2008年5月25日日曜日

year zero

7.8.2007

nine inch nailsのライブいったほうがよかったなぁ。
と雑誌を見て思いました。でも金ないです。
果たしてどれくらいの人が、映画「スリーハンドレット」の
CMで流れている音楽はninだって知ってるんだろう?

year zeroをだいぶ繰り返し聞いて思うところがあったので
歌詞のことは抜きにして感想文らしきものを、と。

トレントレズナーのインタヴューを読むのは好き。
音楽と一緒で拡散していく傾向があってなんだかわからない。
コラージュ/タペストリーを手繰ると何いいたいのかが
なんとなく分かる。というか。。

キャッチーって意味わかんないよね。
「耳を引く」っていうことなんだろけど僕にしてみれば
「耳を引くようなメロディ」っていうことと認識しています。
ビートルズはキャッチーだけどつぇっぺりんはキャッチーじゃない。
ジョニミッチェルはキャッチーだけどジャニスジョプリンはキャッチーじゃない。
ブラッククロウズはキャッチーだけどクーラシェイカーはきゃっちーじゃない。
・・・・以上98%偏見での二分法でした。

この二分法に当てはめるとトレントはキャッチーなメロディを作るのが不得手な人だということになる。
以前、ビートルズみたいな曲を作ろうと腐心したエピソードを読んだことがあるけれど、僕からしても、んー無理じゃね?という感想。
少なくともラジオフレンドリーな曲はまず作らないと思う。
それはそれでいい。トレントはポールマッカートニーじゃない
っていうことだけなんだ。単に。
「hurt」ですら、メロディ自体は凡庸の域を出ないと個人的には思う。
それでもhurtが名曲なのは、ノイズの奥に聞こえるトレントの
魂を押し潰さんばかりの歌唱があるから。
(ジョニーキャッシュのhurtもすごかったけど)
決して傑出した歌い手ではないトレントが振り絞ったことに
僕は感動したんだと思う。でもそれはninにしてみれば
反則技じゃないかとも思うのね。

むしろトレントはLa merみたいな曲でそのセンスが顔を出す。
不協和音を含んだ、壊れそうなメロディを作る。
どちらかというと現代音楽みたいな感じ。
久石譲というよりは圧倒的に武満徹という感じ。要はヘンテコ。ちょっと違う気もするけど。
なんとなく分かってもらえるでしょうか?
stillっていう習作集みたいなレコードがある。
ピアノ主体でオリジナルレコードのと落差を
体験できる恐ろしく静謐な仕上がりの一枚。
この中にLa merの習作らしきものも入っている。
原曲はたとえばエリックサティなんかを強く想起させる。
こういうメロディを作り出すくせに、トレントは
そのメロディを歌わない。リフとして、ソロとして、
あるいは通奏低音のようにしてその美しいメロディを使う。
単に引っ込み思案なのか、声も楽器くらいにしか思っていないのか。

前作はロック色は強く出てたけど、この「インテリ」トレント
の側面が希薄だった。それじゃだめなんだ。
単なる「凡庸な」ロック・レコードになっちゃう。
今作はインテリっぷりがさらりと復活。
ヘンテコで、硬い感触の、きれいなメロディが随所に顔を出す。
そして、この手のメロディがなぜか打ち込みと相性がいい。
(ダンス/エレクトロニカがスティーブライヒとかミニマルミュージックの系譜に属するのなら当然のことなのかもしれないけど、その辺は勉強不足でよくわからないや)
マシンビートの復活がyear zeroをメリハリあるものにした。
サウンドスケープも含めてninの楽曲なのだと。
だからこそっ、ninは別にライブで聴かなくてもいいっ
と自分をなぐさめるわけ(涙)。

05ソマソニ@真夏の千葉マリンで鳥肌たったことを思い出しつつ。