2008年5月25日日曜日

林業からみた京都議定書について

第一約束期間スタートしましたね。
ちょっと評価も含めたアップデートしてみたい。

9.22.2006

読売新聞の森林環境税についての記事で。
「京都議定書の基準を満たすだけの森林管理をするにはおよそ4700億円が必要」とのこと。
ちょっとひらめいた。

これが意味するのは森林吸収源における「森林整備」項目のからくりだ。第3回締約国会議(COP3)では植林などによる新規の吸収源の作成とともに間伐な どの森林管理にも吸収量を増大させる効果があるとして、カウント可能(3条4項)となった。もちろんその裏では、新規に大量の造林する面積などない日本の ゴリ押しがあった。(当時、気候変動枠組条約の発効前でCO2排出量の多い日本はキャスティングボードを握っており、かなり無理が効いた)。このゴリゴリ により、日本は森林管理によって約1300万炭素トン、約束量の3.9%を賄ってよろしい、ということになった。

 そこで冒頭の記事にくっつく。予算的に森林整備にかけられている額は自治体分と合わせておよそ2500億円といわれている。全然足りない。林野庁によると現状の管理水準で推移すると2.6%程度の吸収量しか確保できていないということになる。

 話は変わるが日本の森林吸収量は1300万炭素トンではない。詳細は実はモニタリングという形で現在調査中だ。なんともいい加減なハナシだが実力的にはその倍くらいはあるといわれている。細かい数字わすれちゃったからこちらもいい加減だけど。
 排出量の半分は大事に取っておいたわけではなくて、「木材利用による排出」に分類され、カウント外となっている。あくまで3.9%は「政治的」 に決定されたものということ。「政治的」の意味は締約国間の交渉という意味もあるだろうが、そうじゃない部分もあるのじゃないかと思えてきた。
つまりは対内的意味。

 つまりは3.9%吸収させるためには、4700億必要なのに十分な資源が森林に投下されていないよ、っていうアピールなのではないか。ぜんぜん足りねー よ、っていう。森林整備に予算要求しやすくするための下地としての機能を果たしている。森林が2.6%しか吸収できないとすればその差額は産業・民生部門 で削減を行わなくてはいけない。これは相当重いオドシじゃないのか?
 もともと、3.9っていう数字には環境省とともに経産省も深くかかわっていた。吸収ポテンシャルの半分とするとたいしたことないように思える が、輪伐期を行う林業がちゃんと回転していると吸収量は0になる(現状の議定書定義では伐採は「排出」になる)はずなので、本当はありえない数字。(たま たま)林業が停滞していたからこそ吸収源になったというタイムリーヒットな事態だといっていい。
 林野庁、ギリギリだけど実に洗練された脅迫戦略ですね。っていう結論。

 ほんとのこというと、森林を吸収源にするのは間違っていると。経済が停滞していたとしても削減は自力でやるべきだと思います。なんでかというのはまた別のハナシで。

 しかし、それはそれとして、森林整備に財源を振り向けようという林野庁の政治的恫喝(だと思う)はなかなか迫力がある。おそらく今後数年森林整備の予算は増えるんだろうな、と思う。
 しかし地球温暖化問題が政策官庁としての林野庁の過去の失策を覆い隠しているのは間違いない。そもそも問われるべきは、何で森林整備が必要か? ではなくて、何で整備しなくちゃいけない森林がこんなにあるの?ってことでしょう。温暖化っていうキーワードがなかったら、「国民の税金を毎年2,500 億円もドブに捨ててんだ」っていうことになったはずだから。拡大造林なんてなかったことにするためにも林野庁は不退転の決意でしょうよ。


京都議定書は、参加者全員が虚構と知って乗っているゲーム。
そこでルールの設定がおかしいというのは始まっているゲーム中では受け付けられません。
文句を言っているうちにゲームが終わってしまう。

とりあえずはよいゲームであると考えるならば
そのゲームをまわしていくことがいいと思います。
まわしながらよい方法を考える。
「多くのプレーヤーが乗れるゲームをはじめた」
これが京都議定書の最大の功績でしょう。

志は高く、ハードルは低く。悪くないスタートじゃない?
まあ、日本はいきなり黒星スタート確定だけれど。
約束期間、あっという間に再来年ですよ。