2011年8月20日土曜日

Ở rừng Cây tràm



















週に3回船に乗るとさすがに疲れる。
これから2年間、お世話になる cây tràm。メラルーカ。
国立公園に行くと、どこまでも続くメラルーカ林。
本当にここは広大な土地なのだな。

樹高は目測で10〜14m、胸高直径は20cm。
林齢は不明。管理人さんも知らないとのこと。
天然林であってもやはり成立本数が非常に多い。
かなり大きい林でも5,000本/haはあるだろう。

一方で多様性についてはかなり低いと考えられる。
天然林であってもメラルーカの純林になってしまい、
他の樹種はほとんどない。
強酸性の土壌に耐える樹種は限られているのだろうか。
また湛水していたり、成立本数の多さにより
林床が暗いため、下層植生が貧弱に見える。
もちろん、それが原生植生なのだからそれでいいと思うが。

みていると20,000本/ ha植栽というオーダーは
ニーズよりも単純に自然植生に近いからではないか、
という気がしてくる。

湛水している場所にも能く自生するし、
植栽している場所にはエンバンクメント。
やっぱりバイクというよりも船。
ではないのか。


さてさて、どうしようか。
なにはともあれ、来週からこの場所でお世話になります。

2011年8月14日日曜日

Đi bằng tàu




雨の日の船は雨滴が痛くて寒くて仕方がない。
晴れの日の船は熱々の鉄板に乗せられた気分。ということがよくわかった。
曇天、という都合のいい天候はあんまりないんだな。


まずいな、まったく何言ってるかわからん。困ったものだ。
なんとかご飯は食べられる。でも仕事をしにきたのだぞ、と思う。

日本人の専門家の元で慣らし運転をしている。来週いっぱいまで。
それが終わったら、ウミンハという村に赴任する。
省都から車で1時間、船で1時間半ほど。

挨拶がてら引き回してもらっているが、おっちゃんたちのいうことがわからん。
とにかくなんとかサバイブするしかないだろう。英語も不可。
笑みとお酒とタバコでカバー。
これしかねぇ。でもそれじゃ仕事できてねぇ。
種々の想念により、腹の底まで冷え切ったところで空を見る。


雨がやんで、青々とした空が。
なんだかぽかーん、としてしまう。
こんな広い空に出会ったことはない。

伊那に住んでいたときも広い空がお気に入りだった。
目の前にある南アルプスが空を切り取るせいで、
きっとここの空は広いんだ、と思っていた。額縁。

ここは額縁すらない、とめどない空がある。
もちろん、運河と森が空を切り取る。
でも、運河は、やっぱり空の青さを映してしまう。

空が、大きすぎる。



あっけに取られながら、来た道、というか水路を船で戻っていく。

2011年8月11日木曜日

カマウ!

















翼よ、これがメコン・デルタの朝焼け。


100人乗り、よりはちょっと小さいような飛行機で
ホーチミンから50分くらい。
水面に不時着するのかとおもいきや、そこには小さな空港が。

とはいえ、まだ旅の途中。
終着地はウミンハ。ここから車で一時間。移動は2週間後だ。

コーヒー色のメコン川と一面に水をたたえた土地。
これがどうやらこれから僕が住まうところ、らしい。


来てみた感想、どう?と、聞かれて、困る。
この場所のイメージなんて、なかったから。
どうなんでしょね、とあいまいに返してしまう。

来てみてから、少しずつ。
そうか、僕はここに住むのか、と理解しはじめる。

うん。とても陽射しが強い。そしてとても平らな場所だ。
これはたしかに、僕が初めて見る景色だ。

2011年8月8日月曜日

さよならホーチミン





























明日からカマウへ。

ここは、どんどん発展していく場所であり、木々や暮らしが残る場所。
2年後はきっとすごく違う場所になっているだろうな、と思う。
ハノイと変わらないか。ある意味ではそうかもしれない。

僕が1区に住んでいたせいだろう、
あんまり「拡大していくホーチミン」のイメージはない。

きれいなものときたないもの。
いろいろなものがくちゃくちゃとしているホーチミン。
洗い流すスコールと、吹き抜ける風が、ハノイとは違う。

そんなイメージを持ちました。

2011年8月7日日曜日

匂いを嗅ぐ

街で見かけた。這って歩いていたり、とても工夫された車椅子、とでも呼ぶべきもの、に乗っているひと。足に障害を負ったひとだ。カメラを向けることはできない。
どうも多いような気がするな、くらいにしか考えていなかった。

エージェント・オレンジ。そういう言葉がある。ここで「オレンジ」という言葉が何を意味するのか、僕は知らなかった。

現物資料館に行こう、と先生が云った。現物があるから。現物?と思った。博物館には戦闘機や戦車、銃など「現物」がある。なるほど。そして3階にはもうひとつの「現物」がある。街で見かける彼らもまた、「現物」の一部なんだ、と気がつく。


このページはすべてを氷漬けにしてしまう。ここには匂いはない。それは僕の企みでもあるし、ウェブの性格上、仕方がない。

日本には、匂いのないものが多すぎた。そう思う。あるはずの匂いが、あまりしない。あるはずのものが捨象されているような、そんな感覚。魅力的だったり、吐き気を催したり、良くも悪くも匂いに溢れた、この場所で感じることだ。


先生の小指には2つの傷がある。稲の収穫のとき、カマで自分の手を傷つけてしまった、と笑う。先生はむかし農家だった。1975年、戦争が終わった。カマは社会主義の象徴でもある。

父は南ベトナムの兵隊だった。私が10歳のとき。戦争が終わって、みんなサイゴンを離れ、帰農したんだ。ここには食べるものがなかったから。
それから飢饉が4年続いた。虫がすべて食べてしまった。本当に食べるものがなくなったんだ。
先生は授業を続けながら、泣き笑う。僕たちは、ただ戸惑う。刻まれた小指の傷は、記憶を引き出してしまうのかもしれない。

食べ物は輸入できなかったの?と聞くと、Embargo,という。英語だ。僕はその言葉を知らない。今、北朝鮮でやられているでしょう?と言われて、経済制裁のことだと気がつく。

なにしろ、ものがなかった。店の前で長い列を作って、商品を買うんだ。私の順番で、ちょうど品切れのときもあった
先生は少し笑う。


閉じ込められたことのある人は、きっと閉じ込められることの残酷さをよく知っている。当事者ではない僕もそれが残酷であることを知る。僕はそれまで知らなかった。そして、その矢は、32年後の僕らをも射るだろう。


知らないよりも、きっと知っていたほうがいい。それが僕がこれからするかもしれない残酷さを回避する、唯一の方法だと思うから。本当はあるはずの匂いを、注意深く嗅いでいくことにする。

Viện Nghiên cứu Cây ăn quả miền Nam

























上は thang luong:ドラゴンフルーツの花と果実。こうやって生るんだね。
下はXoài:マンゴー、 dừa:ココナッツの苗木。あたりまえだけどちゃんと実からでるんだね。



南部果樹研究院、とでもいうべきか。
英語ではSouthern horticultural resarch institute(SOFRI)とある。

 câyは木とか、長いものつける類別詞。くだものはăn quả。
「食べる果実」。わかりいいではないか。
でも南部では thái câyという。こういうのが多すぎる。

JICAの事業。日本人専門家が常駐しており、説明していただいた。
キングマンダリン:cam sànhの普及事業が行われていた。
キングマンダリンで高値で取引され、商品価値が高い。
しかし、メコン・デルタ一帯は果樹の病気があり、
感染すると果樹が枯れてしまう。
栽培法を工夫して農家の収益を拡大しようというのが、事業内容。なるほど。



その後、防疫研究室へ。
「日本では林業で農薬使うの?」
「あんまり使わない。病気になったら伐って捨てちゃうから」
「そうか。ベトナムも林業ではあんまり使わないな」

さしあたり、僕らに共通の話題がないことを確認したあと、
何やってるのかを見せてくれる。
葉につくダニや菌や虫、いろいろな果樹の病気の研究が行われていた。
そのあと、上の圃場を見せてもらって。これがあれで、と教えてくれる。
僕の周りにいるベトナム人は総じて親切だ。
30分もすると、フミ、アレ見て、となる。
ホウホウ、と応じているうちに時間切れ。

正直くだものにあんまり興味ないんだけど、果樹の栽培には興味がある。
市場にならんでるくだものはこういう風にできるんだ、
と関心しきりの一日。ここ場所ならではの事柄だ。
ま、基本的に座学が嫌いな性分でもある。

2011年8月5日金曜日

工場見学




写真:中央がアカシア・下がメラルーカ メラルーカは樹皮がくちゃくちゃ


ようやく語学研修が終わった。解放された。ネタは順調に古びていく。


①木質ペレット工場:Ge energy co.,Ltd

ペレット工場がベトナムにもある。こんなに暑いのに木質ペレットの工場だなんてね。

メラルーカ、アカシアを原料としているとのこと。これらの樹種はもともと油分が豊富だし、好都合なんだろう。油分が豊富ということは、燃やしたときの発熱カロリー量が高いということだ。

登り窯の話。くべる薪はアカマツが最適でスギはダメ、と師匠先生が仰っていた。もうあんまり覚えていないけど、酸化とか還元とかいろいろ工程があって、1200度くらいまで薪だけで上げていくのは、結構たいへんなことだった。スギはカスカスしていてダメ、ということ。
少しスギがかわいそう。

いいや。


韓国系企業。この国にはずいぶん韓国資本がいる。作られたペレットはヨーロッパや韓国に輸出されるとのこと。好評らしく、工場の機械を増設します、との説明を受ける。なるほど。

ベトナムで使わないの?と thầy Thuyếtに聞いてみると、なんでこんなに暑いのに暖房しなきゃいけないの?と逆質問される。正論ですね。見たこともないそうでした。へーって。

なんでペレットなんかにするの?という疑問がどうも彼の中にあるようだ。ちゃんと伝わったかどうかわからないけれど、それは扱いが楽だからだ。原理的にただ木を燃料としているのだから、薪と変わらない。細かくして、圧縮して、均一化したものがペレット。
たぶんそれが規格化ということなんだろう。 ペレットは何語?と聞かれて英語、と答えるけどペレットは単に形状を指しているようにも思えて、あんまり正しくない。
そういえば原発の燃料だってペレットだ。正しくは木質ペレット(Bio-mass Pallet)。ちなみにベトナム語でペレットは"Viện nắng lương"。 việnが丸っこいものの類別詞で、nắng lươngはエネルギーの意。

ペレットストーブはいいと思う。柔らかく温かい。ファンヒーターみたいなもんだし、扱いも楽だ。扱いが楽、というところがきっと消費の洗練化ということなのかもしれない。
もしも僕が家を作ることがあったら入れもいいかな。作ることがあったら。

ふたたび燃料としての木材について考えてみる。確かに炭素を含んでいるから、燃料として好適なのは間違いない。ただ、木材はエネルギー集約度が低い。どういうことかというと、単位重量でも単位体積でもいいけれど、エネルギー密度が低いということ。要はかさばるということ。1kgの木材とガソリンでどっちがあっついかを考えればいいということ。

結局、木材はかさばる。もちろん必要なエネルギーを得るだけなら、量を投入すればいい。ただ、その量を遠い場所から持ってくる場合、木材は不利。源泉かけ流しと沸かし湯の温泉はどちらがコストが高いかを考えてみればいい。…温泉行きたい。
だから、日本では木質ペレット工場は総じて小規模な印象がある。大きな工場を作ればもちろんコストは下がる。しかし、原料をどこから調達するのか、という草刈り場の問題と、どこへ供給するのか、という売り場の問題があるから。きっとだから、赤字なんだろう。3セク的で経営がへたくそ、という問題も別として。

ベトナムでのペレット事業について考えてみると、まずベトナムはペレットの消費地には、少なくとも今のところはなっていない。そして潜在的な需要はあんまりあるとも思えない。木質バイオマス発電とか、利用方法はあると思うけど、人口が多いところで行うのはあんまり効率的だとは思わない。
企業の方は、ここに工場を立地した理由について「そこにメラルーカがあるから」とアルピニストのようなことを言う。
それはたぶん事実なんだろう。確かに発熱量が高いメラルーカはペレットの原料に適している。豊富に原料が賦存している区域に工場を立地する。わかりやすい。それはベトナムにとっては供給先が確保されていることを示している。

材の供給元についてどのように考えているのかいまいち分からなかったが、「僕カマウにいくんすけど」「ああ、カマウからも木材来るよ、船で」「船?」船着場が工場に併設されているそうだ。そっすか。
…なんか最近いろんなところから、「船」に関する情報が集まってくる。どうも今後の僕のキーワードは「船」になりそうな予感。。あれ?バイクは?



②住友林業パーティクルボード生産工場(予定地)
http://sfc.jp/information/news/2009/2009-12-25-1.html
 Vina Eco Bord Co., ltdとなっている。住林の子会社。ベトナムにはたくさんの「ヴィナ」がある。まだ工場を作っている段階。11月に試験稼働とか。

説明を聴いた限りでは日本に輸出する意図はないそう。ホーチミンやシンガポールなど、近隣に向け輸出するそうだ。ホーチミンに住んでいる限り、パーティクルボードなんてほとんど見ない。この国では家はレンガとコンクリートで作ってしまう。

もちろん、パーティクルボードそのものは建材だけに使うとは限らないから、別にいいんだけど。ホーチミンも含め、東南アジアはこれから伸びていく国、人口が増大しつつある国だ、20年くらいで100万人単位で人口が増加する場所なんて、世界中探してもそうはないだろう。投資側としてもかなり魅力的な場所なのかもしれない。

パーティクルボードの利点としては、原料を粉砕してしまうことがあげられる。もとの材の形なんてどうでもいいのだ。通直な樹形でなくとも、ぐにゃぐにゃでも引き受けますよ、ということでもある。植えっぱなし、粗放な管理をしてもいいということでもある。

前回書いた通り、メラルーカ:cây tràmの主要な利用先として、建造物の基礎杭:củiの利用が多いことから、材の引受価格はそれに準じたものになるとの見通しを担当者の方は語っていた。日本人の方でよかった。
粗放な管理をしても引き受けてくれる、そのかわり引受価格は安い、ということだな、と僕は理解する。

コストを考えれば、大量に効率的に工場へ運んだほうがいい。そのためにはある程度運びやすい形であるほうが好ましい。ここでも集約度の話だ。たぶん、今のベトナムでの植栽方法はけっこう効率的に原料を工場へ搬入することができる。10,000/haとかの高密度植栽だから、ある程度、径も均一で通直だ。そのへんを織り込んだ上で、きっと工場立地も決定するんだろう。

この工場では年間25万m3/年のパーティクルボードを生産する、とのこと。25万m3の製品を生産するためには2倍~3倍程度の原材料が必要になるとのこと。相当歩留まり悪っと思ったが、僕は合板の歩留まりについてそもそもよく知らないんだった。要は利用率が30%~50%くらい、ということだな。
それにしても歩留まり50%としても50万m3って、ちょっと想像がつかない量だ。昔見学した新潟の合板工場が3万m3/年とか、そんな説明を受けた記憶。ほんとにそんなに材が集まるのかしら、と思う。


工場見学の成果。
木材そのものの需要はかなりあるようだ、という感触。供給できる量が分からないから、なんとも言えない。ただ、工場製品の性として引受価格が安いこと。たしか日本って合板の山元価格で3,000円くらいじゃなかったっけ。ここ3年治山ばっかりで林政やってなかったからよくわからない。でもそれって、ベトナムで言えば60万ドンということで、ありえん値段なんだ。

山元価格が低いのは悪いことではない。そういうものだと思えばよい。薪や基礎材がそもそも廉価であったんだから。そういう販路もあるというオプションがあるだけでいいことだと思う。でももうちょっと付加価値の高い用途も見ていきたいな、と思う。