2013年5月9日木曜日

インドシナ半島をめぐる地政学的妄想。

サパいってきた。たぶん最後の旅行。

サパは中越国境のラオカイ省にある。地球の歩き方に駅から3キロで国境、とあったので記念に行ってきた。ゲートの向こうに橋があって、その向こうは中国。ほほう、と見ただけ。
僕は南の端に住んでいるので、北部の地理はよく知らない。行ってきてなんだけど、どのへんよ、というところでgoogle mapさんを召喚。こういうのは行く前にしたほうがいいよね。
知ってる。そんなこと。



Aがラオカイ市で矢印がサパ県。

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この距離感で5カ国見えるのってすごい。入り組んでます。
目を引くのはハノイを中心としたベトナムの道路網の発達ですね。これはこの近辺では確かに都ですわ。
そういえば三国志。諸葛孔明さんが南蛮王・孟獲さんを7度捕えては放ち、ついには心服させるという七縱七禽」というしちめんどくさいお話がある。僕らの世代は吉川英治の三国志です。孟獲さんは雲南のさらに南の豪族だったという話だからこの辺の人なんだろうか。あるいはラオスかミャンマーの人だったんだろうか。

調べてみるとハノイ周辺は呉の勢力下だったようですね。西暦200年くらいですか。士燮さんという方がハノイにいらっしゃったそうです。全然記憶にないけれど。
地図を見るとあれです、猛烈に三国志(ゲーム)がやりてぇ。「孫権様、蛮族めが侵攻してきました」なんて、考えてみるとずいぶん失礼な話ですね。すげぇバイアス。自分がアズマエビスなのはさしあたり棚に上げ「なにおう、こしゃくな!」と熱くなるわけです。
これも刷り込まれた華夷秩序というやつでしょうか。いいんだよ、面白ければ。


google mapでディフォルトで地形図を出す方法がわからなかったのでここからは画像。
ハノイ付近の道路網の発達は地形図を参照すると理由が分かる。おいおい、ラオスは全て山の中だな、ここは木曽路か、という感想はさておき、ハノイって典型的な扇状地形ですね。それは都もできるわ。

中越国境は概ね山を挟んでいてハノイ平野に向かって開ける地形になっていることが分かる。比較的山の低い部分は海に近い南寧市からのルートかなぁ。ふーん。越羅国境はなんでしょう。とりあえず山の深いところはラオスにしようぜ、っていう感じでしょうか。

中華からみると南は南蛮なんだけれど、ベトナムの歴史はほぼ一貫して中国の圧迫との抗争の歴史でもある。どちらがどちらを恐れていたのか、っていえばどっちもだ、という回答にしかならないんだろうな。で、たぶん地勢から考えるとこの対立形式は今後も変わらないんじゃないでしょうか。一貫してハノイは中国に対して開いているから。

地図好きとしては起伏があって面白い。住み心地としてハノイは好きじゃないですけど。



面白がって南の方を見てみる。
これは、つまらない。なんてのっぺり弥生人顔、大味なことでしょう。カマウ在住なので、当然一番下まで映るようにキャプチャしてます。ひっそり掲げる愛郷心。
地形に沿えば、ベトナムとカンボジアの国境のひかれ方も不自然。そりゃ越柬国境は自由すぎる出入りっぷりになるのも仕方ない。だぶん国境でゴムとびできるレベル。

さしあたり地理的に一体的な地域を形成しているのは、この地図の範囲で左上のトンレサップ湖、シェムリアップ。そのさらに北西にはバンコク、さらにいくとヤンゴン。当然文化は近接するし、ある意味同じ国のハノイよりも親和性が高かったりもするだろう、と。実際、プノンペンやシェムリアップあたりの雰囲気はベトナム南部と変わらない。めしも似てるな。

以上、印象の話。
以下、引き続き印象の話。

ハノイとホーチミンの地形図の違いは、起伏の有無。山が続き、ハノイ平野に河が流れ込み、街が形成されている。ホーチミン近辺は、のっぺりと特徴がない平野が続いている。南部平野はぶっちゃけどこに街を作ったって一緒だ。のっぺりとしているのではなくて、でかすぎてこの縮尺ではよくわからん、ということでしょう。
ハノイ的な場所は都っぽい。人は転がり落ちるように平らな場所を目指す。なんというか、古典的な約束された場所のイメージ。
一方、拡張性のポテンシャルは圧倒的に南部だ。だって世界有数のメガ・デルタ地帯ですから。ハノイは約束されてるけれど、制約もある。


さて、この2年間はこんな地図で暮らしてました。感じていたのは近隣国が本当に近いこと。ホーチミンーシェムリアップが1時間、バンコク、シンガポール、パクセー(ラオス)が一時間半とか。すぐそこ感。むしろホーチミンーハノイが2時間とかね。

うーん。中国でけえ。そしてインドシナ半島各国は総じて縦長ですね。どことなく「バールのようなもの」を想起させる形状をしています。

フランス帝政時代の、ラオス・カンボジア・ベトナムが一体化していた形のほうが座りがいい。怒られるな。こんなこというと。言語的に考えるとタイとラオスはずいぶん近いという。ぼんやりと地図を見てるとタイ・ラオス・カンボジアが経済圏を作ってしまえばいいんじゃないか、とね。
それかさっきのバンコクープノンペンーホーチミン経済圏。本格化したらメガ経済圏になりそう。アジア・ハイウェイ構想ではヤンゴンーバンコクープノンペンーホーチミン、北上してハノイと通る計画になっている。そしてハノイは凋落ry。
や、ベトナムのベトナムらしさが最後まで残るのはきっとハノイだと思うんですよ。ただ連携できる周囲に恵まれていない感はある。ヤンゴンーホーチミンのラインってインドシナに不足している「希望の横軸」になる可能性がありそうです。…え、ラオス?

もともと国境は日本ほど強く引かれていないように思うし、そうであれば地域圏や地勢って、国家よりも大きな結びつきと流れを作り出しそうな気がいたします。
国家よりも各都市がどのように発展していくか。これからが面白いんじゃないでしょうかね、このあたりは。