2012年4月22日日曜日

北部の風景
















出張でハノイに来ていた。会議を終え、夕方のフライトまでいくらか時間があったのでドンラム村へ。

この9ヶ月で4回ハノイに足を運んだが、どうも好きになれない。埃っぽいし、排気ガスがすごいし、夏は暑く冬は寒い。絶対身体に良くないだろう、と。同じ都会でもホーチミンは、風があるし、スコールがある。
と、いうことであんまり北部に好感は持っていなかった。



ただ、北部にはなにやら不思議な影がある。埃っぽい大通りから、路地に入ったところ。建物を覆い尽くすような木々の濃い緑。人の営為を壊しながら、調和するもの。なんだかわからない。わからないけれど魅力はある。そんな気はしていた。


ふと思い立ったので、カメラはもってきてない。残念だけれどipodのカメラで。説明は下記がいい。写真もきれい。
http://www.vietnam-beauty.com/cities/ha-noi/4-ha-noi/235-duong-lam-ancient-village.html

















ドンラム村はハノイから車で1時間。ハノイの市街地を抜けていくと少しずつ田園地帯が広がっていく。ドンラムとは面白い名前だと思ったら、ここに住むボランティアに Đường Lâmだと教えてもらった。砂糖の林。かつてここはサトウキビが生い茂っていたという。なるほど。

田んぼは南部にもある。というか、メコン・デルタこそ世界の穀倉地帯だ。しかし、こちらの田んぼはずいぶん親近感がある。日本の田んぼによく似ている。整然と区画管理されていること、ちゃんと田んぼになっていること。
メコン・デルタの田んぼは田んぼではないのか。そんなことはない。でも、水の量があまりにも多すぎる。乾いた土地が少なく、水が溜まっているところが多い。稲作というよりも、その溜まっている水たまりに稲を放り込むように見えなくもない。
水と栄養が豊かすぎるのだ。自然に抱かれて、無邪気に2回も3回も稲を収穫しているのがメコン・デルタ。
それほど水も栄養も豊かではないところは、きちんと管理しなくてはいけない。だから、同じ田んぼでも風景が変わってくる。そんなふうに努力して管理された田んぼはちょっときれいだ。

ドンラムは歴史的街並みとして保護されているとのこと。旧家は保存され、修復される。また、新築する際にも規制があるという。
現在2名、建築と村落の日本人ボランティアがここに入り、活動している。

僕は僕が想像していたベトナム的な風景というものに、ここで初めて出会えた。
家がしっかりしているというのは、ちょっと、我らがウミンではない。ウミンにあるのはお金持ちがつくったモルタルの家か、東屋のような農民の家の2択しかない。どちらにしても、たぶん20年ももたない。それは、南の人が永久構造物を作る、という意図を持たないこともあるし、酸性度の高さや塩分やシロアリにより朽ちてしまうからだ。修理に値する建物というのは、メコン・デルタにはあまりない。
そう、家が家としてしっかりしてるのがいいなと思った。なんというか、安心感がある。


赤茶けた壁に整理された街並み、それを覆う緑。壁の向こうには、たくさんの緑。寡黙で遠慮がちに見える人たちが生活していた。聞いた話では西暦200年代からのお話がある。ベトナム人の大好きな英雄譚だ。考えてみれば当然だ。ここは中国との係争地の歴史が長いのだから。単に建物が古いのではなく、この場所はストーリーを持っている。

メコン・デルタだってもちろん歴史はある。ただ、語られるストーリーはといえば、19世紀にようやくフランスとの関わりにおいて顔を出す。その意味で、メコン・デルタは語れることは、いくらか少ないかもしれない。積み重ねられた歴史が違う。















アクセスが良好だということもあって、外国人も含め多くの観光客が来ていた。
案内してくれたボランティアが言うには、ここはもともとコミュニティの力が強い、言ってしまえば排他的な場所であったという。だからこそ、この街並みが残っているとも言えるし、現在の商売っ気にどういう風に結びついているのかという興味もある。単純に人は変わる、ということかもしれないし、それがここに住む人の生きる道だと認識しているからかもしれない。実際のところ、そんなに商売っ気はないらしい。
変わりながらも、コミュニティは維持されていくのは、なんだかいいことだ。















ベトナムは基本的に、北部の人は南部の人が嫌いで、南部の人は北部の人が嫌いだ。北部の人は頭ばよくて、ずるくて、暗くいそうで、南部の人は、陽気で、何も考えていないそうだ。
外人からすると、北部の人にはある種、抑制が効いている感じがする。ズルイ、というのはよくわからない。たぶんズルイ人はどこにでもいる。
北部の人は声が小さく、キビキビとしたベトナム語を喋っている気がする。聞き取りやすいベトナム語。理解できるかはまた別だ。

抑制が効いていることは、別に良い悪いの話ではない。ただ、抑制の効いた人は個人的に好きだ。あけっぴろげな南もいいが、しずしずとしている北の雰囲気は、なにやら好ましい。あ、寒いのはきらいなんだけれど。

2012年4月17日火曜日

Dead winter dead / 語感の余韻



まあ、春だが。というかここは常夏だが。
だって、寒い時にこんな話をしたら寒くてしょうがないじゃない。




本当は導入にギターによる「歓喜の歌」が入っていて、そこから聴いたほうがよい。
なぜ Dead、という単語を重ねるのだろう、と気になった。というかほとんどタイトルに惹かれて買った。で、歌詞カードを見ると「死、冬の死」と、ご丁寧にゴチック太字で印字されていた。はは、そのまんま。「デッド・ウインター・デッド」という言葉の語感は邦訳よりもはるかに印象的だ。

レコードのデーマはボスニア紛争に関するもの。レコード前半のハイライト「This is the time」がボスニア・ヘルツェゴビナの独立、開放感と栄光に溢れた一風景ならば、「Dead winter dead」は悪化する戦況を切り取ったような、ダークでザラザラとしたリフ・オリエンテッドな一曲。レコードタイトルにも冠されているこのレコードを代表曲といっていい。ザッカリー・スティーブンスのシアトリカルかつ、どこか毒を含んだようなヴォーカリゼーションも秀逸。
95年リリース。今はなきゼロ・コーポレーション。なぜ公文がメタル・レーベルを持っていたのかは未だに謎。


なぜ場所も季節も勘違いなことになってるかというと、日本からの友だちが一冊の本を置いていったから。
『ドキュメント戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争』高木徹, 講談社文庫, 2005
NHKのディレクターによるノンフィクション。
ボスニア紛争があったことは知っている。でもまあ、知らないに等しい。日本語の活字に飢えている昨今でもあるので、興味深く読んだ。

旧ユーゴスラビア連邦からボスニア・ヘルツェゴヴィナの分離独立し、旧連邦の盟主たるセルビアとの反目により紛争が始まった。劣勢だったボスニアは、窮状を訴え国際世論を味方につけるため、アメリカのPR企業と契約する。PR企業といっても電通とか博報堂とか、そういうチラシ企業を想像してはいけない。
PR企業はボスニア政府とともに「コップの中の嵐」に無関心であった世論の耳目を引きつけ、セルビアを悪者に仕立て上げる。例えば、「民族浄化」"Ethinic cleansing"という「コピー」を作り出し、盛んに喧伝する。 
そうしたPR活動は、事実かどうかとはまた別のところで行われていた。企業は契約したクライアントの利益のために活動する。虐殺や強制収容もきっとあった。でも、「民族浄化」の検証はあまり行われず、根拠が曖昧なまま世論や報道は加熱し、セルビアが悪者にされていく。
本書はその過程を丹念に追ったレポルタージュ。

筆者はセルビアが別に「無辜の被害者だった」とは云っていない。しかし少なくとも現在(05年だけど)のサラエボとベオグラードほどの落差、つまり戦勝国と敗戦国の格差ほどには、当時、お互いがやっていることの違いはなかった(例えばボスニアだって「ちゃんと」収容所を持っていた)。PR企業の「戦略」により、国際世論がコソボ紛争を注視し、セルビアを悪者と認定し、NATOが介入して今に至る状況が確定した。ボスニアは「PR戦争」に勝利したわけだ。
"Ethinic cleansing"という言葉はとてもクリアでスムース、響きが良い。それでいて、意味内容に底知れぬ恐ろしさが潜んでいる。道義心を掻き立てるには、とっても秀逸なコピーだ。ユダヤ人の感情に配慮して”holocaust"という言葉を使わなかった、というくだりもとても気が効いていて気持ちが悪い。
ビューポイントによって、きっと全く違う風景が見えるのだろう。筆者の質問に答えるPR企業のインタビュイーとのやり取りを読んでいると、人がゴミのように思えないこともない。クールで淡々としている。だってビジネスだからさ、と言わんばかりだ。


冒頭のSavatageにしても、実はアメリカのバンドだ。このレコードのなかにはいわゆる「死の商人」をモチーフにした曲もあるのだけれど、いま考えると、彼らの怒りはマッチポンプようではないか。
アメリカの企業が兵器を売りつけ、それによる犠牲をアメリカ人が嘆き、怒る。しかしそのアメリカ人の怒りは、そもそもアメリカのPR企業が火をつけ、油を注いだものだったりする。
入れ子状のマッチポンプ。こんな例も珍しい。

こういう行為の是非について、正しいか間違っているかを考えることは、ある世界の人にとってはナンセンスなことなんだろうなという気がしてくる。
強い印象を受けたのは、言葉と、それが与える余韻だ。その余韻の破壊力、といってもいい。「キラーワード」は戦争の行方すら決める。呆然とせざるを得ない結論。それこそナンセンスな世界ではないか。
高木は文庫版のあとがきで次のように述べる。
「はっきりしていることは、「PR戦争」の倫理を問い、その答えを見つけ出すまで、現実のさまざまな「戦場」で戦っている人々、そして日本という国、そこに住むわたしたち国民が待っている余裕はもうない、ということである」
こんな風に皮肉を吐いている余裕すらないということなのだろう。でもさぁ、というふうに思わざるをえない。



伊藤計劃の『虐殺器官』(早川書房, 2007)では、サラエボの街は熱核反応により消えてしまっている。ああ、こちらはフィクション、SF小説。ネタバレなので読んでない人は気をつけてね。サラエボは実在します。
結論からいうと、「虐殺器官」とは言葉であり、文法であった。
「キラーワード」はコトの成り行きを決めるだけではなく、人だって殺すだろう。そういえば、この小説もPR企業の人間が重要な役割を果たしている。フィクションだけれど現実に近い、というよりも現実そのものじゃないか、と思う。前掲書を読んだ今となっては。
言葉なり文法なりを扱うのがスムーズでクリーンな世界に生きているクレバーな人間であるというところもなにか引っかかる。事件は会議室で起こっ(以下略)。たとえばそういう人はしばしば敬虔なキリスト教者であったりする。僕にはもう、よくわからない。あまりに整合しない事柄が並んでいる。


高木も言うように、「民族浄化」という言葉はすでにバズワード化していて、その後のコソボやソマリアで使われている。一見すると民族対立しているから「民族浄化」というワードを当てはまめて使っているように見える。

だが、「民族浄化」という言葉がまるで枕歌のように紛争を呼び込むものだとしたら?Cleansingというスムーズでクリーンな言葉の使用は、安易に「アイツらをクレンジングしてやれ」というコピー・キャットを生み出しはしまいか。小さな諍いを、手の付けられないような鬼胎に育てあげはしまいか。「適切な」言葉が人の行動を規定してしまうような。
もしそうであるならば、きっと世界は前書よりも本書に近い。

いまセルビア人がボスニア紛争のことをどう総括してるだろう、と想像する。あるいは僕ら自身が僕らの行為をどう総括するだろう。「虐殺器官」のような結末を欲望するのは、彼らかもしれないし、もしかしたら僕ら自身かもしれない。
スムーズでクリーンでクレバーなやり方が、とてつもなく愚かしい結果を招くことは、たまにあるよな。

2012年3月25日日曜日

中にいること/外にいること



ホーチミンにいた時に、ベトナム人家族の家に遊びにいく機会があった。
入るとレンガ(コンクリート)の家。冬にずいぶん底冷えしそうにも思えるけれど、その心配はない。常夏だから。
大きな窓をつくって開け放ち、風を入れる。ベランダにはプランターをおいて緑を。窓とベランダがなければ、きっと殺風景な住まいだ。窓は開放してしまうので、外のようになる。アリだって入ってくる。開放しているコンクリートの家はひやりとしていて、涼しい。


カマウの家は所得によって違う。お金持ちはやっぱりレンガとコンクリートを使った家。お金持ちの家は玄関入ってすぐ居間で、たいていは高そうな応接セットがおいてある。入り口は2間くらいあって、つまりはだいたい外だ。採光性云々を言うよりも、ここは外、といったほうが早い。間口にドアはなくて、代わりにアコーディオンカーテン見たいなもので仕切る。まあ、長期不在にでもしない限り開いている。玄関入ると、まあお茶でも飲め、となる。

貧しい、というか標準的な家は玄関の横に縁台がある。ふだんは人はそこにいて、日の高いうちは家の中にあまりいない。暑いし暗いから。
家の骨組みはメラルーカなどの木材を使い、壁や屋根はニッパヤシやバナナの葉をつかって葺く。こちらは間口が狭く、普通のドアがある。家の中はたいていは土間で、寝るためのベッドとハンモックが吊るしてある。採光性が悪くとても暗い。レジャーシートやブルーシートを多用しているのが興味深い。永久構造物ですが何か。
縁台にいるおっちゃんに見つかると、まあ茶でも飲め、となる。

どちらにも言えるのは、外もしくは外みたいな場所で多くの時間を過ごしていること。茶を飲むこと。そして蚊に刺されること。
日本の家のありようとは、ずいぶん違うよなぁ、と考える。


地理学者、でいいのだろうか、のイーフートゥアンは、こんなことを言う。

「自分の家というものは夏よりも冬の方がより親密な感じがする。冬は、われわれのかよわさを思い知らせ、自分の家を避難所として規定する季節だからである。それに対して、夏は世界全体を楽園に変える。その結果、夏は人間はどこにいても同じように保護されていることになるのである。」(『空間の経験』イーフートゥアン,筑摩書房,1993,p241)

なかなかうまいことを言う。
ここ常夏の場所であるから、さしずめ永続的に続く楽園だ。世界全体に愛されているから、敢えて家の中に閉じこもる必要はない、ということか。
そんなわけで、ここの人々は外、あるいは外みたいな場所で人生の多くの時間を過ごすんだろうな。


普段はそれでもいいよな、と思う。困ったのが病気になった時。常夏でも悪寒が止まらない、そんなときは誰だって暖かくてきれいな部屋で眠りたい。風邪かなんか引いたおじいさんに会った。パジャマで首にタオル。頭にもタオル。ああ、そよ風でもきっと寒いのだ、と気がつく。

家は風通しがいいし、家によってはハンモックしかない。身体にかける毛布なんてもちろんない。病気になった人が、落ち着いて身体を休めることが出来る場所というのは、そんなにない。
たしかに、身体が元気なときはこの場所は楽園かもしれない。夏は人を保護する。でも、ひとたび病を得たり、年老いた人にとってはずいぶんつらい場所だ。ここの夏はそのような人にそれほどやさしくないし、ここの家は日本ほど人を守らない。そんな違いもある。


寒い世界の、ふとんの暖かさとか、家に帰ってほっとする感触を少しだけ想像する。
あれはたぶんそこに住む人にしかわからない特別な感触。

2012年2月22日水曜日

森林を調査する



さて、ここはウミン。
メラルーカ林の調査をしてみる。カウンターパートの調査に同行。
調査なんて簡単と思うなかれ。ここの森林は四方、堀というか運河に囲まれている。
船がないとアクセスが不可能だ。





林内はこんな感じ。
たぶん雨期は滞水するため、木の根元部分は黒く変色している。水に浸かっている部分は雑草が生えない。そうではない部分はカヤのようなものが生えている。乾期だけれど、黒く土壌は湿っており、かなり匂いがある。
一気に好気性微生物が活躍するとき、たとえば災害とか。そういう匂い。
なんか、わかんねぇ説明だな。




ここはメコン・デルタなので、当然まっ平ら。
職員さんが、次々とプロットを作って調査していくのだけれど、どこ歩いたのか僕にはさっぱりわからない。これ、一人で入ったら迷子確実な。

本当にびしょびしょで、サンダルで侵入した僕としては全く残念な子としかいいようがない体たらくっぷりを発揮。もともと粘土質の土壌なので滑るし沈む。ちなみに彼らは裸足で入る。と、そんなところで現地の人と競ってはいけない。気を付けねば。

ヘビがいなくって本当によかった。蚊はもちろんのこと、ハチもいた。
下の写真はハチの巣。こうやって巨大な、なにやら黒い塊に出くわす。

 
わかりにくいけれど、細かいひとつぶひとつぶは全部ハチ。もぞもぞと、蠢く。
巣、というよりはむしろコロニーだ。ハーレムかもしれん。



調査したのは今年度伐採する8年生メラルーカ林。樹高は7m〜11mといったところ。平均胸高直径は5cm。8年で11mは、日本からしてみれば反則そのもののといっていい。ただ、胸高直径はずいぶん小さい。ヒョロリとしている。

調査野帳が没収されてしまったので、手元にデータはない。が、たぶん成立本数は6,000〜7,000本/ha程度とみた。たぶん。それくらい。10,000本は明らかにない。

これを多いと考えてはいけない。メラルーカの標準植栽本数は20,000本/haだ。70cm間隔でガシガシ植えてしまう。そして、植栽後の保育はない。つまり8年足らずの間に6割以上が枯死した計算になる。足元を見ると、枯死した株が散見される。
まるでマングローブ林の気根のようだ。















日本の主要植栽樹種、スギヒノキであれば2,500〜3,000本/haだから6〜8倍植栽していることになる。広葉樹植栽は除いてね。ま、確かに多いは多い。
昔仕事にしていた保安林では10年生以下の作業種は除伐しかしない。つまり侵入木や不良木の除去だ。こちらは8年で主伐。まったくもう。育ちの悪い北国の林業に関わってきた身としては、すこしばかりうんざりする。

思うのが、この枯死率の高さ。例えば最初から6,000本/haで植栽すれば、植栽経費は4割で済むじゃないか、という話だ。メラルーカの苗木は1本800VNDだからヘクタールあたり11,200,000VNDの節約ができる。4〜5万円くらい?そんなもんか。

この話を職員にすると、できないという。にべもない。その理由は、主要用途である杭材として使えなくなるから、だそう。
言わんとしていることはよくわかって、メラルーカという樹種はもともと箒状に枝が伸びる樹種で、しかも曲がりが起きる。わざと植栽密度を高くして分枝や曲がりを抑制しているのだろう。加えて密植すると種内競争により伸長成長が促進されるし、早期に林間閉鎖が起こり雑草の発生を抑制する。なるほどね。
だから、正確に言えば用材としての歩留まりを上げることを目的としている、ということになる。



それはそうかもしれないけれど、現状では杭材価格が値下がりしている、というところも、この地域の林業の現状でもある。メコン・デルタにおける木材用途は、杭材や薪炭材からパルプ材やパーティクルボードといった繊維板利用に少しずつシフトしている。

このままでもいいけれど、目先を変えてみたら?というところで、僕はこれから試験林をつくろうと思っている。






日本で森林調査するとき、測定の終わった木にテープをつけたり、チョークで印をつけたりするけれど、こちらは手で樹皮をべりり、と剥がす。そんなに簡単に剥けてしまう。
樹皮を剥いたところから、水が溢れ出す。やっぱこいつらは年中成長してるんだなぁと思う瞬間。
一面に泥水がばら撒かれたようなこの場所で、透明な水が溢れるのを見るのはとても印象的だ。







這う這うの体で調査がおわり、飲み会。こんなのばっか。
しかし終わった後のビールがウマイのは万国共通だな。

















2012年2月15日水曜日

再びベトナム













というわけで帰ってきた。
夜の11時くらいにサイゴンについたのだけれど、気温は30度近かった。
カマウはそれよりもいくらか涼しい。
とはいえ汗ばむ気温で過ごす日々が帰ってきた。

すっかりベトナムに慣れた身体には冬の東京は極寒だった。
いくら着ても寒い。そうか、こんなに寒かったのかと思う。
久しぶりに雪を見たのは嬉しかったけれど、こんなに寒いなんてね。




日本の印象はどうだったか、と振り返る。
しばらく考えて、とても静かな場所だった、と思う。
東京だってずいぶん人は多いのに不思議な話だ。












とても静かな時間が流れていた。時間が止まっているようだった。
太陽の角度の低さ。風の冷たさ。
ベトナムとはまた違う、陽光の眩しさ、暖かさ。
木々が葉を落とす不思議さ、そしてできる日なたのうれしさ。
静物画の世界だとおもった。

思わぬ日本再発見の旅になってしまったけれど、
今まで感じたことのない感覚だったので、面白かったな。





そして、職場に帰り、おみやげのおせんべいとお茶とタバコを瞬間的に消費される。
こんなにそっこーで瞬殺されるとは思わなかった。
でもみんな喜んでくれたようなのでなにより。

昼めし、久しぶりに食堂で会社のめしを食べる。
パラパラとしたごはん、何かの煮魚、ウリの入ったスープ。
いつもどおりの食事だ。同僚と掻き込む。
ああ、うまいなと思う。
この場所にも慣れてきているんだな、とまた少し嬉しくなる。
とうがらしをかじりながらごはんを食べるのは、未だに慣れない。

2012年1月29日日曜日

だらだらと本を読みつつ、気候変動のことを少し考える

「二酸化炭素 温暖化説の崩壊」広瀬隆, 集英社新書, 2010
またこういうものを手慰みに買ってしまう。お金ないのに。
おお、と思って買ったら割と2年前の本だった。日本は書籍が多すぎる。
くやしい。でも楽しい。


概要はIPCC報告書にまつわるスキャンダルから始まり、温暖化懐疑論に行き着く流れ。この前そんな日記も書いたから、興をそそる内容ではある。地球史における、間氷期ー氷期のサイクルと温室効果ガスとの関係について、資料をもとにして割と丁寧に書いてあると思う。むしろ世界は寒冷化する、ということを言う人もずいぶんいるからね。

加えて本書では都市部で問題になっているヒートアイランド現象に着目し、温暖化現象よりも都市による廃熱の問題の方が問題が大きいことを述べている。
これと関連して、原発による廃熱の問題にも触れて、原子力発電という方法論とそのスキームに対して疑問を投げかけている。3.11以降の今では普通に受け入れられる議論だが、それ以前に切り込んでいることは筆者の先見であろう。

筆者は「温暖化」という言葉を盛んに使っていて、これは日本では普通のことであるが、海外で通りがよいのは"groval warming"ではなく"climate exchange"じゃねえの、と思うんだが。
理由は二酸化炭素が引き起こすとされているのは一義的には温室効果だが、世界的には寒冷化すると云われている地域もあるため。根拠条約も「気候変動枠組条約」だ。気温上昇スキームの疑義のみが取り上げられているのは、温暖化が亢進する地域に僕らが住んでいるからだ。その辺は留意しておいたほうがいいのかも。

本書ではIPCC報告書にねつ造データが含まれており、実際には温暖化などしていないと述べられている。筆者の主張は、言っている内容については理解できる。いまのところ、僕は正誤を判定する材料を持ち合わせていない。なのでウソかホントかという話はしない。
だからいわゆる温室効果ガスがどれほど、気候変動に(別に温暖化でもいいけれど)寄与しているのかを正しく知りたい。温室効果の最大要因は二酸化炭素ではなく、水蒸気であることは同意してもいい。ではその他の温室効果ガスの寄与率はどれくらいか、が大事だ。完全に捨象できる程度のものなのかどうか。
温暖化懐疑論はずっと言われ続けていて、根強く目にする気がするんだけれど、あんまりまっとうな反論を見たことがない。痛いとこ突かれてるからなのか、論評に価しないからか。環境NGOがこのあたりを調査してくれると、とても面白いと思います。だれかみてたらお願いします。


IPCC(気候変動における政府間パネル)報告書がウソをついている、はいいとして、現在のところは、条約締約国は気候変動をリスクとして認め、IPCCの報告書を承認しているわけだ。
この条約の大事なところは「予防原則」に基づいて行動するということだ。予防原則とは不確実性を「込み」にして考えること、その姿勢。従って、当初想定していたリスクよりも調査の過程で少なくなったといえば、それはそれでいいことだ。思っていたより小さなリスクであった、とすれば幸甚以外の何だろう。誰もチキン野郎などと言わないので安心していい。
逆に言えば、リスク評価が揺れている状況であれば、僕は予防原則の観点から気候変動条約を支持する。どちらにしても、正しいデータがあること、あるいはデータの精度があがっていくことを期待している。
なので、ふーむ、と唸っておくのが今のところの僕としての結論となる。
チキン野郎として、我ながら正しい態度だと思う。

条約は条約であって、国が国是として調印しているわけだ。その看板を国民自身が降ろすことだってもちろんできる。だから、IPCCの内容を承認しなくてもいいし、条約を脱退したっていい。内容に不明があれば、看板を降ろすように働きかければいい。まずまず、そんなところだろうと思う。今回ばかりは過大設計だって会計検査院もきっと許してくれるだろう。条約は国内法より上位だもの。


この手の文章でいつも気になるのが、書き方に関すること。僕はこの人の文章が好きではない。読み通すのに苦労した。

陰謀説みたいな議論はセンセーショナルだけれど、議論の土俵そのものを破壊してしまう気がする。「IPCCの学者はまともではない」というのであれば、指をくわえていた学者だってまともじゃないだろう。そんなことを書いてしまうジャーナリストはどうなんだ。
大切なはずの議論が「金に目がくらんだ不機嫌な人間同士の罵り合い」に堕落していくような感触がある。最初に議論したかったことが、手垢にまみれていく風景は、個人的には嫌いだ。


浅田次郎は壬生義士伝で斉藤一に「人間など所詮は糞袋」と言わせている。ほほう、と思った。なるほど違いないだろう。ではそのクソブクロが何を言うのか、というところが大切なわけで、浅田次郎的斉藤一的クソブクロが語った言葉はこの小説にはっとする鮮やかさを与えている。

エビデンスを元に話合うのが科学的態度だと思うけれど、僕は相手を説得する姿勢も大切だと信じます。世の中バカばっか、で終わっている、不機嫌なジャーナリストや学者は好きではないのです。
結局そういう人は何も変えたくないんでしょ。今のルールで人をバカにして嘲り笑っていることで利益を得ているんでしょ。ってね。

2012年1月2日月曜日

そしてほとんど本は読まなかった

じっくり読むべき本を後回しにしているせいだ。
ところで僕はなぜ「パンセ」なんかベトナムに持ってきたのか。

印象に残った本。強いて挙げるなら、「思想地図β」東浩紀 編, contectures, 2011 。発刊時にはすでにベトナムにいたので、都合4ヶ月くらい後に僕の手元に届いた。東浩紀の巻頭言にドキドキ。
"震災でぼくたちはばらばらになってしまった。それは、意味を失い、物語を失い、確率的な存在に変えられてしまったということだ"
和合亮一の詩に顔をしかめ、家長をめぐる鼎談に説得されたような、やっぱりよくわかんないような気持ちになり、津田大介のレポルタージュや案出された藤村龍至の復興計画βに読み入った。