2013年5月31日金曜日

あとから作り出される物語

ほら。思い出っていつもキラキラしてるでしょ。


目下、猛然と多種多様な報告書を作成中。

赴任6ヶ月、1年で書いた報告書を読み返す。ああ、こんなこともあったっけな。と、割と新鮮な気持ちではなくそほじりながらぺらぺらとめくる。要は忘れている。
思わぬところから思わぬ芽が出て、思わぬ方向に転がった。やや呆然とする。僕はどうも行き当たりばったりなことをしている。結果オーライを地で行く感じで、苦労を肥やしにできない感じ。

いつだってそうなんだ。大学でも徹夜したことがない。しなかったからこんな残念な人間になったのか。あ、修論のときはしたな。した。飲み会でももちろんしてる。そんなんだから(以下略)。
ゼミで作った資料を順番に眺めると、筋が浮かび上がる。僕の能力ではなくて、こびとたちが夜中に一生懸命直してくれているんだと思う。
彼らの活躍の場を広げるため、僕は早く寝なくてはいけない。送りバンド・自己犠牲的就寝である。

それをさも、最初からこうだったんだぜ、という風にまとめる。こびとたちに感謝。
この二年間の自己採点は500点くらい。満点が1600点くらいだったんですけど。

ばら撒かれた無関係に見える事柄を(半ば強引に)まとめ上げる作業は楽しい。筋読みみたいだ。でもそれは所詮、エディターの所業であって結局僕はクリエイターではないらしい。そんな限界というか、自己規定がある。
だから大きなデザインを描いて、こつこつと作り上げる人には一生勝てない。僕のやることは冷蔵庫の余り物でチャーハン作るようなものだ。劇的にうまいわけではないけれど、まあまあ食える。

そもそもこうして書かれた言葉は、僕の活動の質のよしあしとは違う。当たり前だ。いい報告書書いたっておなかはふくれない。木だって大きくならない。
反芻するというよりも、再構成してるような感覚がある。報告書って。


煩悶や迷いは各人のうちにあって、たいていの場合外側には出てこない。本人も忘れるし。
こうして、世の中につるりとしたキレイな話がまたひとつ生まれる。