2016年12月25日日曜日

欠乏について考える道具

そこからはずいぶんと遠く離れた。だから、いくぶん客観的になることができると思う。
僕のお題は、「地域住民の収益の向上」であった。
何をしたか。イニシャルコストを減らそうとした。中間収益を得られることを示した。

では、彼らの収益は向上したか。ノーだ。
なぜか。案を示しただけで、プラクティスは変わってないからだ。
なぜ、収益が上がるのが分かっている(個人的にはほぼ100%だった)のに、プラクティスが伴わなかったか。
そんな風にして、「ひとりなぜなぜ分析」は、続く。

2016年12月18日日曜日

正しさとは少し、違う地平の事柄

そんなものも、確かにあるのだろうと思って。

師走、廃炉迫るもんじゅ 近くの集落には寒風に大根 朝日新聞 18.12.2016
「これまで散々国策に協力してきたのに、やめる時には一言も連絡がない。納得できん」。資源小国・日本の「夢」を背負い続けた集落をよそに、新たな「夢」が作り出される。
ううむ。そうですね。

2016年12月11日日曜日

16年はこんな音楽を聴いていたよ

今年もいろいろ聴いてきたんだぜ。
でも例年よりもちょっと少ないかもしれないぜ。


そんなところで、つらつらとライブラリを眺めるとなぜかキング・クリムゾンをたくさん聴いていたり(リマスター版を仕込んでしまった)レッチリのカリフォルニケイションをたくさん聴いていたり(フジで途中で帰宅した後遺症が)。

2015年はこんな曲を聴いていたよ
さて、今年聴いた音楽がどんなものであったのか、振り返ってみるよ。

2016年12月4日日曜日

インフル禍に思う

大好物はね、鶏のから揚げ。

実家の近くに養鶏場があったんです。のどかな時代の東京の、のどかな西の方の話なんですが。ちなみに、近くではぶたも飼われていた記憶があります。
平飼いというんでしょうか。鶏たちはかなり奔放に闊歩していて、時折脱走するんですね。それでうちに卵を産んだりして。目玉焼きにしてもらいました。


2016年11月23日水曜日

僕的アビオニクスの改善

発生時、東京のホテルの6階にいて、おおおおお、と。

ゆっくりと続く揺れは、何かの暗示みたいに思えた。このまま収まるのか。それとも、これからどかん、と来るのか。暗示の意味を理解できないまま、ぼんやりと、おふとんの中で揺さぶられる。なにしろ二日酔いでしたし。

揺れが収まると、震源が気になる。このあたりをちょこっとだけ揺らしてみたのか、それとも、巨大地震のへりに、僕は佇んでいたのか。
感覚としての地震は、わからないことだらけだ。ということで、テレビをつける。
メディアは僕に鳥瞰を与えてくれる。

2016年10月22日土曜日

ひとは"やってしまう"生き物であって、


このことを聞いて、思い出したのは家庭科のテストだ。家庭科ってもうないんですか。
”やってしまった”という後悔を理解しない長谷川豊氏 石蔵文信

どんな設問だったか、詳細には憶えていない。スーパーで売られている身体に有害な食品添加物について。テストの最期にあるような、あなたの考えを書きなさい的なやつだ。
僕は、そんなのは見れば分かることだし、選ぶ選ばないは消費者の自己責任だ、というようなことを書いた。
先生は僕の回答に☓をつけて、コメントをつけた。食品添加物に関する知識がないなら、消費者は選べないでしょ、と。

僕は全然納得がいかなかった。知識というものは、道端にいくらでも転がっているものだ。添加物への知識がないのは、その人がその知識を選んでいないからに過ぎない。その責任はやっぱり消費者に帰すだろう。
こまっしゃくれた、かわいげのない子どもであったからして。

書評:隠喩としての病

僕は実によく風邪を引く。そしてまた、引いている。
周りの人は実に強い。めったに風邪なんか引かない。僕ばかりが引いていて、なまけもののように寝込む。
我が身体に勁さあれ、と呟いてみれど、咳しか出てこない。これは困ったことですよ。
これでは単なるなまけものではないか。いや、なまけものなんだけれど。

このなまけものっぷりはあくまで病気のせいであり、真正のわたくしは、いっさい、なまけものではない。
そのように嘯いてみたところで、風邪を引いてばかりいるわたくしの真正など、だれも知るはずがないのです。また、貴様の云う真正とは何か、そう聞き返されたら、答えに窮するのはわたくしの方であります。真正のわたくしとは結局、願望としての、理想としてのわたくしでしかないのか。
そう考えると、少し悲しくなったのち、単なるなまけものとして居直るのみであります。
I 'm only in love, with picture of myself〜♪

さて、


以前読んだ『病の皇帝「がん」に挑む』の文中では、ソンタグがしばしば引用されていた。
周知のとおり「がん」の印象はとてつもなく悪い。それ加え、「がん」という言葉自体が、ある種の破壊力を帯びている。
実際に、がんの闘病や治療の過程が十分に過酷なものであるとして、イメージとして「恐ろしいもの」として、社会的にも禍々しい影響力を持っていること。
著者がソンタグを引用した理由はここにある。病にはイメージがつきまとう。