2008年5月25日日曜日

地震の話

誕生日の日を柏崎出迎えたんだった。

7.20.2007

僕が配属されたのは北部、旧西山町の海沿いの小さな集落。

最初はおまえなんかいらん、と足蹴にされるのかと
ビクビクしてたけど、あらまぁごくろうさま、という感じ
で迎えてもらう。
主要任務は水と食料の配給。そしてベビーシッター。
市内の大きな避難所だったらすごく忙しかっただろうけど
僕のとこは夜でも20人ほどだったのでけっこう余裕が
あった。合間に紙おむつなんか買いに行った。
大人たちは炊き出しや片付けでみんな忙しい。
こんなことでもお手伝いになるかしらと思って。

配給の遅れや交通渋滞(これは完全に行政の落ち度だと思う)
なんかはあったけれどそれほど深刻なことじゃない。
遅配はあってもちゃんと届くし、自衛隊が水を
持ってきてくれる。意外に自衛隊の人
(東北なまりの素朴にお兄ちゃん)はいい人だった。
柏崎市の職員はほとんど寝てないのじゃないかと思う。
ギリギリな感じ。むしろそこに言葉を失うかんじ。

まずは水道が必要。流水がないと不自由だし
特に手洗いやお風呂とか、暑くなるこの時期には大事。
帰りの高速のサービスエリアでトイレに入ったとき
手を洗ったのが本当にうれしかったなぁ。

すごく地元の人の反感を買ってたのが、災害当日に
現地入りした議員先生たち。わらわら来てどれだけの
時間を無駄にしたと思っているんだ、とのこと。
ヘリでぴゅぴゅっと来た安倍先生や作業服にヒールの
マキコちゃんなどが餌食にされてました。

3333333
僕は帰れば無傷の家があって、滞在時間にも限りがある。
一方で家がなくなってしまった人がいて避難所で
することがなくてしかたなくぼーっとしている人もいる。
この先に希望がもてなくなる瞬間を迎えている
人が間近にいるというのは実に不思議でやるせない
気持ちになります。なんだかアンフェアだ。
俺も被災すればよかったとすら思うものね。

甘い考えなのは分かっていますよ。
911でも最終兵器彼女でもいいけど
カタストロフに居合わせたい心情の人間は
たいてい庭付き一戸建ての苦労知らずなんだということは。
現地でお手伝いとかボランティアをしたからといっても、
僕らの発する「かわいそぉ~」は単なる同情なんだ、
こんなのきっとウザいんだろうな、と思ったの。
これが収穫。