は中国、キューバ、北朝鮮、そしてベトナムの4カ国だけになりました。」そうか、共産主義国ってまだあったのか、とぼんやりと考える。こんなにもモノが、お金が溢れているベトナムを「共産主義」と言ってしまうのには、少し違和感を感じるけれども、彼はよどみなくそんなことを言う。

ツアー中、クチのトンネルのシステムやベトナムの対米戦略を説明しながら、日々彼が相手にしているであろう外国人に向かって来てくれたことを感謝を口にする。なぜだか言い訳がましい感じがしなかった。淡々と、堂々と、親しげに彼は言う。

ビジネスだから、と言ってしまうと身も蓋もない。そんなことを言えばセックスだってビジネスだし戦争だってビジネスだ。この世界のたくさんのモノたちにビジネスというステッカーを貼っていくなら、そのステッカーを貼ることができないものを捜す方が、きっと難しい。

彼があんまりにもきれいな英語をしゃべるから、ベトナム人であることをたまに忘れる。
もちろん仕事が終われば、彼だってベトナム語を話し、ビールを飲み、普通のベトナム人として生活しているんだろう。


僕らはツアーで、楽しむために来ているし、彼は僕らを楽しませるために来ている。彼は冗談を言い、おどけ、歌い、軽やかにビジネスをこなしていく。それが、単なるビジネスであったとしても、そのつるりとした社交辞令の向こう側に、しっかりとした奥行きと手触りがあるように感じられた。

それは僕の気のせいかもしれないし、聞かなければ(英語を聞こうとするのは、僕にとってずいぶん大変なことだ)通りすぎてしまう風景だ。
知識は所詮知識でしかない。それでも、知らないよりは知っておいたほうがいい。そんなことを考える。