2013年3月24日日曜日

Jaimie Cullumさんはビール飲みながら作曲中。

CMの話です。

あーひるまっからビールが飲める生活したい。
それはつまり今だろ、という真っ当な指摘はひとまず措け。
正しすぎてツラい。いや。違うんだ。そうじゃない。




都会的な生活を享受した中で、ビールも享受したい。
つまりそういうことをですね、このさい、わたくしは、もうしあげたい。
ビールに氷を入れ、聴こえる音楽が爆音のクズみたいなディスコビートもしくはベトナム演歌の生活は十分堪能した。それもいいんだけど。

ああ、別にサン・ミゲルじゃなくていいです。アサヒでもキリンでも。
バドワイザーはここ2年飲んでない。タイガーガールだけでなく、そろそろバドガールにもお目にかかりたい。にしてもこのCM、センスを感じる。さりげない。


5月にレコードがリリースとか。
http://momentum.jamiecullum.com/
CMバージョンじゃなくてちゃんとしたものも聴けます。シンプルでポッピー。
シンガロングパートでなんだか笑ってしまった。楽しそうです。

英語版のwikiさんを見に逝ってみると、Jazz-pop singerって書いてある。僕はどっちなのかよくわからない。ポップシンガーだろう、という気もする。ジャズらしいレコードは2010年の"Devil may care"だけれど、これはプロジェクト扱いで、どうもソロキャリアの中には数えられていないらしく。
前作が09年だったからずいぶん間が空いたけれど、このひとツイッターを頻繁にいじるので、そんな感じはあんまりしない。BBCで司会かなんかしてて売れっ子っぷりを発揮。なんというか、ロンドンっ子に愛されている印象。


社畜なんだけどスーツは苦手。どうも着られている感じが。

でもこんな風にジェイミーさんのとっつあんぼーやっぷりを見せつけられると、スーツも悪くないなと。スーツってしわくちゃになっていいんだな。
バイオをみると同い年で同じ身長。こいつのほうがオレよりひと月ほど弟だけどな。いずれにしても英国紳士にしてはめずらしいSサイズっぷりである。
もちろん才能ほか、そういう違いは隔絶す。嫁がモデルとか意味わからん。

ピアノを乱暴に扱う傍若無人なパフォーマンスもいいけれど、というかむしろロックだぜ、そしてそののちヤマハにあやまれ、などと若い時分(今ももちろん若いつもりですけど)は共感してもいた気がする。
でもこんな風にスタンダードナンバーもしっかり歌いこなしてしまう。「ジャズと戯れるクソガキ」というポジショニングが、愛されるひとつの理由なのかもしれない。ジャズって世代を越えた共通コードとして機能してる部分があると思うんだよな。もちろん、テクニックや才能があることは大前提として。
彼のしていることは年配の人も分かる。こんな懐かしい曲をやりよって、まったく小癪な小倅だ、でもその稚気愛すべし、フッフ、てな具合で。

例えばNasとかEminemがどんなに才能があったって普通のおじいちゃんおばあちゃんは聴かない。いるかもしれないけれど、かなりファンキーな部類のご老人で、その数はそれほど多くないだろう。エミネムがおじいちゃんになったら変わってるかもしれない。でもその時代には、きっと新しいジャンル/新しい音楽が生まれている。
「古き場所」に居続けるということは、幅広く共感できる音を紡がなくてはいけない、ということ。そういう意味で、ジャズとかコンテンポラリーミュージックって共通の土台を提供すると思うのね。
南ベトナムが遠い昔になった今でも、サイゴンっ子が「ホテル・カリフォルニア」を愛し続けているのと、どこか似ている。

ほぼ同時期にデビューしたノラ・ジョーンズも同じような道を歩む可能性があったと思うんだけど、結局そうはならなかった。彼女は天文学的セールスを記録したファースト以降、ジャズから距離を置き、カントリーへ、ロックへ、足を伸ばす。
二人の歩みはなんだか好対照だ。




一方、どんなにポップでパンクでキャッチーなこととしてても、ジェイミーはジャズから、ピアノから離れない。ピアノを殴打しつつ、依って立つ場所を保持する彼のスタンスはなかなかクレバーだ。
うん、やっぱヤマハにあやまっとこか。

ジャズのレコードってオリジナル半分、カバー半分っていうのが多いじゃない?オールディーズを歌いながらマイケル・ジャクソンやリアーナを歌う彼にとって、このポジションは親和性が高いというか、けっこう居心地がいいはずなんだ。
変に「持ち歌」に拘るのってもったいない。詠める歌枕は詠んでいこう、踏める地雷は踏んでいこう、コピーキャット上等、そうだそうだ、っていうことでいいと思う。
だって世の中にはすでに素敵な曲はたくさんあるんだから。



かく言う僕もきっかけはRadioheadの"High and Dry"。
オリジナルも好きなんだけれど、どうも後に続く"Fake Plastic Tree"への助走/添え物のような感が。あのレコードはどうみたって"Fake~"がハイライトで、完璧だったから。ああ、"Black Star"もあったか。。
でも、ジェイミーのカバーを聞いてその印象は変わった。

逆に"Fake Plastic Tree"をカバーしてたら、こんなに話題にならなかっただろう。ベタベタで。選び方にもセンスが要るんだな。
どうもこのステージでもマジックが起こったみたい。すごいや。
居合わせたオーディエンスは幸せだろう。


このタイミングでリリースでしょ。ってことは今年もくるんじゃねぇの?あとAtoms for Piecesでしょ。これはフジ10の再来じゃねぇの?と勘ぐっているわけです。