2011年6月13日月曜日

会員なので



FoEは原子力のこともやっていくらしい。

何回も話題にのせておいて、またいってしまうのだけれど、「落としどころ」をどこに設定するか、ということがいつも気になる。対立図式そのものがあまり好きではないのだろう。同時にあまり生産的な行為ではないのではないかとも考える。

僕は意外に常識人なのだ。僕の限界はたぶんその辺にある。

多くの対立図式はそもそもそんなに対立していない、というか相手を撃滅することを意図していない、はずだ。相手を撃滅してしまうことが目的に転化してしまうことを、僕は恐れる。僕が常に冷静であるということではなくて、図式そのものが導いてしまうに思われるんだ。対立図式のわな、というか。

子どもを放射能から守るのであれば、避難させるしかない。汚染土を埋めたり浄化したりというのは「子どもを放射能から守る」ソリューションではない。似てるけど。明日中にすべての学校でできるならソリューションとして認めたあげるけど。

ただ、実際問題、なにがネックになるのかといえば、それはコストだ。子どもだけを疎開するのでは済まない。親も含めた家族の集団移転のコストはいったいいくらになるのか、想像がつかない。問題になるのは、あるいは反対側に立ってしまうのはそこなんじゃないか。

文字にしてしまうと身もふたもない、ことだなと思える。
でもその程度のことでしかないのだな、とも思える。

そう考えてしまうと、考え方の順序だけしっかりしておけばあとは勝手に落ちていく話ではないか。順序とはコストと命はどちらが大切か、という問いにすぎない。つまりコストをかけて避難させたほうがいいでしょ、という合意があればいいんだ。

アプローチとしては、署名活動でもいいのだけれど、公的関与で避難を実施させること、その代わりその財源については国債なり増税なりで国民が負担する。そのような主張をすればいいのだと思う。せっかく20ミリシーベルト問題の根拠をひっぺかしたんだから話は早い。
「子どもを守る」ためであれば、どんな高額なコストになろうとも、それはきっと高くない。いまさら「原発をつくる」よりははるかに合意の得られる意見だろう。