2008年8月4日月曜日

公共ってナニ?

山古志からの雑感から妄想へ。

公共事業にはいろいろな種類がある。
誰が事業を行うのか、ということについて。
市町村や県、国とか。小さいところでは改良区なんてものある。
個人で行わない事業はすべて公共の事業なんだよね。
定義的にいって。

ところで行政用語には公共と非公共という区別がある。
どこの省庁の予算関係のページでもいいからのぞいてみるといい。
僕の知っている限りでは、
国庫補助金は公共、地方交付税交付金は非公共、という区別にみえる。
なにがちがうんだか。僕にもわからんが。
さらに、地方公共団体は公共と非公共という区別をしている場合もある。
その場合、公共事業は国の金が入っているもの。
どれだけ市民税が入っていようとも国の金が入っていないものは
非公共事業と呼ばれる。実に変な話だ。

コントロールできるものは「公共」ではない、ということなんだろうか。
だから市単独事業は「公共事業」ではないということになる。
確かに国の金が入るということは、ありがたいけれどやっかいなことだ。
市よりも事業採択の基準は厳しいし、会計検査もついてくる。

直感的にいえば、複数人が寄り添う場合はすでに公共なんだけれど、
一部では「公共」という言葉を位相におけるコントロールレベルで
振り分けているように見える。

2008年8月3日日曜日

山古志にいってきた

山古志にいくのはたぶん小学校の修学旅行以来。長岡市立深沢小学校以来。
てことは、20年ぶり?えっと、錦鯉、みました。たしか。

ここは尾根に人がすんでいる。すこし驚く。
古来、日本人は沢沿いの田んぼやりよいとこに住んでいる、
と司馬遼太郎先生がおっしゃっていたような気がした。
よく考えてみれば目元の小ジワのような沢に住んでいても仕方がないよな。

いたるところに、復旧工事の跡が見えて往事の被害の大きさを感じるけれど
ほぼ現地は一段落というところ。
新しい家も建ちはじめ、着実に平時を取り戻しつつあるのだと思う。

今回は林野庁の直轄事業を見学。道ばたなのでどれも普通にみれますが。
http://www.kanto.kokuyurin.go.jp/chuetsu/recovery/prevention1.html
規模がでかい。事業費もでかい。簡単に10億とかする。
山腹崩壊だらけなので、のり枠と集水井のオンパレードだったけれど
円筒上のセルダムはおもしろかったな。上のリンクにのってます。
矢板で円筒をつくり、土砂を入れ込んでしまう。
施工地が不安定土砂の上であり、かつ現場発生土がオニのようにあった
ことを考えると合理的な工法なのか。なるほど。
でもなんだかきもちわるいよ、あれ。

対策未着手の場所地では、昔に作ったダムの袖が20mくらいふっとんでたり、
満砂というより沈没といった方が適切なダムがあったりと、
名誉の戦死を遂げた残骸がたくさん。
僕と同い年のダムは、埋まりながら亀裂を走らせながら建っていた。
堆積した土砂で、発生したであろう土石流の大きさが感じられるし
壊れたり埋まったりしながら、(必死に)土砂を捕捉した谷止め君たちに敬礼。

誰も住まない場所は、どれだけ崩壊していても危険ではない。
そこに人が生活しているからこそ、危険性が初めて立ち現れる。
だからこそ、こんなダムやらのり枠やらといった工事をするわけで
それらの工事はあるいみ、
今後もそこで生活していくことが前提となっているわけだ。
黙契というか。

山古志は読めない地名が多い。種苧原(たねすはら)冷子沢(ひゃっこざわ)
南平(なんぺい)。冷たいことを長岡の人はひゃっこい、しゃっこい、というのを
思い出したりして。
閑話休題。いわゆる古語とはちょっと違う気がするけれど。
ここではないけれどよく地域に存ずる地名として「たぎり」という名前がある。
田切だったり小田切だったりするけれど、これは「たぎり」は「滾る」を指す。
お湯の沸騰だったり急激な水の流れ。つまり急流域に存する場合が多い。
同様に沢というのは水の流れが緩やかの場所を指す。水田域はしばしば
沢の字がついている。
インドネシア語で水田は「sawah」であることから連関が指摘される。

話を戻す。
急激な流れから、緩流を経て、海にたどり着くのは自然の流れであろう。
一定になろうとする流れを止めようとする試みは、エントロピーの法則上からも
虚しい業であることは明らかなこと。
僕らは、ばらばらになる運命にあるものを一時的に固定化させ、
一定になるべきものにエネルギーを使って差異をもうけようとする。
片付けるのは散らかすよりもずっと疲れる。

それは、僕らは大汗をかきながら差異化したものと、
最終的に均質化していくモノの間で生きているからに他ならない。
そのような、あわいを縫いながら、僕らは生活している。
道路や、ダムなどのまっさらなインフラだらけのこの場所にいると
そのような新しく差異化されたものが記号のように見える。

私たちはこれからもここで生きていくのだ、という決意のように見える。
ほんとうに?と僕は思うけれど。

2008年7月26日土曜日

郷に入らば、

最初に長岡に住んで、東京に帰って、
今度は松本に住んで、伊那にすんで、また帰って
今度は糸魚川にいって、そして佐渡にいる。んだな。

ぼくはずいぶんたくさん引っ越しをしている。
どれくらいだろう、細かいのを合わせると7、8回。
子どものことの引っ越しは子どもなりに大変だった気がするけれど
大人になってからの引っ越しもずいぶん大変だ。
いろいろな手続きを自分でしなくちゃいけないし、仕事はあるし。
あと、年度初めに引っ越しはあるから、前の部屋も新しい部屋も寒い。
これが一番印象あるな。引っ越しは寒い、と。

大人になってから思うことは、関係性の再構築、ということ。
住む場所の、仕事も、食べ物も、いちから作り直す感じ。
ぼくは引っ越すときはほどんど地方なので、いろいろ風土の違いを
感じているような気がする。
「上京」する感じとはきっと違うのじゃないかな。

佐渡の印象は花がすきなひとが多いのだろう、ということ。
もう夏になっちゃったけれど、春先は実に花がたくさん咲いていた。
この島にはお地蔵さんがたくさんある。
島沿いの道を走っていると岬ごとにお地蔵さんがあるようだ。
たくさんあるお地蔵さんには必ず花が供えられている。
ずいぶんまめな人たちだ、と思うけれどその心根は好ましく感じる。
あとはお祭りが好きですね。
5月なんかほとんど毎週のようにどこかの集落でお祭りがあった。
夏といえば夏祭り。実は今日もお祭りです。
鉱山祭り。なんというネーミング。
ぼくの住んでいる相川には佐渡金山があるのですよ。

それほど、ご近所さんと仲良くなっているわけではないんだけど、
お祭りはなんだかうきうきするしね。これからちょっと顔だしてみよう。

2008年7月10日木曜日

治山事業と森林整備

民有林の森林整備は造林補助金によって行われるものが大半だと思っていた。
む、まぁそれは間違いではないけれど、治山事業でも森林整備を行っていることを
改めて認識する機会になった。
うむ、佐渡にきた甲斐があったというもの。

治山事業は基本的に保安林に対して実施される。
山地災害などによって荒廃した森林を人為的に修復する。
といっても災害の中には松くい虫やカシノナガキクイムシなど
病害虫による森林荒廃も含まれる。
そして、事業主体は森林所有者ではなく、県になる。
森林所有者に代わって、県が森林を整備する、というのが保安林整備事業。

整備面積的には大したことない。のだと思う。
せいぜい、エリア単位で造林補助金の10%程度だと思う。
ただ大きいのは100%公共事業で実施していること。
「補助金」ではない。

翻って新潟県の保安林面積は県の森林面積のだいたい半分。
重複して指定がかけられているため、実面積は若干下がるとしても
1/2の確率で保安林ということですね。
しかも、保安林は基本的には解除されない。したがってどんどん増えていく。

斜に構えてみると、保安林整備事業は1/2の確率で適用可能ということなんだろうか。
もっとも、事業採択には「興廃」していることについての説明が必要ではあるけれど。
同じ森林でも方や、補助で、方や公共っていうのがなんか変な気がする。

2008年7月7日月曜日

ガマンすることとガマンする必要のないこと

社会人は、社会化されているから社会人なんだ。
いろいろな部分で自己規制して、社会にアジャストしているんだな。きっと。

最初はすごく我慢している気がする。でもだんだん慣れていく。
居心地が良くなっていく。とりあえずはよいことなはず。
問題は馴化してよいのかどうか、ではなくて、
馴化していく自分に納得できるのかということなんだと思う。

もちろん、自己規制ができない人は会社にはいると苦しい。
直す必要がないから直さない。でも周りはそうは受け取らない。できないヤツになってしまう。
僕はそんなに自分に自信はなかったから、オドオドしながら馴化していった。
社会のカタチに自分を合わせていった。
あそこを削って、ここを付け足して。
いくばくか自分の自尊心が傷ついていくのを感じながら。

大学で哲学を勉強していたとき、就職活動は「社会復帰」に近いニュアンスを含んでいた。
当時僕の周りに広がっていた背景は、いわゆる社会化とはかけ離れていた。
僕自身、社会化されることをバカにしていた部分がある。
でも、こんな孵卵器的な世界は続かないだろうな、とも思っていた。ような気がする。
だから、一応、就職活動して、ここにいる。一種のリハビリなのかもしれない。

話を戻そう。
僕が考えているのは僕の社会化されてしまった身体はなぜか自分の不在を感じる、ということ。
まったくよくある議論ですね。でもそうなんだもん。
いろいろなものにアジャストした先になにがあるんだろう。
この社会からドロップアウトしてもそれは解決策にならない。
でも、努力して社会に馴化していった先に、自らが空疎なものになってしまうのはなんでだろう。

世界はパルプンテではない

茂木健一郎と立岩信也のシンクロニティについて。

以下茂木
(コンピュータのような規則的反応ではなく、かといってサイコロのような不確実ででもない
ものを指して偶有性とよんでいて)
どうなるかわからない、予測不可能性をはらんだかたちでの偶有性をもたない他者は、動かしがたい絶対的な存在になると同時に、「私」という自我が深くかかわるべき相互作用の対象としての資格を失います。

『「脳」整理法』 茂木健一郎 ちくま書房 2005

以下立岩
(私が制御できないものを他者と呼びながら)
私が手を触れようとおもわないことがある。…制御すべきではないという感覚があると思う。
…このことは、他者に対して、自己の制御の及ぶ範囲を限定するということ他者に対して
自らの価値の適用を断念するということである。
「むしろ自己によって制御不可能であるゆえに、私達は世界、他者を享受するのだと思う。

『私的所有論』 立岩真也 勁草書房 1997


科学者と哲学者が微妙な邂逅か。

他者とは茂木のいうところの偶有的存在。
アトランダムではないけれど予測不可能性が つきまとう。
完全にアトランダムな存在は私の関心をひかない。
神とか外部環境とか。ただし「環境」はさいきんでは
環境問題などで「汲めども尽きぬ泉」でも 「単なる背景」でもなくなってきたことから
偶有的存在として持ち上がってきた と指摘する。

また、偶有的存在は当然コントロール不可能な存在だ。
他者が領有可能ならば、すべては私であり、退屈してしまうと立岩。
他者は、制御不可能だからこそ、私は世界(≒自分以外のもの)を享受できるのだと。
科学者は偶有的存在と対峙する時に脳は活性化すると述べ、
哲学者はその偶有性≒他者性こそ、私が享受できるものだと述べる。
茂木は「触る」「触られる」(ダブルタッチ)といった直接的な感覚を述べていて
立岩はもっと受動的な「享受」としてそれを拡張しているような違いはあるにしても。
位相的にはだいたい同じことじゃん?


他者の他者性の剥奪はなにやらアメーバみたいなイメージがする。
周囲のモノがすべて私になってしまうということ。
私は周囲を侵食していく。世界が私になっていく。
リバイアサンみたいでもある。

偶有性は享受するものでもあり、ストレスでもある。
どれだけ「領有」できれば楽なことか、と思うこともある。
「私でない者としてその人が在るということ自体が、苦痛であるとともに、苦痛を
もたらしながら、快楽なのである。」
私しか、いない世界。
「そこでは私は私にしか出会わない。だからその世界は退屈な世界である。」

単純に他者の存在≒ストレスと考えそうになるけれど、立岩はそこを短絡しない。
むしろ、他者が不在であることによる欠落感をみよ、と言っている。ような気がする。

人と話をすること、本を読むこと、音楽を聴くこと、テレビを見ること
ミクシィのレスポンスですら(「足あと」ですら!)、他者を享受していることになる。
私ではないものに触れる、ということ自体が私を豊かにする。
もちろん、苦痛でもあるのだけれど。

秋葉原の事件も考えさせる。
他者の存在を渇望するということは誰にでもある。
他人との関係だから茂木のいう偶有性があてはまるだろうか。
想像をしてみる。「私だけの世界」は、
私にとってどのような世界だろう。想像してみる。
想像できないけれど、想像してみる。

2008年6月26日木曜日

ブルーリボンの持続可能性

拉致被害者の方、およびご家族の皆様には衷心よりお見舞い申し上げます。
しかし、それと対処の仕方は全く別のものだと思われるのです。

ひとつには制裁を加えることによってどれだけの効果があったのか。
これが明らかにされていない。4年もそれを行っていたのだ。
なんらかの成果は示されるべきであろう。
制裁が「足りない」と言い募る側は、「足りない」にしても
国策をハンドリングした責任としてなんらかの説明がなくては納得できない。

もうひとつには、被害者は加害者になる。
過去の(といってしまうと語弊はあろうが)犯罪は問われるべきであろう。
しかし、その問責によって新たな被害者を生じさせることは道義的におかしい。
かの国での窮状はこの国にも届く。
物乞いをしてい」るこどもがいる。餓死してしまった人がいるという。
体制が悪いとか、そういうことはあるにしても、
その生き難さの一端の手綱を握ったのはこの国であった。

拉致が問題であるとすれば、目的はかの国の体制の打倒ではないはず。
連れ去られた人々を返してもらうことであるとするならば
懲罰的な制裁を科す根拠はない。
強圧的であればうなずく人々であれば、連れ去られた人はもう帰っているはず。
それができていないということは方針自体に問題があったことを考えるべきだ。

繰り返すが、起きてしまった事件に関しては心より残念なことであったと考えている。
しかし、あえて言わせてもらえれば、テロ支援国解除は慶賀なことだ。
個人的には拉致問題も進展するのではないかとすら思われる。
そもそもコミュニケーションのないところに話は進展しない。
経済的な交流、と書くとなんかへんな感じがするけれど
交流はかの国の状況を可視化させる。
かつて社会主義国であった中国はいまどのようになっているか。
なにごとによらず、見えないよりも見える方がベターだと僕は考える。

最後に表題について
http://www.rnet.gr.jp/
活動を続けていくには資力が必要だ。共感した方は寄付をしたらよいと思う。
問題が解決していないのだから、彼らは活動を継続してくのだろう。
ただし、活動のあり方によっては自家撞着を起こすような気がするんだ。
被害者であることと被害者であることに固着してしまうことは別のことだと思うから。

2008年6月25日水曜日

歩く

林業関係者なので現場業務が多い。
今日もよく歩いた。

もう6月も終わりなので佐渡に移って3か月経つことになるのか。
まだまだよくわからない場所が盛りだくさんなので、歩くことは大切なこと。
今回は新規に施業管理を行う場所の選定。
新規開拓というニュアンスもあるのであんまり人が入らない場所へ。

わからない場所を歩くときには地図が便利だ。
普段持ち歩くのは5000分の1の森林基本図というもの。
ここには等高線が引いてあるため、地形を見つつ歩いて行く。
登山道であれば、迷うことは少ない。
でもそもそも道じゃないところを歩いているのだから今はどこにいるのか
というのは大切な情報だ。
佐渡にはクマもイノシシもいないので危険は少ないと思うのだけれど。
でもヒルがいる。これから雨がたくさん降ると思うとやだなぁ、と。

2008年6月18日水曜日

何が向いているのか

よくわからない。
月並みな悩みなのかもしれないけれど。
とりあえず4年間仕事を続けてきた。
今年になって仕事の内容が変わった。住んでいる場所も変わった。
たのしくは、ない。
でもそれはいいんだ。

僕は僕の感覚を信用しない。
よく変わるから。
さいてーだと思っていたことが実は心地よかったり
楽しいと思ってきたことが実はつまんなくなったり。
ふっと離れてみて、悪くない経験であろうとおもえれば、たぶんそれは悪くないこと。

相川は西を向いている。
太陽が海に沈むのが毎日見える。夏が近づいてきて、海の色が鮮やかになっている。
美しい風景が目の前にあるのに、それを素直に楽しんでいない自分がいるのが
ちょっとね。もったいないな、ボク、と思います。

考えてみればいつだって、僕は楽しんできたのだろうか?
なんだかいつだって客観的なんだ。楽しい風景の中にいたとしても
僕は僕が楽しいのかどうかわからなかった。
楽しいとか、幸せとかって自分の中でどういう感覚なのか。
正直僕にはよくわからないんだ。

楽、っていうのはあるね。寝る前とかね。

2008年6月15日日曜日

地震

大変な被害になっている。
山がぐさぐさに崩れたりとか本当に普段ではありえない光景が
テレビの向こう側で広がっている。すこし、一年前のことを思い出す。

7月17日。僕の誕生日。僕は柏崎にいた。
災害救援という名目で職場から派遣されていた。

僕が新潟にきたのは平成17年。16年の震災は東京で体験した。
だから、初めて被災地に足を踏み入れたのは去年が初めてということ。

不謹慎なことだけれど、道中、道がうねっていたりしてちょっとウキウキしている自分がいたね。
でも、柏崎について、倒壊した家屋を見て言葉を失う。

住んでいる人は後片付けとか、通常に戻るべくやることはたくさんある。
正直にはなすと、僕はちょっとカタストロフが見てみたい人間だった。
崩壊、というものがどのようなものであるのか。
僕は別に物見悠山にいったわけじゃないので、できることを見つけて
できるだけやらせてもらったつもり。十分であるとはとても思えないにしても。

結論からいうと、崩壊した場所にいるということは、
とても消耗することだ。不快なことだ。そう思った。

ゴミの収集車がこなくて、残飯が腐っていくのはどれだけ不快なことか。
不便さを強調してもきりがないのだけれど、手が洗えないということはどれだけ不快なことか。
僕はこれまで想像できなかったこと。
僕と同じようなメンタリティの人が他にいるのかどうかわからないけど
普通の住環境で世界の終りを想像することはだいぶ違う。控え目にいって。

疲れることについて。
その場所でなんとかして生きていくには、当然かなりのエネルギーが必要だ。
「なんとかして生きていく」というのはすごく疲れることだろう。
僕は余所から来て余所に帰っていく存在ではあったけれど
その場に住んでいた人たちはこれからもそこで生きていくんだ。
ガレキを片づけて、家を直して。
その道のりの大変さは結局その場に住んでいない僕にはわからないんだろうな、と思った。
共感、という言葉の限界というか。そのようなものを感じた。
だから、崩壊を想像することはできても、その場に居合わせても、僕には結局わからない。

わからない、ということは幸せなことでもあるんだろうけれど。
僕が言いたいのは、エアコンの中で「崩壊」を想像することは実際の「崩壊」とは
だいぶちがうんだ、ということ。
大きな不幸に対してお見舞い申し上げると同時に、一刻も早い現地の復興をお祈りします。

2008年6月3日火曜日

相川という街に住んでいる

新潟県佐渡市。佐渡島の西側に住んでいる。
本土、新潟県の糸魚川市から4月に移り住んだ。

相川といえば、佐渡金山。
なかなか山が厳しく、背面に海を背負っている地形上、
猫の額のような土地を分け合って人は住んでいる。
金山がはなやかなりしとき、相川には10万人もの人が住んでいたとのこと。
今の佐渡市の人口は一島含めて7万人を切っているので、想像ができない数字です。

町並みもなかなかよい。
北前船の寄港地でもあった関係から関西、京都とのつながりがあるらしい。
確かに寺社仏閣が多く、関連があるのかもしれない。
島の人と話していて意識することはないけれど、町並み、小路などがちょっと古くて
よい風情がある。
住んでいる人はかなり高齢化していて、美しい町並みも実は空家が多い。
壊れつつある街。そんなイメージを持ってしまう。
けれども、この島の人は花を愛す人たちだなと思う。
お墓やお地蔵さんには必ず、新鮮な花が活けてある。
僕は余所から来た人間だから、別になくとも何とも思わないけれど
こういう風にしっかり手入れしてあるのを目にするとその心性にはっとしてしまう。
自分にはない心性だな、と思ってしまう。
僕が悪いということではなくて。ものぐさではあるけれど。

5月からはこの島は花の季節。今はカンゾウの花が見ごろです。

2008年5月25日日曜日

片寄り

過去の文章のドブさらいに勤しむのはなかなか楽しく。
でもあんまり大した文章書いてなかったな、とも思う。
過去は美しく見える。なるほど。

こうやって振り返ると仕事の話は僕はあまりしていない。
むしろ大学時代の延長みたいな話が多い。
家に帰ってまで仕事の話はしたくないということか。
そうかもしれない。

仕事について、批判的になれるかどうかっていうのも興味深い。
自分の仕事について批判するとただ自分がそこに居たくないだけのような気がしてくる
根性なしの自分がそこにいるというか。
自分の仕事について批判的に考えないと自分が仕事の内側に取り込まれてしまう気がする。
楽だけどもの足りないような。

適正なポイントなんてないんだろうけど、うまいことバランスをとるような方法を考えたいな。

音が素敵

表題は、インレインボウズのことですけど。
漆塗りの音、エロい音。今まで感じたことのない色気でした。
この一点でなぜかオーセンティックなロックを意識させる仕上がりと思いました。
前作よりもはるかに。
MP3とCDの音の違い。
音の位相がクリアで、音の艶がより鮮やかな気がします。な気がします。

相変わらずレディオヘッドの音を僕はロックと分類していない気がする。
アティテュードのそれは十二分にロックだと思いますが。
ロックレコードとしてはベンズまでなのですよ。
そこから先はなんか別の何かのように思えます。

トムヨークはラップトップも含めたあらゆる楽器を等しく対置する、
という(ような)ことをインタヴューで言っていたのが面白かった。
なんかさ、バンドってドラムは一番うしろで一番でかい音を鳴らすもんだっていう
先入観があるんだよね。たまに忘れるけど。
すべての音を空間に再配置するイメージがトムにはあるんだろうか。

ラップトップは今までの楽器の立ち居地というか、音楽の位相を、たぶん破壊した。
月並みな結論ですけどスタジオ録音(レコード)はライブとは違うってことね。
端的に言えばハイファイ/ローファイの区別はもう意味がないってことだよね。
ディジタルレコーディングされてしまえば、どんな音にでも変換できる。
インレインボウズでもびっくりするくらいチープにドラムが鳴っている曲があるけれども
ちろんそういう風に録られたわけではないだろう。
それは趣向であり作者の意向に還元されてしまうんだろう。

でもさ、好きな位相で音を作りましたといわれたらどう聴いたらいいんだろう?
ギターはこれくらいのボリュームでこの音といいたような、位相が破壊される
というのは聴者も含めた、確信犯的な前提も掘り崩すことになるのかもしれないよ。
すごく自由だということは、すごくおぼつかない気持ちになるよ。きっと。
okコンピュータ以降はなんか不安を煽るんだ。
で、お前はこれをどう聴くの?って聞かれているみたいでさ。

でもでも、テクノを聴いているとそれでもいいのかとも思える。
「意味から強度へ」といったのは宮台真司。妙に納得してしまったりして。
祭りは意味じゃないものね。いかにフロアを暑くさせるか、いかにバカになるかだもんね。

mayday paradeとnelson

11.10.2007

エモの行き着く先は偉大なるアメリカンロックだったりする。
maydayparadeを聞いてなんだか安心感を感じてしまった僕は
なんかnelsonみたいだと思い当たった。

僕の洋楽初の衝撃はまさにnelsonといっても過言ではない。

あれは雪深い長岡に住んでいたころ。小6くらいだったかな。
ねえちゃんがホームステイから帰ってきてカセットテープを持ち帰った。
そこにはマドンナやらホイットニーヒューストンやらニューキッズやら
マイケルジャクソンやら年頃の女の子が聞くような曲がいろいろ入っていてた。
だだっとアーティストを並べると時代を感じますね。
その中にnelsonのlove and affectionが入っていたんだ。

何にやられたか。メロディにもやられたと思うし分厚いハーモニーにやられたとも思う。
後になってオーヴァーダヴィング全盛の時代だったと知るんだけれど。
でもなにしろ広がりというか開放感というか、そんなものに衝撃をうけだんだと思うな。
井の中の蛙というか管見の外の世界というか。
その小学生はlove and affectionという一曲を通じて
その向こう側にある(と思われた)解放区/フロンティアを見たのではないか
と今では思っています。限定された世界に住んでいたから。
でも未だに持ってるし、久しぶりに聞いたら相変わらず好きだった。
これってちょっとスゴイことだなと思う。

それでも僕は生きている

11.24.2007

出張が続いたりとか知り合いに不幸があったりとか
徹夜でイベントがあったりとかいろいろ盛りだくさんの一週間。

そんなことがあったとしても3日後にはしっかりイベントを楽しめるくらい
俺はさいてーな奴なんです。
それはひとつには距離の問題であることを認めたとしても
(たとえばそれが親父だったら違うかもしれないね)
だからってすべての時間にそのことを想うわけにはいかない。
俺は悲しみながら、楽しみながら生活する。

この世界は死者のためにあるのではなくて、生者のためにある。
幽霊なんてこの世にいるわけないじゃん。知ってた?
もしくは幽霊に取り囲まれて生活しているんだろうな、きっと。そういう言い方もある。

頭のよい子が育つ家 講演会

8.25.2007


公演自体は非常に興味深いものだった。
構造材の寿命は40~50年。それに対して内装材の
寿命は10~15年。これがリフォームの基本的な必要性。

また、ライフステージでの家庭の流動性を住まいにも
応用しなさいとのこと。
一人が二人になり最後は一人になる。
建物は縁起を担ぐ場でもあって、基本的に最後に一人に
なることは考慮されて作られない。
だから最初から完璧(と思われる)住まいを作ろうと
みんな考えるし、にもかかわらずバリアフリーとか
リフォームの必要に迫られる。
これを考慮せよというのはみんな分かっているけど
なかなか実行に移せない、至言だと思いました。

よく高断熱、高気密住宅がもてはやされるけど一方で
シックハウスの問題が生じます。高気密住宅に
換気扇の設置がなされたり、もうなにやってるか
わかんない状態です。
今年に関しては高齢者が高気密住宅の居住すると
場合によっては熱中症の危険も高まる。
意外に家の建て方はうそがあると思ったほうがいい。

住まいは100%のものを手に入れるのではなく
すみながら100%に近づけていくもの。なるほどなと。
アメリカでは中古の家の流通量が年間50万件と聞く。
ホントかどうかウラとってないですけど。すごい数字だ。
ものを大事にする日本人、だいじょぶか。


一方でひとつ。犯罪者の住まいの導線から
悪い例を導き出すのは面白いけどよくないなと。
少年A(サカキバラくん)の導線と僕の実家はそっくり
だったんですけど。。
要はリビング(家族と顔を合わせる空間)に顔を出さずに
自分の部屋に入れる導線。そんな家っていっぱいある。
特に彼は冤罪の可能性が指摘されているし
はっきりいって不快だった。
朝帰りでも親と会わずに自分の部屋に直行できるんだぞ。
こんないいことはないだろうと。ぼくはだめな子ですか?

文章を書くことについて

8.28.2007

面白いなと思います。
文章をちゃんと書くようにしよう。
はなくそほじりながら書くのはやめよう。と思った。
なにかを描写するのは、「いい感じだった」
で終わらせることもできるんだ。
それは別にいいのだけど。

なんで評価を他人にできるだけわかりやすく伝える
必要があるんだろう、とも思うのだけれど
洗練されたレポルタージュは時に実物よりも
鮮やかに物を語る。はっとする切り口。
物語がもう一度創造される感覚。
これがいい。
「いい」だって。語彙が少ないなぁもう。。

誰かに伝える必要なんて本当にあるのかとは確かに
思うのね。楽しいことをひとりで楽しんでいれば
いいとも思うのね。
靴箱に閉じこもって一人で震撼していればいい。

でも僕はそんなわけにはいかないんだ。
よいものがあれば誰かと共感したいし、
何かについてどう考えているかを知ってほしい。
僕が最高だと思ったものを同じように最高だなと
思ってもらえれば僕も最高なんだ。
もちろん、そこは相手が気に入ればの話で
そのときはおずおずと僕は薦めるんだろうけれど。

そんなわけだから「いい感じだった」で終わらせる
わけにはいかない。
よいものを「いい感じ」で放るのはもったいないことさ。

地震の話

誕生日の日を柏崎出迎えたんだった。

7.20.2007

僕が配属されたのは北部、旧西山町の海沿いの小さな集落。

最初はおまえなんかいらん、と足蹴にされるのかと
ビクビクしてたけど、あらまぁごくろうさま、という感じ
で迎えてもらう。
主要任務は水と食料の配給。そしてベビーシッター。
市内の大きな避難所だったらすごく忙しかっただろうけど
僕のとこは夜でも20人ほどだったのでけっこう余裕が
あった。合間に紙おむつなんか買いに行った。
大人たちは炊き出しや片付けでみんな忙しい。
こんなことでもお手伝いになるかしらと思って。

配給の遅れや交通渋滞(これは完全に行政の落ち度だと思う)
なんかはあったけれどそれほど深刻なことじゃない。
遅配はあってもちゃんと届くし、自衛隊が水を
持ってきてくれる。意外に自衛隊の人
(東北なまりの素朴にお兄ちゃん)はいい人だった。
柏崎市の職員はほとんど寝てないのじゃないかと思う。
ギリギリな感じ。むしろそこに言葉を失うかんじ。

まずは水道が必要。流水がないと不自由だし
特に手洗いやお風呂とか、暑くなるこの時期には大事。
帰りの高速のサービスエリアでトイレに入ったとき
手を洗ったのが本当にうれしかったなぁ。

すごく地元の人の反感を買ってたのが、災害当日に
現地入りした議員先生たち。わらわら来てどれだけの
時間を無駄にしたと思っているんだ、とのこと。
ヘリでぴゅぴゅっと来た安倍先生や作業服にヒールの
マキコちゃんなどが餌食にされてました。

3333333
僕は帰れば無傷の家があって、滞在時間にも限りがある。
一方で家がなくなってしまった人がいて避難所で
することがなくてしかたなくぼーっとしている人もいる。
この先に希望がもてなくなる瞬間を迎えている
人が間近にいるというのは実に不思議でやるせない
気持ちになります。なんだかアンフェアだ。
俺も被災すればよかったとすら思うものね。

甘い考えなのは分かっていますよ。
911でも最終兵器彼女でもいいけど
カタストロフに居合わせたい心情の人間は
たいてい庭付き一戸建ての苦労知らずなんだということは。
現地でお手伝いとかボランティアをしたからといっても、
僕らの発する「かわいそぉ~」は単なる同情なんだ、
こんなのきっとウザいんだろうな、と思ったの。
これが収穫。

year zero

7.8.2007

nine inch nailsのライブいったほうがよかったなぁ。
と雑誌を見て思いました。でも金ないです。
果たしてどれくらいの人が、映画「スリーハンドレット」の
CMで流れている音楽はninだって知ってるんだろう?

year zeroをだいぶ繰り返し聞いて思うところがあったので
歌詞のことは抜きにして感想文らしきものを、と。

トレントレズナーのインタヴューを読むのは好き。
音楽と一緒で拡散していく傾向があってなんだかわからない。
コラージュ/タペストリーを手繰ると何いいたいのかが
なんとなく分かる。というか。。

キャッチーって意味わかんないよね。
「耳を引く」っていうことなんだろけど僕にしてみれば
「耳を引くようなメロディ」っていうことと認識しています。
ビートルズはキャッチーだけどつぇっぺりんはキャッチーじゃない。
ジョニミッチェルはキャッチーだけどジャニスジョプリンはキャッチーじゃない。
ブラッククロウズはキャッチーだけどクーラシェイカーはきゃっちーじゃない。
・・・・以上98%偏見での二分法でした。

この二分法に当てはめるとトレントはキャッチーなメロディを作るのが不得手な人だということになる。
以前、ビートルズみたいな曲を作ろうと腐心したエピソードを読んだことがあるけれど、僕からしても、んー無理じゃね?という感想。
少なくともラジオフレンドリーな曲はまず作らないと思う。
それはそれでいい。トレントはポールマッカートニーじゃない
っていうことだけなんだ。単に。
「hurt」ですら、メロディ自体は凡庸の域を出ないと個人的には思う。
それでもhurtが名曲なのは、ノイズの奥に聞こえるトレントの
魂を押し潰さんばかりの歌唱があるから。
(ジョニーキャッシュのhurtもすごかったけど)
決して傑出した歌い手ではないトレントが振り絞ったことに
僕は感動したんだと思う。でもそれはninにしてみれば
反則技じゃないかとも思うのね。

むしろトレントはLa merみたいな曲でそのセンスが顔を出す。
不協和音を含んだ、壊れそうなメロディを作る。
どちらかというと現代音楽みたいな感じ。
久石譲というよりは圧倒的に武満徹という感じ。要はヘンテコ。ちょっと違う気もするけど。
なんとなく分かってもらえるでしょうか?
stillっていう習作集みたいなレコードがある。
ピアノ主体でオリジナルレコードのと落差を
体験できる恐ろしく静謐な仕上がりの一枚。
この中にLa merの習作らしきものも入っている。
原曲はたとえばエリックサティなんかを強く想起させる。
こういうメロディを作り出すくせに、トレントは
そのメロディを歌わない。リフとして、ソロとして、
あるいは通奏低音のようにしてその美しいメロディを使う。
単に引っ込み思案なのか、声も楽器くらいにしか思っていないのか。

前作はロック色は強く出てたけど、この「インテリ」トレント
の側面が希薄だった。それじゃだめなんだ。
単なる「凡庸な」ロック・レコードになっちゃう。
今作はインテリっぷりがさらりと復活。
ヘンテコで、硬い感触の、きれいなメロディが随所に顔を出す。
そして、この手のメロディがなぜか打ち込みと相性がいい。
(ダンス/エレクトロニカがスティーブライヒとかミニマルミュージックの系譜に属するのなら当然のことなのかもしれないけど、その辺は勉強不足でよくわからないや)
マシンビートの復活がyear zeroをメリハリあるものにした。
サウンドスケープも含めてninの楽曲なのだと。
だからこそっ、ninは別にライブで聴かなくてもいいっ
と自分をなぐさめるわけ(涙)。

05ソマソニ@真夏の千葉マリンで鳥肌たったことを思い出しつつ。

読書ノート「責任と正義~リベラリズムの居場所~」②

5.13.2007

1 強い責任理論とエンパワーメント

①で述べたように強い責任理論は、行為者のある行為を有責行為であると「記述」することにより、異議申し立てをする可能性がある。また、このことから異議申し立てのポジションを支援する可能性がある。
つまり、被害を受けた人の言を記述することによって、その声を社会に表出することが可能であるということ。環境NGOなどの活動の意義は強い責任理論からも定義することも出来る。

2 責任のインフレーション
同時に問題がある。強い責任理論は他者による行為記述によって責任が発生してしまう。だから、女性が料理をしただけで魔女狩りの対象となってしまうことを否定できない。ユダヤ人陰謀説とかね。

※ 「何をしたことになっているのか」の定義権を行為解釈者に委ねることによって、水銀をたれ流す企業の行為責任の剔出に成功した「強い」理論は、一方で、指を動かしただけで、「世界に秩序を乱した」ことにされてしまう魔女たちの責任をも承認してしまう ※
※ 魔女狩りを禁じえない責任理論の行き着く先は、無理やりにでも「悪い」出来事の原因を誰かの行為に見つけ出し、自らの行為をやすんじて免除する、壮大な無責任の体系とはいえないだろうか。 ※

ここで聞くべき《声》と聞かなくてもよい《声》の区別が問題になってくる。被害者の声とお客様相談室の無理難題のクレームをつけるおばちゃんは 他者による行為記述という基準を同じく満たしている。お客様相談室の担当者は無限に拡大するクレームの嵐から聞くべき声をより分けることは可能だろうか?
北田はここで二つの方策を提案する。ひとつの方策は聞く
べき声と聞かなくてもよい声の区別を打ち立てる方法。
これによって責任のインフレは収束させることができる。 
しかし、回答に値する、クレームとそうではないクレームというものの基準は「強い責任理論」の中からは出てこず、別の「基準」を「密輸入」していることになるのではないか。そして、そもそも《基準》という権力関係の提示は別の暴力性をもっていることを示したはずだった。

そして、もうひとつは、「怖ず怖ずとした決断主義」。これは前回で触れたような基準フェチズムとサヴァイヴァーの声を区別しないということ。そ して、※ 出来合いの《基準》がないところで、他者の顔に直面しながら、その《声》をときとして遮る自らの原罪を自覚し続ける※こと。

3 大庭健のシステム倫理学
大庭は専修大の先生ですね。『他者とは誰のことか』とかでお世話になりました。大庭は《基準》の社会的・時間的安定化が、社会システムの継続に とって不可欠であることを認めたうえで、《基準》によって排除された「ノイズ」が《基準》の硬直化を阻む可能性に賭けるという戦略。もっとマシな《基準》 を作り出すかもしれないノイズを聞き取る=応答する感性を推奨する議論であるとのこと。
お気づきのとおり、こいつも責任のインフレ防止機能はもっていない。むしろ、他者の声に対して心を開きまくることによって。さらに責任のインフレが拡大する。

それが必要であるということとどう運用するのかということ
にかなりの距離がある。これだ、という回答は今のところでてきてないよ、という話でした。



そして雑感。

修士のときNGOを扱いました。この本を読んでいたわけではないけれど大庭の本は読んでいました。企業―NGOの間に問責―答責関係が形成される、ということを考えた。気がする。
僕がNGOはすごいと思ったのは。今まで表出されてこなかった事柄を可視的にしたということ。
これはメディアリテラシーとも関連していて、メディアは膨大なソースを取捨選択し表出するということへの再認識につながると思う。ワイドショーがおかしいと思うのは別にワイドショーが悪いわけじゃない。そういう考え方なのね、という再認識だけが残る。
この本の即していえば、企業活動を第三者的に記述し公表していったということになると思う。いわゆる『違法伐採問題』がこんなにポピュラリティ を獲得できたのは、NGOの活動によるところが大きい。少なくともとっかかりについてはね。大手のメディアは後から乗っかってきた。NGOで実際に働いて そいいう実感はある。そのことについて、業界人でもない市民(=素人)がまず取り組んだ意義は大きいと思った。

しかし、同時にウラで悩んでいたのが、NGOは実際たくさんあるんだけれど、結局のところ一部のNGOしか扱い得ないということ。調査には資本 が必要だし、多くの会員を抱えていた団体の方が声が強い。Greenpeaceのサイバーアクションで日本製紙に対する5000件を超える批判メールが寄 せられたことが原材料購入のあり方の変更を迫ることができたわけだけど、それは彼らがそれ以上の会員を抱えていたということがある。…ちょっと思いついた んだけど消費者団体的総会屋って儲かりそうだ。うそうそ。なんでもない。
要はある有力なNGOは市民団体的スタンスから乖離していくんじゃないかという危機感。特権階級的NGOしか問題を表出できなくなる危険性。表出するかしないかはNGOが決める、とするとこの団体も《基準》を持っているということなりはしないか。

議員へのロビイングも、それも前提として相手がノイズを聞き取る耳を持っていたということと同時に、ロビイング活動を行うNGOが相手方に問責 者、あるいはアドバイザーとして承認されていることが前提となっているはず。すっげー高いミネラルウォーター飲んでる彼氏も違法伐採問題は食える、と踏ん でいたはずなんだ。

他にも聞かないといけない声があるだろうが、表出の時点である種の淘汰が発生する可能性。そして、記述者はだれでもよいというある種リベラリスティック言説と、《基準》の変更という具体的な動作には距離がある、という事実。
一部のNGOは権力関係に作用する影響力を持っているということなの。何かを具体的に変えるのはこういう力であるとは僕も思うんだけど、釈然としない気分になった。

読書ノート「責任と正義~リベラリズムの居場所~」①

5.21.2007

「責任と正義~リベラリズムの居場所~」北田暁大 
ケイソウ書房

①行為の責任について

手垢のついた導入だけれど、responseは「応答する」。で、responsibilityは「責任」。なんにもいっていないけれどなにごとかを言った(言われた)気になりますね。
例えば公害が発生して、人が死んだりする。企業はどのように応対するか。法律上、点検整備はしっかりやってきましたよ。と釈明するかもしれない。あるいはその問題の発生は予見不可能でした。というかもしれない。
でもそれだけではなんとなく納得がいかない。もし僕が遺族だったらまず納得しない。どこが引っかかるか。例えば「法律上」という文言。「法律上」しっかり点検やっていたのであれば死んじゃうのはは仕方ないね、ということになるのか? 

この本は、責任のあり方に関する本。北田の道具立ては「強い責任論」というもの。
焦点は「ある行為が他人によってどのように記述されるのか」
ということ。だから、当人がどのようにその行為を位置づけるのかでは関係ない。行為の責任は、他者による記述=観察=異議申立てによって初めて世界内に現れる。
本人の位置づけなんかはどうでもよく、やったこと/記述されたことがその人のやったことだ、としてしまう責任論。これが「強い責任論」。たぶんね。

冒頭の事故や事件での違和感は僕らの解釈としての事件・事故と企業側が考えるそれとはズレがある、ということ。罰則/量刑の内容は別として、事故に対する企業側の説明で納得できなかった場合を想像してみて。
「強い責任論」は掬うことが出来なかった僕らの苛立ちを掬うことができる可能性がある。行為記述は企業だけがすることじゃなくて、見ている市民も同時に行っていることだから。そしてビューポイントが変われば記述内容も当然異なる。

② 耳を傾ける責任
「法律上」ということについて。この言葉が引っ張り出されることの違和感は「法律」という「基準」がドカンと鎮座ましましていること、そしてそ んな基準たちの持つ僕らの「それおかしいんじゃね?」という文句との差にある。なんか法律だからしょうがねぇけどなんか納得いかねぇということはまあザラ にある。
冒頭の企業の釈明に対する違和感について、北田は以下のように言う。

※ 《法》の前での応答=責任という点にかんしていえば、広報担当者は紛うことなく「責任ある」態度を貫いていたといえるのだが、問題はそうした 「責任ある」態度が(1)アンタの会社がウチの子どもを殺したんだ」と訴えかける行為観察者=異議申し立て人の、具体的かつ状況づけられた声、一般化しえ ない出来事の固有性に対する拘泥を、普遍的な適用可能性を志向した《法》の名の下にそぎ落とし、あまつさえ、(2)そうしたそぎ落としの残酷さを「道徳/ 効率性に適っている」という理由付けによってキレイさっぱり漂白してしまうという点にこそ見出されなくてはいけない。 ※

北田君、400ページある割りになかなか文体ばポップです。
でも難しい漢字好きそうです。

基準がかかわることの問題点は基準が納得できるものかということ。そして、基準の遵守という態度自体が時に暴力性を持つこと。
特に後者が大きな気がして、出来事自体は当然当事者間で起こったことにもかかわらず、しばしば加害者は被害者のほうを見ていないという現象が起 こる。企業の不祥事で社長は頭を下げるけど、誰に頭を下げてんだろって思う。なんかそういう「基準」にのっとって機械的に頭が下がる仕組みになっているん じゃないかってね。ししおどし的なメカニクスで。

強い責任論では自分が「何をしたことになっているのか」を他者の声なしに知ることが出来ない。遺族が企業に問うているのは法の前での責任の有無 ではなく、個人的な色メガネ/バイアス(死んだのが自分の息子である、といった)のかかった状態を承知の上で解釈された行為(おそらくは事故ではなく、殺 人と記述されている)にたいしての応答を迫っている。
だから強い責任論では「わが社が何をしたことになっているのか」耳を傾ける責任が生じるし、この責任論でにのると法律も含めた今ある基準自体への違和感にも目が向くことになる。

公共の福祉

4.17.2007

って公民とか政経とかで習った。
なんかマジックワードだなという感想を持った。
法や経済の根拠についての記述の最後に
出てくる魔法の言葉。なんだい、こいつはってね。

「リベラリズム」を思いつくままに、説明してみると

①他人の権利を侵害しない限りにおいて、
②自己の自由を追求してよい。

ということになるのだろうか。
公共の福祉という言葉は①に対応する。
つまり②の奔放さを規制する概念として①という但し書き
があって、公共の福祉という変てこな概念があると
理解できる。
知り合いに学校の窓ガラスを割って歩く15歳がいたら
教えてあげてください。
なんで中坊のときこいつを変てこだと思ったのかといえば
こいつの入った文章が権利に関する記述であることを
踏まえていなかったからじゃないかと思う。
それは文脈自体で自由に関する記述をしていた。つまり①が
前提としてあって、足かせとしての②が出てきていた。
足かせばかりが気になる年頃でしたので、でも
よく考えてみるとなんにしても、自由に関する記述よりも
その制限に関する記述の方が多い気もする。
別に自由を記述しなくとも自由にしているからいいという
ことなのかしら。



なんでこんなことを書いたのかといえば理由は二つあって、
一つには長崎市長が撃たれたことに、若干衝撃を受けたこと。
暴力はじつにあっさりと、簡単に、他者の身体と表現の自由を
奪ってしまう。
もうひとつには、北田暁大の読書ノート書こうとおもって読み返しているから。
なんてリベラリズムはいいかげんにして大切な概念なのでしょう。
と今反芻しているところです。

ALSについて

2.23.2007

ALS患者が大学院に合格したとの報
ニュースで見ました。すばらしいこと。

人工呼吸器は単なる道具だということ
僕がかけているめがねと変わらないものだということ
これを示してくれる行為でもあったかと思う。


ちょっと思い出したことがあって。

以前、看護士の友人と飲んだときのこと
老人介護をする場合、献身的な親族の方が
延命措置を打ち切ってくれという場合が多いという。
もう、苦しんでほしくないから。
親族としても自分から縁遠い人間の方が却って死んでよい、
とはいいにくいかもしれない。身近な人間だからこそ
なのかもしれない、と僕は応じる。
でも、その答えに彼女は納得していなかったし
僕ももちろん納得できなかった。

もう死んでいいよというやさしさもわかるような気がするし
延命治療によるスパゲッティーシンドローム的な
怖さ/むごさもなんとなくわかる。
でも本当にそれでいいのかとも思う。

いろいろ考えたのだけどうまくまとまらないや。
また考えます。
ひとつだけ。思いついたのが「老い」が大人としての
振る舞いや責任感を取り外していく過程であるとしたら?
意識の有無を基準とするのにも限界はでてくるよね。

林業からみた京都議定書について

第一約束期間スタートしましたね。
ちょっと評価も含めたアップデートしてみたい。

9.22.2006

読売新聞の森林環境税についての記事で。
「京都議定書の基準を満たすだけの森林管理をするにはおよそ4700億円が必要」とのこと。
ちょっとひらめいた。

これが意味するのは森林吸収源における「森林整備」項目のからくりだ。第3回締約国会議(COP3)では植林などによる新規の吸収源の作成とともに間伐な どの森林管理にも吸収量を増大させる効果があるとして、カウント可能(3条4項)となった。もちろんその裏では、新規に大量の造林する面積などない日本の ゴリ押しがあった。(当時、気候変動枠組条約の発効前でCO2排出量の多い日本はキャスティングボードを握っており、かなり無理が効いた)。このゴリゴリ により、日本は森林管理によって約1300万炭素トン、約束量の3.9%を賄ってよろしい、ということになった。

 そこで冒頭の記事にくっつく。予算的に森林整備にかけられている額は自治体分と合わせておよそ2500億円といわれている。全然足りない。林野庁によると現状の管理水準で推移すると2.6%程度の吸収量しか確保できていないということになる。

 話は変わるが日本の森林吸収量は1300万炭素トンではない。詳細は実はモニタリングという形で現在調査中だ。なんともいい加減なハナシだが実力的にはその倍くらいはあるといわれている。細かい数字わすれちゃったからこちらもいい加減だけど。
 排出量の半分は大事に取っておいたわけではなくて、「木材利用による排出」に分類され、カウント外となっている。あくまで3.9%は「政治的」 に決定されたものということ。「政治的」の意味は締約国間の交渉という意味もあるだろうが、そうじゃない部分もあるのじゃないかと思えてきた。
つまりは対内的意味。

 つまりは3.9%吸収させるためには、4700億必要なのに十分な資源が森林に投下されていないよ、っていうアピールなのではないか。ぜんぜん足りねー よ、っていう。森林整備に予算要求しやすくするための下地としての機能を果たしている。森林が2.6%しか吸収できないとすればその差額は産業・民生部門 で削減を行わなくてはいけない。これは相当重いオドシじゃないのか?
 もともと、3.9っていう数字には環境省とともに経産省も深くかかわっていた。吸収ポテンシャルの半分とするとたいしたことないように思える が、輪伐期を行う林業がちゃんと回転していると吸収量は0になる(現状の議定書定義では伐採は「排出」になる)はずなので、本当はありえない数字。(たま たま)林業が停滞していたからこそ吸収源になったというタイムリーヒットな事態だといっていい。
 林野庁、ギリギリだけど実に洗練された脅迫戦略ですね。っていう結論。

 ほんとのこというと、森林を吸収源にするのは間違っていると。経済が停滞していたとしても削減は自力でやるべきだと思います。なんでかというのはまた別のハナシで。

 しかし、それはそれとして、森林整備に財源を振り向けようという林野庁の政治的恫喝(だと思う)はなかなか迫力がある。おそらく今後数年森林整備の予算は増えるんだろうな、と思う。
 しかし地球温暖化問題が政策官庁としての林野庁の過去の失策を覆い隠しているのは間違いない。そもそも問われるべきは、何で森林整備が必要か? ではなくて、何で整備しなくちゃいけない森林がこんなにあるの?ってことでしょう。温暖化っていうキーワードがなかったら、「国民の税金を毎年2,500 億円もドブに捨ててんだ」っていうことになったはずだから。拡大造林なんてなかったことにするためにも林野庁は不退転の決意でしょうよ。


京都議定書は、参加者全員が虚構と知って乗っているゲーム。
そこでルールの設定がおかしいというのは始まっているゲーム中では受け付けられません。
文句を言っているうちにゲームが終わってしまう。

とりあえずはよいゲームであると考えるならば
そのゲームをまわしていくことがいいと思います。
まわしながらよい方法を考える。
「多くのプレーヤーが乗れるゲームをはじめた」
これが京都議定書の最大の功績でしょう。

志は高く、ハードルは低く。悪くないスタートじゃない?
まあ、日本はいきなり黒星スタート確定だけれど。
約束期間、あっという間に再来年ですよ。

move me

6.11.2006

King`sXの”please come home ...mr.bulbous”に「move me」という歌が収録されている。
5年くらい前のKing`sXとしてはぱっとしないアルバムだったし(サウンドプロダクションすごかった)、
B!誌に60点台をつけられていたのでもう日本版は廃盤だろう。
"Move" は単に"動かす"だけど、"感動させる"とかそんな意味だったような。

chorus
God, can you hear me cry
God, can you see me cry
God, can you move me
Move me and move me again
ブックレットの対訳
俺を感動させてください
神様 俺の泣き声が聞こえますか
神様 俺が死のうとしている姿が見えますか。
神様 俺を感動させてください。もう一度感動させてください。

で、「感動させてください」ってなんかへんだな、と。
語感の問題かもしれないけれど、ちょっとつじつまが合わない感。
さらに辞書を検索。「突き動かす」。
「私を突き動かしてください」だな。しっくり。

閑話休題
遠藤周作の「沈黙」。恐ろしいくらいの緊張感のある作品だ。
時は江戸初期。鎖国時代の日本。隠れキリシタンの元に宣教師がたどり着く。
信者の命と引き換えに宣教師は踏み絵を踏むことができるのか。
呼びかけても、助けを乞うても石のように沈黙した主。

神様は物理的に助ける存在ではなくて、
(当然のことだけど大抵の場合、奇跡は起きない)、
自らを「突き動かす」存在なんじゃないか。
誰かの傍らにいて、許す存在。
従来の神様機関説に加え(誰にも説明してないけど)、
神様原動機説も提唱したいと思います。
ヤマハとか、ホンダとか、書いてあるかもしれない。

で、move me。全部あわせると10分近い大作で後半からリフレインをずらしながら展開していく。もともと非常に上手い人たちなので安定感はあるし特に(ドラム)、美しく、力強い演奏。言葉はバイアスですかね?そうですかね。
それ込みでしか僕には聞けないんだよ。

立岩先生と介護保険制度について

4.23.2006


基本的に介護保険制度は意味のある制度だとおもうのよ。
高齢者への負担増ばかりが問題となっているけれど。

端的にいってこの制度が作り出すのは「介護の外部化」
だと思う。間違ってたらごめん。
家族の介護だろうがなんだろうが、労働は労働。
それを家庭という枠の中に押し込めてきたのが今までだった。
介護を有償化するのは問題であろう、という声も確かに
あるけれどじゃあ、それまでの介護の仕手は誰だったか
ということを考えれば嫁は無償労働を強いられていた
わけでしょ。
それが「家族の暖かさ」ならなんか勘違いをしていると思う。

そこには間違いなく労働による(それも重労働だ)
負担が生じているのだから、新しく負担が増えたのではなく
潜在的に誰がが負担していた分を外部化しただけで
労働量は変わらない。費用に関しても誰かが介護している
労働量を誰かが埋め合わせたわけだから、やはり変わらない。
そんな負担をする能力は社会にないというのであれば
いままではなんだったのか、ということになってしまう。

見えないものが見えてきた、というだけのこと。
労働力が足りないなんてこともないはずだよ。
こんなに人がいるじゃないの。お金を払ってやって
もらうのはそんなに悪いことだろうか。

むしろ今までが見えなすぎたから、悲惨な事件が
家族内でおこったりしていたわけだから。
問題はありつつも前進だと思うのね。

考えること/考えていることをまとめること

ミクシィでずっと書いてきて、それはよいのだけれど
過去の文章を参照するのがわりとめんどくさい。
自分が何を考えてきたのか。で、それはどんな結論になるの?
っていうことについて考えてもいいのじゃないかと思ったのよね。

で、新規作成。気分転換みたいなもんでしょうか?
過去の文章も取り戻しつつ、妄想の翼を広げるためのページとします。
がんばれ、俺。